私は、イエス・キリストを知る前は、すぐにカッとなって怒り、その怒りをずっと長い期間、もちあぐねて、苦しい思いをしていたものでした。私は正しい、相手が間違っている。私が怒っても当然だと、私はずいぶん思い上がっていたからでした。
「 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」エペソ4:26
現在は悪に対する「怒り」をはっきり表現しない風潮ですが、聖書は「怒れ」と命令形で書いてある。
神に似せて造られた人間も、悪に対して怒りの感情を持つものです。
しかし、たとい正当な怒りであっても、怒り続けていると、怒っている私がガチガチに堅くなってきて的外れになってしまう。そして、いつの間にか怒られる側に立ってしまいかねない。
クリスチャンは、怒りだけでなく、恐れ、不安、その他どんな問題が起こっても、すぐに自分で解決しようとバタバタと行動する必要はない。感情的な言葉を軽々しく発する必要もない。
日々のデボーション、神様との個人的な交わりの中で、どう受け止めると良いのかを求めてよく考えるならば、神の守りと導きがわかって来るだろう。キリストは救い主でありまた裁き主でもあります。すべてのことを知って支配しておられることを信頼します。
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