へブル書の最後13章24-25節を学んでいる時、教会ではヨハネ16章1-4節の説教が語られ、へブル書についてもリンクして教えられました。先週は第一コリントからも、へブル書に重ねて教えられました。
神様は聖書を読んだり、注解書を開いたり、また奉仕をしている中でも、全体的に導いてくださっているので、あっちこっちとリンクして、教えてくださり
矯正もしてくださいます。
でも、その都度メモを残していないと、しばらくすると忘れてしまいます。
今回、学んだことなどをブログに文章化して残すことで、後で全体を見直すことで、また、神様がメッセージをくださることと信じます。
★へブル人の教会の指導者達は、迫害に苦しんでいた。多くの人々が村八分になったり、迫害されたりして、耐えられずに信仰につまずいて、足がひっかけられて前にすすめなくなって、教会を去ってしまたった。
「しもべは主人にまさる者ではない。」指導者たちは、去って行った信徒以上に、世の人々に憎まれ迫害を受けて殺されそうになっていたことでしょう。また教会から去った人々から教会が悪影響を受けていることにも、苦しんでいたことだろう。
★しかし、彼らは、イエスが父のみもとから遣わしてくださった聖霊の励ましによって、苦しみの後には御国に入れられて報いを得ることができることを、知って希望を持っていた。
★去った人たちは、恵みによって与えられた福音の読み方が間違っていて、律法的にとらえていた。指導者たちは、もっとしっかりし教え諭して離れていくことを防止することができなかったことを残念に思い、今残っている人たちが去って行って行った人にならって滅びるのではなく、救い主であるイエス・キリストにならって、永遠のいのちを生きる者となるように願ったことだろう。
★残っている者たちは、つまずくのではなく、伝道に進まなくてはならなかった。指導者たちも、聖徒たちも、ともにこのへブル人への手紙に書かれている内容を正しく理解して、迷っている人々を教え励まし、さらに伝道して弟子づくりをする責任があった。
★★★私達は、迫害があることも、つまずく人が出て来ることも、みことばからあらかじめ教えられている。自分が正しくみことばを理解し、他の人々に律法的ではなく、恵みの約束として伝えていくべきです。
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