あぁ・・・『ラ・カージュ・オ・フォール』がもう一度観たい。
市村ザザのね。
You Tubeを散歩していたら、見つけました。
う~ん、元気出ちゃうなぁ
まさにワタシの人生観、そのもの。
この“テーマソング”聴きながら、エネルギーがふつふつと。
明日からまた頑張らなくちゃねん
あぁ・・・『ラ・カージュ・オ・フォール』がもう一度観たい。
市村ザザのね。
You Tubeを散歩していたら、見つけました。
う~ん、元気出ちゃうなぁ
まさにワタシの人生観、そのもの。
この“テーマソング”聴きながら、エネルギーがふつふつと。
明日からまた頑張らなくちゃねん
寒い寒いと思っていても、季節は少しずつ、確実に春に向かってる。
我が家の近所でも、梅の花がちらほらとほころび始め。
夜風の中、ほんのり微かに甘い芳香が感じられるようになってきました。
新しい仕事を始めてから、約1ヶ月。
環境にも少し慣れ、無意味な緊張感もだいぶん減ってきました
何かにチャレンジする度に、いつも、思う。
どんな状況であっても
自分の考え方や行動や心の向き方で
いつかきっと思い通りの結果にたどり着けるはず。
一人一人を取り巻く環境は皆異なって
それぞれに苦しいことや難しいことを抱えていて。
悩みながら、迷いながら
それでも自分を奮い立たせて前向きに頑張ってる。
そんな、愛すべき大切な人たちへ。
なかなか連絡を取れなくても
苦しい時に実際に側にいてあげられなくても
心ではいつも想っているよ。
エールを送っているよ。
理想の自分に向かって
しゃかりきに、懸命に頑張るのも良いけれど
やっぱり、たまには息抜きや
現実逃避も必要だよ
『大好きだから ずっと
なんにも心配いらないわ
My darling Stay Gold
無邪気に笑ってくださいな いつまでも』
~ 宇多田ヒカル『Stay Gold』 より~
遊びたくなったら
サボりたくなったら
ホッとしたくなったら
人恋しくなったら
どうぞ遠慮なく
いつでもおいでよね
待ってるよん
1月は好きな月。
だってお誕生月だから
なんて。
たとえ今の職場でいちばん年上になってしまおーが
40を何度か過ぎた誕生日であろうが
まぁ、人生の年輪なんだから、悪くない。
だがしかーし
肉体の衰えは否めず。
もしも今後コウノトリさんに期待をかけるとしても
リミットはあと3年くらいかな、なんて思ってる。
体調崩してからちょいとお休みしているヨガもそろそろ再開しなきゃなぁ。
お試しで取り寄せてみたウコンとノニを飲みつつ
やっぱ一番の大敵は己のナマケ心なんだな・・・と痛感しておりやす
あ、でもノニはいいかも。あんまし美味しくはないけど。
昨夜は短い時間ながらすごく良質の深くて気持ちの良い睡眠が取れた気がする
今夜も気持ちよく眠れますように・・・
果たして、“男と女の友情”は成立するものなのか
・・・むむぅムズカシイ問題だ。
永遠のテーマのひとつでありますなぁ
個人的には、有り得なくはない、と思っておりマス。
但し
友情、すなわち“友達”をどう定義するのか、というのが
非常に重要なポイントになってくるのですが。
そしてその“友達”の鍵を握るのが、そう。フィジカル問題
メンタル100%濃縮還元ジュースのような関係が“友達”なのか?
フィジカル3%混合(どんなやねん)でも“友達”なのか?
もともと友達なんだから、相手のことは好きなんだし。
性的にストレートであるのならば、もちろん異性に対する性的欲求はあるし。
そこはそれ、男と女。
友情だと思っていたものが、ふとした瞬間に恋に変わってしまうこともなくはないでしょう。
いや、大いにあるでしょうなぁ。
もしも友情をメンタル100%に限定するのであれば、そんな危険性を秘めた関係は
決して純粋な友達だとは言えまへんなぁ
んで、あひょ的には
究極の異性の親友はやっぱり元カレだよね~
しかも、休火山ではなく既に死火山となった状態の
・・・ってことになるのですな。
本当に心底真剣に全力で愛し合って燃え尽きた男女には、別れて後の友情は成立しない。
というより、二度と会えないという事実。
・・・その通りでござんすねぇ
だからこそ。
修羅場を演じて別れ、直後こそ音信不通になりながらも、数年を経てお互い全く別の人生を歩んでいる状態で(しかもお互いが幸せな状態で)思いがけず再会(フィジカル抜きでね)し、まるで兄妹みたいな感覚になって、お互い困ったことが起きたときだけメールしたり電話で相談したりして。
もしもそんな関係が築けた時
それが、本当の“男女の友情”というものではないか。
そう思うのでありますね。
それ以外は。
残念ながら自分や相手、もしくは周囲に対する言い訳じゃないかな
潜在意識下に秘めたシタゴコロをカヴァーするための隠れ蓑としての“友達”
もしくは
相手の特別な気持ちに内心うすうす気付きながらも、ややこしい関係を避けるために強調する“友達”
もしくは
お互い暗黙の了解の下での確信犯的“友達”
・・・などなど。
ね、なんだか危なっかしいでしょ
友達などとまだるっこしいことは言わず、どんどん恋をして、失恋もして、友情も育んで・・・。
一度しかない貴重な人生、そんな生き方であって欲しいと思いますねぇ
仕事帰りの電車の中、疲れた顔をした人々の顔を眺めながら
そんなヒマなことを果てしなく考えている今夜のあひょでした
言いたくなる気持ちは良く分かる。
同じことを感じているからね。
だけど。
批判や中傷は、言葉に変えて口から音にして発した途端
たちまち恐ろしい変化を始めてしまうよ。
どんどん余計なモノを付着して
輪郭も鋭くなり
他の嫌なものも呼び寄せ
邪悪な形となって
どんよりした空気となって
その場をずっしりと支配してしまう。
目には見えないけれど
その存在を確かに肌で感じてしまうほどに。
嫌なことは
聞かなかったことにする。
言われなかったことにする。
見なかったことにする。
忘れる。
いちばん大切なことは
赦す こと。
とってもとっても難しいんだけれどね。
周りに
その人に
何かを求めてばかりじゃ
決して状況は
なにひとつ
変わらないから。
まずは
許せない自分を認めつつ
赦せる自分を
少しずつ増やしてゆこうよ。