今日はえらく月が美しいなぁ・・・と思ったら、明日が「望」(=満月)なのね。
今夜は月の光がとても強い気がします。
東京の冬の空はとても美しくて、大好きな季節。
昼間の澄んだ青空と、凛と引き締まり冷たく冴える夜空。星もくっきり。
寒いけれど、やっぱり冬は好きっ
さて。3連休1日目。
溜まった洗濯物を一気に片付け、軽く部屋を掃除し、暖かい部屋で過ごすヨロコビに浸ってました。
明日からはきょんくんも2連休だから、明日は年末に出来なかった大掃除をやる予定。
そして、遅まきながらの初詣。
・・・と言っても、帰省先の博多ではしっかり「三社参り」を済ませたんだけどね。
この三社参り、全国的な慣習だと思っていたから、一部の地域だけの慣わしと知った時はちょっとびっくりしたな
博多では、「櫛田神社」「住吉神社」「筥崎八幡宮」の3社でお参りしてきました。
櫛田神社は個人的にとてもご縁が深い大切な神社なのですが(なにしろ結婚式がこちらだったので)お祭り好きな人には『博多祇園山笠』でも有名なのでは。勇壮で豪快な九州男児のオトコの祭でやんす
初詣の時に必ず確認するのが、正門の天井にある「えと恵方盤」。
これをじーっと見て「」と感じた方。
そうなのです。これってよく見ると、西と東が逆でしょ?
これはもしかすると正門の上(天界)から見たという設定なのかなぁ・・・。
ま、それはさておき今年の恵方は「東北東」だそうです
あと、街中で韓国語の表記が目立つ福岡ですが、この櫛田神社にもその現象が。
買わなかったけど。読めないし。
でも面白そう。・・・なぜ中国語バージョンがないのかは不明、です
新しい職場。
とても好印象
セキュリティもしっかりしているし、社員の方々の挨拶も気持ちよく、さすがって感じ。
ただ・・・。
想像以上の激務、みたい
舞台裏はまさに、少数精鋭。
“余計な事は考えずに、すっきりと何もかも忘れて、遮二無二働きなさい”
神様の思し召しなんだな、きっと。
思いっきり働きたいと望んでいた私の希望を叶えるべく縁を頂いた職場。
ハードな仕事を元気にこなしてゆくためには、規則正しい生活と健康管理
夜遊びの日々よ、サヨウナラ~
きっと、そういうこと、なんだね。
自分が置かれている現在の環境は、勝手に誰かが決めたものではなく、実は自分が選んだもの。
意識するしないにかかわらず、自ら呼び寄せたもの。
望む望まないに関係なく。
たとえどんなに厳しく辛い状況だとしても
その時の自分のために、必要なもの。
学ぶべきことがそこには必ず隠されている。
渦中では無我夢中で分からなくても
やがて時が過ぎ、いつか気付く時が必ずやってくる。
“あぁ、このために、あれは必要な事だったんだ”・・・と。
だからこそ
与えられた環境で、その時の状況で
今の自分にできることを、精一杯やるだけ。
前だけを見て、信じることを、ただ真っ直ぐに。
一度やると決めたからには、覚悟をぐっと決めてやり遂げたい。
そしてそのためには、健全なココロとカラダ。
音楽や映画、気の置けない仲間との交流や、まったり健康ランド
そして、最強の味方、きょんくん
私にはたくさんの元気の素の引き出しがある
ココロのケアは、だから万全
カラダのケアは・・・
残念ながら毎日終電の日々では頼みの鍼灸院には行けなくなる
規則正しい生活を心がけるのみ、だね
新年に向かい、ちょいと気が引き締まる思いの年の瀬です
新たな職場でお仕事開始。
初日。そして同時に仕事納め
実質的には来年からになるんだけど、明日がその第一歩。
新しい事が始まる前、未知の世界への大きな期待とほんのちょっぴりの不安とでドキドキワクワク。
どんな出会いが待っているんだろう。
どんな出来事を経験するんだろう。
どんなときも、私は私。
『I am What I am』
常に、ありのままの自分で。
頭では分かっていても心がうまくついていかないとき
思うように気持ちが伝わらないとき
どんなに精一杯やっても自分の力ではどうにもならないとき
これまでもずっとそうだったように。
迷ったり、苦しんだり、悩んだり
笑ったり、怒ったり、悲しんだり・・・。
未熟者の自分なりに、しゃんと顔を上げて、まっすぐに見つめて
今この時をひたむきに歩いてゆこう。
今日はTSUTAYAで『Mr.レディー Mr.マダム』と『バードケイジ』を借り2本立て続けに観て、なんとなくまだ一昨日の『La Cage aux folles』の余韻に浸ってますへへへ。
市村ザザが歌ってくれた『I am What I am』そして『Best Of Times』を心の中で思い出しながら、明日一日頑張りま~す
小さい頃からの時代劇好き。
この季節のお約束「忠臣蔵」も、新旧問わず映画からドラマまで、様々な役者が演じるものを観てきた。
旧暦の12月14日。実際の討ち入りは深夜だから、実際に行われたのは新暦の1703年1月31日。
年こそ違え(当たり前か)、自分の誕生日というのもなんだか感慨深い。
痛快な復讐劇のようなイメージで捉えられがちの“仇討ち”、本来の武家の仇討ちは決して復讐ではないということを知ってからは、清々しさよりもむしろ悲哀を感じてしまうようになった。
仇討ちの赦免状は、仇討ちを赦すという意味ではなく、“仇を必ず討て”という上意であり命令。
決して肉親を討たれたことに対する憎しみや恨みなどの感情で成り立つものではない。
というのも、仇討ちが赦されるのは、親族の目上の者が討たれた場合のみ。目下の親族に対しては一切認められていない。
武士としての心得であり作法であるから、相手を許すからやらないとか討ちたいけど我慢するとかいう選択肢はない。成さぬは恥、なのだ。
むー
元々は親族に対するもので、主君に対してはあまり行われていなかったという仇討ち。
大石良雄(内蔵助)さんの心中はいかばかりだったのか・・・。凡人には知る由もないけれど。
『あら楽や 思ひははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし』
あまりにも哀しく潔いその生き様。そして辞世の句のこの不思議な穏やかさ・・・。
人の生き方について、忠臣蔵を見ながらいろいろと考えてしまうのです。
今夜は、田村正和サマのドラマ。どんな角度からどんな内容で忠臣蔵が描かれるのか・・・楽しみでありますっ
某派遣会社の登録帰り、ふと夕空を見上げると
大きくてまん丸なお月様が。
“うわぁ~、きれ~ぃ・・・”思わず溜息と共に言葉が漏れてしまうくらい美しく。
同時に、圧倒的な幸福感に包まれてなんだかちょっと泣けてきたりして
家に着いて月齢カレンダーで確認すると、明日が「望」つまり満月だから、今宵の月は完全な丸ではないのだけれど。
幸せって、本当にその人の心ひとつだなぁ。
まぁでも、こんな些細なことで心がシアワセいっぱいになるのもどーよ・・・と自分の単純さ加減に少々呆れる部分もあるんだけどね。
傍から、私のこれまでの人生を見てきた人の中には、もしかすると全く違った評価があるのかもしれない。
けれど、どんなに不器用で何度も同じ過ちを繰り返し、理性よりも感性や本能を優先して紆余曲折の人生を送ってこようと、自分のことを不幸だと思ったことは一度もない、というのが私の誇り。
むしろ、幸せで仕方がない。恵まれていると思う。感謝ばかりだ。
先は参考程度にぼんやりと眺めてみるだけ、見ているのは今しかない。
自分なりにベストを尽くして、やれることはとにかくやってみて、ある一定のところまで来たら、あとは神様の手(運命)に委ねる。
進むべき道は必ず開かれるし、身の回りに起こる事には全て意味がある。
愛する人、大切な人には常に丸ごとの私で向かい合う。
もしもそれでダメなら、悲しいけれどそこまでの縁。深追いはしない。
それはお仕事も一緒。
登録で、ひょっとすると1件お仕事を紹介してもらえるかもしれないことになり、今はまな板の上の鯉の心境
とにかく今は、社会での自分の居場所を探したい。
そのためには、心身ともに磨いて、もっともっと豊かな人間にならなくちゃね
・・・ベランダに出て、美しく光る月を眺めながら、気持ちを新たにするあひょです