不本意ながらもあひょ腹の中で秘かに飼っている、“きのこ”(大腸ポリープ)。
明日は経過観察のための内視鏡検査なので
久しぶりに朝から検査食なんぞ食べております。
で、ふと
“そういえば初めての検査の時はネタとしてブログにUPしたよなー”
と思い出し、
あれはいつだったけか?と、珍しく自分の昔のブログを読み返してみました。
5年前だったんですねー。
当時はこんな感じでした。(ちなみに今日食べてる検査食はほぼ同じモノ。)
なんだかちょっと懐かしくて
しばしの間、他の記事もずるずると読み耽ってしまったのですが
突然、ハッ!と、ある事実に気付きました。
なんなんだろう。
昔の記事から発せられる、この溢れるパワーは。
たった5年しか経っていないのに・・・。
今とは明らかに違う、イキイキとした雰囲気。
まるで別人のように
喜びと耀きと純粋な感動に満ち溢れている日々。
現在と比較すると、明らかに違うのです。
明るさというか、瑞々しさ、というか。
まるで迷いなくスコーンと突き抜けている、力強さが。
・・・むむぅ・・・。
思えば、40歳を過ぎたあたりから
肉体のいろいろな変化を少しずつ実感し始め
気持ちの上での年齢と、身体の年齢との格差をとても強く感じるようになり
その違和感をずーっと抱えたまま過ごしてきたような気がします。
そして、時折浮上する、得体の知れない心細さ。迷い。
髪や肌や体型に、じわじわと忍び寄る老化の影。
“気持ちはまだこんなに若いのに。嫌だよぉ。まだ落ち着きたくないよお。どうして身体だけ先に年を取ってしまうの?”
焦りやとまどい、変化してゆく体調への不満、不安・・・。じたばた、じたばた。
いつのまにか、心の深いところに、少しずつ、静かに沈殿し始めた、負の感情。
現実から少し目を逸らして、或いは自分の殻を作ることで、
なんとか誤魔化して折り合いをつけてきたような、ちぐはぐな感覚。
“まだ、変わりたくない!年を取るのは、嫌だ!!”
・・・本音、炸裂。
そんな、加齢と言う宿命、自然、逃れられない現実を
受け入れられずに抱え込んでしまった悶々とした気持ちこそが、実は
心のしなやかさや若さを奪っていった、一番の原因なのかもしれません。
肉体ではなく、気持ちの老化・・・?
ま、2007年といえば、私にとっては大きなターニングポイントであり
変化に満ちた始まりの年だったので
それゆえのテンションの高さもあったのでしょう。
それに、2008年の結婚、2009年の福岡転勤という大きなイベントも
考え方や感じ方を大きく変えてゆくきっかけではありました。
そんな経験を経て、今の自分が、未熟者ながらも年相応の落ち着きを身に付け始めた、ということもあるでしょう。
ただ、
「たとえ年をとっても、
しなやかな感性はいつまでも磨いていたいし、純粋な感動を実感し続けたい。」
そんな思いだけが独り、いたずらに先走りしてしまっていた気もするのです。
本当は。
人は年を重ねてゆくけれど
心(魂)の年齢は、肉体に惑わされるものではないはず。
だから
身体の衰えをことさらに意識し、嘆くそのネガティブな心こそが
自ら若さを減らしていく一番の元凶だったのでは・・・と。
今さらですが
心の若さと、身体の老いとは、何の関係も影響もないのだ、と
初めて、実感として、深く理解できた気がします。
・・・と、ここまで書いてググッたら
ありましたね!まさにドンピシャなニュースが。
『ネガティブ思考は老いを早める』
ホント、そうなんですなぁ・・・。
で、ああ、そうだと。
以前も書いた、マザー・テレサの、この言葉が
脳裏に鮮やかに甦り・・・。
思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい それはいつか運命になるから。
これもまさに、暗示だったのですなぁ・・・。
「気付き」と「受け入れること」の大切さ。
そのことに思いがけない形でガツンと気付かされた、あひょでした。