会社で採用の仕事をするようになって、約2ヶ月。
以前の会社でもずいぶん長い期間人事にいた私だけど、やっぱり、採用は苦手だ。
人の気持ちや心、考え方の違い・・・。
本当に難しい。
何気なく相手に対して口にした言葉が、思いもよらぬ力で相手を励ますこともあれば、思ってもみなかった風に解釈されて相手のプライドを傷つけ、泣かせてしまったり・・・。
言葉って、本当に難しい。
特に最近、メールという存在を怖く感じることも多くなった。
退職や、入社の辞退、そんな大切なことさえ、メールだけで済ませようとする人もいる。(連絡をくれるだけマシという説もあるけれど^^;)
かつては、電話が、使い方によっては独りよがりの一方的なコミュニケーションのツールになりかねない危険性を指摘されていたけれど、最近はメールのほうが恐ろしいと思うことがある。
少なくとも、電話には、相手の「声」があり、「気配」があり、「息遣い」がある、なによりも相手の考えが言葉としてリアルに返ってくる。
ブログだって同じだ。私にとってここに書かれている記事は、「嘘ではないよ。でも本当のことだとも限らないよ」という心遊び・言葉遊び的な要素も多い。実際の私を知っている人から、「実物とは別人みたいですね」と言われることもあるくらい。
ブログを本音綴りの日記代わりに書いている人がかなり多いのだろうけれど、私の場合は自分の気持ちすらあえて面白おかしく茶化して書くことも多い。深刻な内容なら余計にそうかもしれない。ブログは多面体である私という人格の1面だと、そう位置づけているのだけれど・・・。このブログでさえ、思いがけないところで思わぬ人に影響を与えることがあるのかもしれないと思うと、余計に怖くなってしまう。・・・本当の本心を吐露すると、一体どんなことになってしまうのだろう・・・・。
大切なことは、やはり、相手の状況を思い遣り、実際に会って、顔を見て、目を見ながら、生きた言葉で相手と向かい合い、お互いの気持ちに寄り添って話をすることが、相手に対する思い遣りであり、優しさであり、大人のマナーだと思う。
自分が発する言葉によって相手が受ける心の動揺や悲しみを少しでも考えることができるなら、一方的な電話やメールによるトラブルは少なくなるかもしれないのに・・・。
その人が何を考え、どう感じているのかは、その人にしか分からないことだと思う。
いろんな人と面接を重ねるにつれ、その思いはますます深くなる。
自分の気持ちをだけをぶつける一方通行の言葉は、相手に対する思い遣りなどない。
心して言葉と向かい合わなきゃ・・・そう思う痛感する今日このごろです。