セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

ひとり散歩

2009-08-01 | セカンドライフ
今日から8月に入った。
真夏にしては気温も低いし夕べから何処かを歩かなければ勿体ない気になっていた。
そうだ寅さんの柴又帝釈天にでも行っておだんご食べて来ようー。
帝釈天近辺のグルメ情報をプリントして出かけるモードに入っていた。

その瞬間がはっきりしないのだけどお気に入りに入れてある方のブログを見てしまった。
入間市の方へ飛んでみると下記の事が載っていた。
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日 時  平成21年8月1日(土)  12:30~開場、13:30~開演
●会 場  入間市産業文化センター
●内 容  第1部 表彰式 (約1時間)
       第2部 近藤仁美ピアノ&トークコンサート
            「癒しのひとときをあなたに…<テーマは愛>」
             ~韓国ドラマ・映画音楽・シャンソン・タンゴ~
            ◆ゲスト歌手 たきれいこ

※手話通訳・要約筆記がつきます。
ぜひみなさんでお出かけください。

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特に2部の部分をどうしても見たくなり行き先変更ー。
1人で行動するってこんな時便利。
駅まで行っても方向を変えたり自由自在なのよね。

柴又は逃げるわけじゃないから又にしようと決心。
西武新宿線であっと言う間に入間駅に着き会場へ・・・・・

1部が始まったばかり。手話通訳担当さん頑張っていました。
要約筆記(OHP、聾者の為の手書き表示)の方も3人で必死に書いている。

手話通訳の表現より要約筆記(ヨウヤクヒッキ)は(書いた物をライトでボードに映し出して
いるが)1分間で書ける量は決まっているので大変な作業である。頭が下がる。

どこの自治体でもボランティアの皆さんが活躍されているんだなーと感心。

2部のピアノコンサートは本当に案内通り癒される内容だった。
ピアノは韓国ドラマの曲をメインで演奏。
近藤仁美さんのピアノは情感豊かで素晴らしい演奏でした。
特に韓国ドラマは旋律の奇麗さが際立っているが、まるでドラマを見ているかの様に
切なくなり胸が一杯になった。息を止めて聞き入った。

近藤仁美さんはピアノの他にトークも素晴らしい。
準備を万全にしてあるらしく言葉選びもスマートだし韓国のドラマの説明などを付け加えながら会場の皆さんの気持ちを掴んでいた。

声のトーンといいトークのうまさといい魅力一杯の女性だった。
衣装も韓国の民族衣装を着こなし雰囲気も盛上っていた。

2部後半に歌手のたきれいこさんが友情出演し「愛の賛歌」「愛のままで」を熱唱された。
衣装を着替えた近藤さんと息の合う所を見せてくれた。

近藤仁美さんはしっとりと、たおやかでクールな感じ。
学生時代、沢山の思い出を共有したと言う歌手のたきれいこさんは大輪のひまわりの様な華やかな存在感のある方。
2曲しか披露されなかったが会場ではアンコールの拍手が止まなかった。

ひとり散歩を急遽変更したお陰で、楽しく心から癒されるコンサートに出会えた。
ブラボー

若田光一さん帰還

2009-08-01 | セカンドライフ
若田光一さんが7/31、4か月半の滞在から無事帰還された。
記者会見を通し元気度をアピールした。超人です!

日常、宇宙に余り関心の無い私だが、やはり日本人が搭乗する様になってからは
私と言うより日本人全体が関心を寄せる様になった。

今迄何人かのエリートさんがNASAに関与したが中でも若田さんは究極のベビーフェイスで庶民的。
可愛い、いつもどんな時も笑顔を絶やさない。少年の純粋な心満開。
日本人向け放送でも丁寧なリポート+笑顔が素晴らしかった。

少年の様な笑顔を絶やさず活動を続ける姿は宇宙から遠い世界に居る私にもずんずん入り込んでくる。
いつも穏やかで感情をコントロールできる完成されたお人柄、好感度は上がるばかり。

沢山の実験を携えて活動の日々、私は「無重力空間でネジを回す事が出来るか?」が
楽しみだった。
「ネジを回すのは重力に関係無いから(指先でドライバーを回すのだから)OKでしょ」と
自信を持っていたけれど結果は「NO」だった。
今でも不思議。

で、皆既日食の時はどうだったのか?聞きたいなー。
太陽と地球の間に月が入るわけでしょ?その瞬間の月はどうだったのか?
地球は真っ暗になり気温さえ下がったのだから、月に影響が及ばないわけはないと
・・・・・
全くの素人が疑問に思うわけで・・・・

しかし笑顔の若田さんは皆に夢をふりまいてくれる希望の星です。

友からのメール

2009-08-01 | セカンドライフ
昨夜仙台の友達(元会社の)からメールが入った。
元仙台支店長で東京でも支店長としてお世話になった方が亡くなったと。

未だ69歳。平均年齢からしても未だ早い、お若い。
お酒と麻雀が大好きで又多趣味な方だった。多芸多才で楽しませても頂いた。

仙台支店の発展のために尽力された事は社内でも有名だった。
全支店でトップの成績を誇っていた。

不信の他支店では「仙台支店に食べさせて貰ってるんだよね」なんて
苦笑いしたものだ。

お通夜には東京からも元同僚や独立して青森で成功している仲間達も顔を出し
冥福を祈っていたと。
ー合掌ー

退職をして数年経つが、あちらこちらから知り合いがお悔やみに集まると言うのは彼の人徳。
友達は彼女の亡きお父様に顔がよく似ていて涙が止まらなかったと。

思えば彼女のお父上が病に侵されている時、一緒に香港に行き何か良い薬は無いかと
探し回った事が有る。
必死で探し求め確か1万円位の薬が見つかったと思う。
そんな努力も届かず残念な結果になった事が昨日の事の様に思い出される。