赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

②中国を抑えるための日本の戦略 

2023-11-07 12:00:00 | 政治見解




②中国を抑えるための日本の戦略 :231107の2情報

午前からの続きです。著者の許可を得て掲載しています。)


■5.「国の大きな運命を誤った満洲進出」

この英独関係が、ユーラシア大陸の反対側の日中関係に似ており、日本の進むべき道は100年前のイギリスが教えてくれている、というのが、北野氏の指摘です。

まず、日本とイギリスの類似点を見てみましょう。地政学から見れば、日本もイギリスも共に「外周の半月弧」に属しています。しかも、日露戦争、第一次大戦と、日本は日英同盟のもとでイギリス側について戦ってきました。

その後、韓国併合、満洲建国と日本は大陸に進出して、ランド・パワーになろうとしました。これはロシアの進出に備えて緩衝地帯を作ろうとした戦略ですが、このあたりからイギリスとは異なる道を歩み始めます。

北野氏は「水の抑止力」に頼って、あくまでもシー・パワーに留まるべきだった、と主張しています。この点は、筆者も同感です。日露戦争後のポーツマス講和条約の結果、日本は南満州鉄道の租借権を獲得しましたが、アメリカの鉄道王ハリマンが協同経営を持ちかけてきたのです。

鉄道と付属施設はアメリカが買収し、日本は所有権をアメリカと折半する、という条件で、国富を使い果たしていた日本にとっては渡りに船の好条件でした。伊藤博文、井上馨の両元老とともに、首相の桂太郎も賛成でした。

この案件は、「満洲は日本の勢力範囲におくべき」と信ずる外相・小村寿太郎の反対で没になりましたが、もしアメリカがこの時、満洲に足がかりを持っていたら、その後の歴史は大きく変わったでしょう。アメリカが中国進出を狙って、日本を敵視する政策をとることもなかったでしょう。

外交評論家の岡崎久彦氏は、こう語っています。

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いまとなってみれば、日本としては、ハリマン提案を受諾しておくことが正解であり、(JOG注:満洲を日本の勢力範囲におこうという)小村の術策は、国の大きな運命を誤ったというべきであろう。[岡崎、p359]
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として、日米戦争の遠因となったと述べています。

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日本は、日露戦争までアメリカと非常にいい関係でした。日本、イギリス、アメリカの三国は、シーパワー(海洋国家)同盟のような状態だった。日本が、朝鮮半島、満洲に進出しなければ、「日米英のシーパワー同盟で、ソ連の進出を止めよう」となり、協力関係がつづいていた可能性もあります。[北野、p43]
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という北野氏の指摘は、同意見の歴史家も少なくないようです。大東亜戦争は近代日本の唯一の敗戦でしたが、それは地政学を無視した戦略に走ったからでしょう。


■6.ドイツの3B政策と中国の一帯一路

一方、21世紀の中国は20世紀初頭のドイツと似ているのでしょうか? まず、地政学的位置はドイツと同様、ハートランドであるロシアに外接したリムランドに属します。

歴史的に見ても、鄧小平から江沢民、胡錦濤までは平和的台頭路線を堅持していました。そして、中国は豊かになれば民主化する、という夢をばら撒いて、巨大な国内市場を餌に、西側企業の投資を惹きつけていました。このあたりはビスマルクの内に力を蓄えながらも、外には打って出ない路線とそっくりです。

しかし、中国は密かに「中国共産党革命100周年にあたる2049年までに、世界の経済・軍事・政治のリーダーの地位をアメリカから奪取する」という野望を秘めていたようです[JOG(937)]。

習近平の時代になってから、急に爪を剥き出しにしました。「一帯一路」というスローガンのもとに、中国からヨーロッパにつながる陸路の「一帯」と、中国沿岸部から東南アジア、南アジア、アラビア半島、アフリカ東岸を海路で結ぶ「一路」を唱えました。

ちょうどヴィルヘルム2世が「世界帝国」を目指して、「3B政策」(ベルリン-ビザンチン(イスタンブール)-バグダッドを鉄道で結ぶ)を目指したのと似ている、とは北野氏の指摘です。

ドイツの3B政策に対して、当時の覇権国家イギリスは「3C政策」、すなわち南アフリカのケープタウン、エジプトのカイロ、インドのカルカッタを鉄道で結ぶ、という計画を持っていました。

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当時の覇権国家イギリスは、ドイツの3B政策を許しませんでした。この3C政策と3B政策の対立が、第1次世界大戦の原因になったのです。同じように現在、中東から自国につづく海路を支配したい中国が、アメリカの世界制覇に挑んでいる。それが、現在進行中の米中覇権戦争の原因になっています。[北野、p67]
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■7.日本の対中戦略は?

ここでアメリカの地政学上の位置づけを見ておきましょう。

「アメリカはユーラシア大陸に対するイギリス」とはアメリカの地政学者ニコラス・スパイクマンの見方です。確かにアメリカは、ユーラシア大陸から見れば、イギリスの向こう側にあるもう一つの、より巨大なシーパワーです。

第1次大戦でイギリスが勝ったのは、ドイツ包囲網を築いたことと同時に、なによりもアメリカの参戦を勝ち得たことでした。第2次大戦においても、イギリスはドイツの空襲を受けるまで追いつめられていましたが、アメリカの参戦により、なんとか最後の勝利を収めました。

スパイクマンは「アメリカの安全を脅かすような強力な国家や同盟が、ユーラシアに登場するのを阻止せよ!」という警告を残しました。第1次大戦ではドイツを降伏させ、第二次大戦ではドイツと日本を屈服させ、冷戦ではソ連を崩壊させたのは、この戦略の忠実な実行に見えます。

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現在、私が「東洋のドイツ」と呼ぶ中国が、アメリカの安全を脅かす国になっています。アメリカは、スパイクマンの教え通り、中国の力を削ぐことに全力を尽くすでしょう。これは、明らかにアメリカの存亡にかかわる大問題だからです。[北野、p112]
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台頭する中国の覇権を防ぐ事は、アメリカの生存に関わる課題であり、いざ国難となれば、支持政党に関係なく挙国一致体制をとれるのが、アメリカの強みです。したがって、次の大統領が誰になろうが、アメリカの打倒中国の決意は変わらないでしょう。

この状況で、日本はどう振る舞うべきか。

以上の地政学的考察を踏まえれば、日本がとるべき戦略はあきらかです。第1次大戦時のイギリスと同様、シーパワーとして、アメリカとの同盟を堅持して中国と対峙しなければなりません。

アメリカは大西洋をはさんでイギリスの背後に控える最強シーパワーであるとともに、太平洋をはさんで日本の背後に控える最強シーパワーでもあります。基本戦略はアメリカと組んで中国と対峙する事で間違いありません。

ただし詳細を見れば、様々な攪乱要因があります。

たとえば、国際金融資本はどう動くか、インドはどうか、台湾は独立に向かうのか、日本はアメリカの同盟国として義務を果たせるのか、等々。-これらの点を北野氏は明快に説いていきます。日本の進むべき道を具体的に考えたい人には、ぜひ参考にしていただきたいと思います。



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①中国を抑えるための日本の戦略

2023-11-07 00:00:00 | 政治見解



①中国を抑えるための日本の戦略 :231107の1情報


遡ること約20年…。急速に経済が発展し「世界の工場」と呼ばれるまでになった中国。その後も、「アメリカを追い抜き、21世紀は中国の時代になる」、メディア、経済系シンクタンクなどあらゆるところでそう言われました。

しかし、2005年に「中国の経済成長は2020年くらいまで」と予測し、正確に的中させた人物がいます。当ブログに再三登場していただいている伊勢雅臣氏は、『日本の地政学』を著した北野幸伯氏をそのように評しながら、「中国を抑えるための日本の戦略」について考察しています。

歴史的事象を踏まえての考察と解説です。伊勢氏の許可を得て掲載いたします。



★地政学で対中戦略を考える ~ 北野幸伯『日本の地政学』を読む

地政学的に見れば、21世紀初頭の日中関係は20世紀初頭の英独関係にそっくり。台頭するドイツを英国はいかに抑えたのか?


■1.20世紀の英独関係は、21世紀の日中関係

北野幸伯氏の『日本の地政学』がとにかく面白い。今回は、その中でも特に地政学を応用して、21世紀に台頭しつつある中国を20世紀のドイツの台頭になぞらえて、対中戦略を論じている部分をご紹介しましょう。

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ドイツは1903年、欧州最強になっていました。ドイツはそれ以前、比較的平和な態度をとり、力を蓄えてきた。ところが、「俺たちは欧州最強になった!」と認識した後、アグレッシブになっていきました。「東洋のドイツ」である中国も、同じような行動をとっています。[北野、p74]
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20世紀初頭に欧州最強になったドイツを倒したのは、軍事的経済的には劣勢となっていたイギリスでした。英国はフランス、ロシア、アメリカ、日本を味方につけてドイツを打倒しています。

地政学的に見れば、ユーラシア大陸西側の大陸国ドイツと島国イギリスは、東側の中国、日本に相当します。とすれば、台頭する中国を軍事的経済的に劣勢な日本が抑えようとすれば、イギリスのように周辺国との同盟によって対中包囲網を築く、という大戦略が描けます。

北野氏の著書は、この大戦略を、具体的な政治経済状況で肉付けしていくのですが、その内容は同書を直接読んでいただくこととして、本稿ではその導入として、20世紀の英独関係が21世紀の日中関係に相当するという地政学的な見方をご紹介していきましょう。

それ自体、20世紀前半の地球史を明快に描く優れた歴史観だからです。


■2.ランドパワーとシーパワー

地政学の父と呼ばれているイギリス人地理学者ハルフォード・マッキンダー。彼の世界観では、ユーラシア大陸の中心部「ハート(心臓)ランド」がロシアであり、それを半月弧で囲むのが「リム(周縁)ランド」の欧州、中東、インド、中国。

さらにその外周の海に浮かぶ半月弧がイギリス、オーストラリア、日本、アメリカ、カナダです。

このうち、ハートランドは陸軍中心のランドパワーであり、外周の半月弧は海に囲まれて海軍中心のシーパワーとなります。その間のリムランドはランドパワーにもなれば、シーパワーにもなる「両生類国家」です。

外周の半月弧は、リムランドとは海で分断されているだけに、ハートランドやリムランドから攻撃されにくく、攻撃もしにくい、という特徴があります。これを「水の抑止力」と言います。

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そのこと(JOG注:水の抑止力)を知っていたイギリスは、もっともパワーが強かった時でも、「欧州全土を征服しよう」といった野望は持ちませんでした。イギリスは、軍事力、技術力で圧倒的に差がある欧州以外の国々を攻め、どんどん植民地にしていった。しかし、すぐ近くにある欧州を支配しようとは考えなかったのです。[北野、p38]
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イギリスは対リムランド防衛のために、欧州のバランス・オブ・パワーを維持する戦略をとりました。欧州内で一国が強くなりすぎると、他国を支援して対抗させたのです。こうしてイギリスは「七つの海を支配する大英帝国」を築いたのですが、それはこうした地政学的に正しい戦略を持っていたからでした。


■3.イギリスにシーパワーで挑戦したドイツ

欧州をバランス・オブ・パワーでコントロールするというイギリスの戦略を時代遅れにしたのが、ドイツの勃興です。19世紀末のドイツは産業革命において、イギリスに追いつき追い越しつつありました。当時の最先端産業であった化学分野ではドイツの優位は決定的となっており、また軍備に不可欠の鉄鋼産業もドイツの優位は確立されつつありました。

その原動力として、ドイツの大学は科学、工学などの研究でイギリスの大学よりも進んでおり、一方、イギリスの経営者は科学技術に無知だったのです。

しかし、1890年まで首相を務めたビスマルクは、ドイツ統一を成し遂げて、こうした躍進をもたらしたものの、それ以上の拡張主義は内政と外交のトラブルを増やすだけと考えていました。そこで巨大な力を蓄えながらも、イギリスには挑戦しなかったのです。

ビスマルクを信任していたヴィルヘルム1世が亡くなってから、転機が訪れます。後を継いだ孫のヴィルヘルム2世は1890年にビスマルクを解任します。10年ほどはビスマルク路線を継承しましたが、植民地再分配を狙ってイギリスを凌駕する海軍力を目指します。

リムランド国家としてランドパワーを誇っていたドイツが、両生類らしく、シーパワーも目指し始めたのです。


■4.ドイツの野望を打ち砕いたイギリスの「外交革命」

ドイツの海軍力増強を脅威に感じたイギリスは巧みな外交によって、ドイツ包囲網を築きます。まず1904年には、それまで最大の仮想敵としていたフランスと和解し、「英仏協商」を結びました。ロシアとは日露戦争後の1907年に「英露協商」を実現しています。

一方、イギリスは1902年に日本と日英同盟を結んでいます。これは対ロシアを目的としており、日露戦争の日本勝利に大いに貢献したのですが、対ドイツの意味合いもあったようです。確かに、その後、第一次大戦で日本が地中海艦隊を派遣したり、中国大陸や太平洋諸島からドイツ勢力を一掃したことを考えれば、対ドイツという戦略もあったのでしょう。

さらに、元植民地アメリカとは独立戦争で8年半も戦って以来、あまり良い関係ではありませんでしたが、1898年の米西戦争でアメリカ側についてから友好的な関係に入りました。これら一連の外交により、イギリスはフランス、ロシア、アメリカ、日本によるドイツ包囲網を築くことに成功したのです。

その後の第一次大戦は、まさしくドイツとその周辺国 対 イギリスが構築した包囲網の戦いになりました。イギリスのシーパワーに挑戦して植民地帝国を作ろうとしたドイツの野望は、イギリスの巧みな外交戦略によって打ち砕かれたのです。


(午後に続く)


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