今、アジアが有する国の数以上に 更に多い56ケ国をも
有するアフリカが俄然、注目されています。
人口も10億を超え、面積も日本の約100倍もある大陸
へは、私たちも、疎遠でした。
しかし、アフリカへの中国の進出は突出しています。
ヒトもカネも過剰と思えるほどの「投資」を続けています。
現在もアフリカからの留学生が 私たちの北京でのキャンパスに
は大変多く学んでいます。
私費留学生というよりは(政府系の機関から派遣されて経済や
観光を一緒に学んでいます)。
国の数が50以上あるということは、アジア以上です。
しかし、今回、52か国が集まった横浜でのTICAD会議ですが、
日本も、今後はカネばかりでなく、ヒトと文化と交流こそが重要
です。 いわんや、人口も40億、そして48か国を有する
アジアとは当然のことながらより深い交流を持つべきです。
アジアとは当然のことながらより深い交流を持つべきです。
それにしても、日本の外交、特に政治家たちも、狭い日本で、狭い範囲
の中で、領土だ、防衛だと言っていますが、このような問題こそ、もっと
外に飛び出し、本来の政治活動と開校を唱えるべきです。
井の中の蛙~梅雨を迎えた今、やはりもっと外へ飛び出さないと!
政治家も我々も・・・・・!
(↓ 二外での留学生・・・・)
↑ キャンパスでの留学生・二外
↑ 5地域、10億人、3千万平米の・・
>政治家が、その言葉で失敗したり、問題をおこすことは古今、数多い。
>特に最近は、それが目立つ。例えば、アベノミクス効果で好調な経済を演出し、今や圧倒的な支持率を誇る安倍首相は、歴史認識問題で米国や韓国の不興を買い、その言葉をトーンダウンさせた。
>また猪瀬東京都知事は、アメリカのメディアのインタビューで、オリンピック招致のライバル都市を貶めることを言ったということで謝罪に追い込まれた。
>さらに橋下大阪市長、日本維新の会共同代表は、従軍慰安婦について誤解を与えるようなことを言い、また沖縄駐留米軍に風俗業の活用を進言したということで問題になっている。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
日本人は文章を熱心に作らない。文章を作ることは、考えを練る事に通じている。
英語には時制がある。文章を作らなくては、時制が表せない。だから、文章にして語ることは重要なのである。
日本語には時制がない。文章は常に現在時制 (現実に関すること) に定まっているようなものである。だから、単語だけのやり取りで、ことが足りるものと自他ともに思っている。
そのため、政治家となって、外国人と理想 (非現実) の話もできず、何を言っているかも理解されず、そのために国を過ちに導くことも多い。