今なお多くの父兄たちが地方政府に押し掛ける。
その真相を探る第2弾として、 ここに記したい。
私も地震から3か月後に言質へ赴き驚いた。
既に新しい町が出来上がっていて、 横断幕、垂れ幕
も出現し、 その復興ぶりを高くアピールしていた。
確かに町全体では復興が第一だ。
そして何よりもその現地で尚もクラス人々の存在だ。
今、すっかり観光地化している地震発生地であるが、以前、
私達が、そして学生たちが提唱していた黒色観光~その悲惨さ
を後世に残し、その場をいつまでも代々に残すことが重要で
あるという「黒色観光~Dark Tourism]の精神
はもはや全く生かされておらず、将に商売のための黒色観光に
なってしまっている。
この点は、地方政府も、私たち全員が心にとめるべき課題だ。
2008年5月12日。あの大地震は起きた。
当時の様子は各種報道などで現場の様子も大きく画像で、
メディア等で流れた。
地震後の3か月後、私達は地震発生地区へ赴いた。
そして 年を経た2012年には、新しい四川地区北川へも。
小学校も訪問 2008年8月下旬・・・。
2008年5月12日。あの大地震は起きた。
当時の様子は各種報道などで現場の様子も大きく画像で、
メディア等で流れた。
地震後の3か月後、私達は地震発生地区へ赴いた。
そして 年を経た2012年には、新しい四川地区北川へも。
綿陽にて下車し、地震で被害を受けた北川地区へ。
今、テレビでも繰返し報道されているように、被災し
た一部の地区は、町ごと新しい土地へ移動した。元
の被災地区は、今や新しい観光の土地として売り出し
中でもある。成都等からも観光バスがやって来る。
被災から10年・・街は完全に変わった。
移転先の街の商店街では新しい店舗で早速商売の
開始が。。。中国故にこのような大胆な発想で復興を
進めてきたものと思われるが、日本はどうか。。?
まだまだ、時間はかかりそうである、日本のとうほくでは。
しかし、中国では被災地や学校関係で大きな議論も起きている。
いわゆる、真実を探ろうとする地元民に対しての公安の口封じ
の実態である~後者の構造や被災者数等に関してである。
日本では全く考えられないが、様々な疑惑隠しが今なお続いて
いるという実態もある。
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