幸せの実感は個人によって様々である
京都に来て3週間、この決断は果たして私を幸せへと導いてくれるだろうか?
その答えは、私の行動次第で幸せの実感も捉え方一つである。
人間はいつも幸せを実感して生きて行くことは難しい。
幸せと不幸の繰り返しで生きているようで、そのどちらが多く感じたかは大した問題でない。
何故なら、幸せと不幸はそう感じる個人の物事の捉え方や価値観によって違うだからだ。
例えば、金欲や物欲、失うことの辛さ、病気等で健康を害した時、これらも個人によって捉え方は様々である。
どちらかというと、幸せも不幸も世間一般や他人と比較しているところがある。
生まれて死ぬまで幸せのままに暮らせる人はいない。
今こうして生きていて、なんとか生活できていることに幸せを感じる人。
更にお金を手にして自由で満ち足りた人生を送りたいができないと嘆いて不幸と感じてる人。
感じ方は本当に個人によって様々で、その基準もない。
つまり、人間誰もが幸せになりたいと思っている。
では,どう云う生活・生き方ができれば幸せだと実感できるのかを考えると、個人個人で感じ方はバラバラである。
毎日の生活の中で、殆ど変化もなく幸せとも不幸とも感じないこと自体、案外幸せな生活を過ごしているのかもしれない。
そう考えると幸せの実感は、ふとした時に何となく感じるものなのかもしれない。