いくつになっても潜在的な欲望がうごめく
僕の邪念の正体の一部に潜在的な「性衝動」があります。
僕の邪念の正体の一部に潜在的な「性衝動」があります。
七一歳の自分にそんな性衝動が浮かんでくるなんて、と思うことがあります。
しかし「いくつになっても邪念があってもいいではないか」と自分に言い聞かせています。
しかし「いくつになっても邪念があってもいいではないか」と自分に言い聞かせています。
それが生きるためのエネルギーの元になってるはずだからです。
性衝動には、自分以外を対象に向けられる所謂、人を愛するということ。
そして、もう一つは自分自身に向けられた自己愛があります。
そして、もう一つは自分自身に向けられた自己愛があります。
後者は「ナルシズム」といってもいいかもしれません。
自我の性衝動は、孤独の時間を作りながら独り立ちしていくうえでとても大切です。
対象的衝動と自我衝動とはバランスの中で成立してます。
対象的衝動と自我衝動とはバランスの中で成立してます。
孤独な時間を持つと自我衝動が強くなります。
七一歳になっても双方のバランスが不安定な状態にあると思ってます。
だから瞑想もマインドフルネスも苦手だと勝手に決めつけてます。
自分を愛することは本能です。
自分を愛さなければ、自分の本能を保つことはできません。
全ての生き物は、無意識の中で純粋に自分を愛し、自分を肯定して生きているのです。
だから瞑想もマインドフルネスも苦手だと勝手に決めつけてます。
自分を愛することは本能です。
自分を愛さなければ、自分の本能を保つことはできません。
全ての生き物は、無意識の中で純粋に自分を愛し、自分を肯定して生きているのです。