現代社会での「自由」とは選択
「人間的欲望の本質は自由である」と言ったのは、ドイツの哲学者のヘーゲル。
ただ本能のまま生きている動物とは違って、人間は必ず「自由」に生きたいと思って行動している。
人類の歴史はその自由を求める戦いの歴史そのものです。
しかし、現代をとりわけ先進国に生きる我々にとって「自由」の価値はその本質を失ってしまったようです。
つまり、現代の我々は過剰な「自由」の中で、むしろ酷く「不自由」を感じてしまうことがあります。
また、過酷な「自由」競争の中で我々は、しばしば惨めな思いを抱かされてしまうこともあります。
「自由」の名のもとに熾烈な競争を続けてきた結果、今や深刻な格差社会に至ってしまったのです。
「自由」は時には「平等」を破壊します。
所謂「自由」と「平等」の二律背反です。
現代の我々にとって「自由」は、もはや最高の価値ではなくなり、むしろ苦しめるものですらあり得るのです。
結局、現代社会の中で生きている以上、我々は「与えられる自由」や「勝ち取る自由」からの選択でしかありません。
その中から自分らしく生きるための本質の「自由」を掴み取ることは厳しいことだが大切なことなのです。