僕の過去について。
盛厨【もりちゅう】[名](国内サッカー)
東北リーグ・盛岡ゼブラのフーリガン。凶暴で負けるとすぐに監督解任を叫ぶ。
盛岡の試合でアウエーに有利な判定をした場合ブーイングをしまくる。
東北リーグが節構成を取らないことに立腹しネット上で節構成実現を訴えたりした。
他チームのサポにも厳しく、自作のサッカー通信で会員になるなら金出せと脅すことも。
東北サッカー界の問題児。
元ブランメル仙台サポータークラブだが小笠原満男の鹿島入りで路線変更した。
(以上出典:2ちゃん用語辞典)
確かに一時期は荒んだ感じだった。それでチームへのカンフル剤や革命実現の理想なんてことをしたのは、今思えば失敗だったかもしれない。
「過激な一匹狼」として暴れまくったのは1998~2002あたりだろう。当時はトーキンV2の胴上げを見て口惜しく思ったが、その後の凋落についても自分の中で憤りがあったのかもしれない。
だが、小笠原の成長や東北リーグの節構成実現、ここに書かれていないがグルージャ盛岡設立(以降のことも含む)、盛岡商業高校の全国高校選手権優勝など多々状況が変化したために、態度が丸くなってきた。
また、斉藤自身も岩手日報や盛岡タイムスにサッカーコラムを投稿しはじめ、最近では動画配信による岩手サッカー情報の発信にも力を入れている。
さらに街頭や電車内を利用した広告戦術も岩手では彼ぐらいだろう。
それらは岩手サッカーを盛り上げ、コンテンツ力を強化する(僕の今の理想は「岩手に強いサッカークラブを存在させること」だが、その強さは具体的に二つに分かれる。それについては後日)ための不断の努力である。そして、その成果は着実に県内外に影響力を及ぼすまでになった。
今があるのは、あの頃の若さゆえの過激な行動の反省があるからかもしれない。
「最近IRVって丸くないか?」
そう言われた。体もだが、態度も。
でもJを知らない盛岡人に対しては押し付けのJリーグの持込なんてやるより、自分たちのリズムでやる、身の丈で行動する。そのほうが盛岡人・岩手人は理解を示すはずだ。
そういう中ではJリーグ的な「上から目線」は排除すべきだろうか?その上で「競馬に取って代わる岩手の県民的なキラーコンテンツ」としてのサッカーを起こしたい。僕はそう考えている。
話が長くなったので、ここで切る。