「秋竜山の孤島(新・無人島)マンガ」原画確認と整理(整理その6)
(秋竜山漫画企画会議より)
昨年(2023令和5年3月6日)に「秋竜山」は天国に旅立ちました
今、マスメディアへ「未発表作品(原画)や発表済作品(原画)」等をせいりしています
今回の整理は「秋竜山の孤島(新・無人島)マンガ」(一枚マンガ)描き下ろし”総点数約2千点以上の作品”の中から、
この「秋竜山マンガ館」に公開済(その1~その390枚)の「秋竜山の孤島(新・無人島)マンガ」原画確認(整理)しました
秋竜山が力をこめて描き上げた一枚マンガの傑作となっています
約390枚の原画「その1~その390」までを順番に揃えながら涙がでていきました
<作品の記念(参考)を写真にパチリこんな感じです>
公開済の描き下ろし原画(その1~その390)B5画用紙に1枚(1コマ)孤島・無人島マンガの作品)は、スキャナーで取り込みハードディスクに保存してあるので安心しています
そして、その390枚の原画を順番に揃えていくと”約90%の原画が存在していることを確認”しました
(全原画を記念にパチリ写真に・こんな感じです)
約10枚ほどの原画は茶封筒(B5サイズ)に入れて管理(多くの茶封筒に)
<秋竜山漫画企画会議よりヒトこと>
画用紙B5サイズの原画は、1枚毎にスキャナーで取り込みハードディスクで管理していましたので欠番分が助かりました
過去に開催した孤島・新・無人島漫画の主なイベント ・1978年(昭和53年夏)「秋竜山の孤島漫画1千点展」 (東京銀座資生堂にて1ヶ月間・壁一面に1枚マンガ1000枚を展示!!) ・1995年(平成7年夏) 「秋竜山の新無人島漫画千展(原画展)」 7月8日~8月31日(東京板橋・アートスペースシモダにて、 1978年の孤島漫画から新無人島漫画に改題し、新たに 描き下ろしの新無人島漫画1,000点のうち、 500枚の原画を展示!!)
会場は笑いにつつまれ・一枚(1コマ)漫画の「笑いの醍醐味」が忘れられませんです
(以上・秋竜山漫画企画会議より)
秋竜山の今日のヒツジロー(1枚マンガ)原画確認と整理(整理その5)
今、未発表や発表済作品の原稿(原画)や掲載済み雑誌&単行本&文庫本等を整理しています
今回の原画確認と整理は、
ここでの「カテゴリー;今日のヒツジロー(1枚マンガ)」で公開済みの原画です
原画(カラー)のサイズは”B5”版です
公開順(表紙、その1~その58枚)にそろえて、全ての枚数があることを確認しました
(すべての原画を記念に写真にパチリこんな感じです)
「カテゴリー;今日のヒツジロー(1枚マンガ)」で公開済みの表紙&その58(最終)は下記にとおりです
今日のヒツジロー(1枚マンガ)
<今日のヒツジロー(1枚マンガ)表紙> 題:今日のヒツジロー表紙 秋竜山・秋竜山漫画企画会議 <ひとコト> このヒツジ(羊・キャラクター)が、紙面狭しと大活躍ナンセンスマンガで、笑いころげていただければ嬉しいです (秋竜山マンガ企画会議)
<今日のヒツジロー(1枚マンガ)その58> 題:「やっぱり牛肉はおいしいね」 秋竜山・秋竜山漫画企画会議 (作:秋竜山)
(以上 秋竜山マンガ企画会議から)
秋竜山の大型定置網寒ブリ漁(墨彩漫画・原画)を整理(整理その4)
もうすぐ一周忌をむかえることとなりました
今、未発表や発表済作品の原稿や掲載済み雑誌&単行本&文庫本等を整理しています
今回のせいりは「大型定置網寒ブリ漁/記録絵」漫画化”墨彩画(カラー)”を大きなサイズ画仙紙に描いていたものです
サイズは画仙紙69X136cmへ ←昭和30年前半頃まで・寒ブリ漁日本三大漁場の一つ(相模湾・静岡県伊東市)でした
現在のように機械化されていない、秋竜山本人が15歳から3年間従事していた昭和前半頃までの”大型定置網寒ブリ漁”の様子を”子供たちへ伝えたいと描いたい”との力作となっています
天国から”秋竜山”は見ていてくれてるかな
・大型定置網漁は地元では、”ねこさい”といってました 定置網寒ブリ漁の日本三大漁場とは、能登(富山湾)・岩手(三陸海岸)と相模湾と記憶しています
・秋竜山本人が従事していた漁場とは「相模湾(静岡県伊東市)」でした
寒ブリが大漁だった頃の大型定置網漁(機械化前)~寒ブリが大漁で村中が活気付いていた時代を新作約100点に描き下ろしていましたが、その原画は20点ほどしか見つかりません(どこかいあるはず)
その大型定置網寒ブリ漁(冬網)の漁師さんは約100人
冬の農閑期を利用して東北地方から働きに来ていた方が多かったですね
(その記録絵をデジカメでパチリ写真こんな感じですね高級カメラで撮りたい!)
秋竜山本人が大型定置網寒ブリ漁に従事した約3年間の漁師時代を振りかえり描いた
”大きなサイズ・画仙紙大サイズの原画は迫力ある作品”にしあがっています
↓①大型定置網寒ブリ漁「回ってイルドー・大漁だ!」
秋竜山・秋竜山漫画企画会議
↓②大型定置網寒ブリ漁「大漁だ!1万匹?それとも5千匹?」
➡秋竜山の大型定置網寒ブリ漁マンガ史・大型定置網漁(ねこさい)展(仮称)ができるといいなと思っています
”この墨彩画カラー画原”作品のサイズは
画仙紙69X136cm”大きいサイズ”のため広い展示会場が必要になりますね
個人での個展開催は困難?
<以上・秋竜山漫画企画会議からでした>
秋竜山の古川柳漫画・掛け軸(2点)を床の間に飾ってみました(整理その3)
今回のせいりは「古川柳漫画」、「俳句漫画(奥の細道)」や「大規模定置網寒ブリ漁/記録絵」等々”数多くの”墨彩画マンガ(カラー)”を大きなサイズ画仙紙に描いていた作品です
”秋竜山の古川柳漫画(墨彩画(カラー)”を「掛け軸(表装)にしたものを2点、床の間に飾ってみました
(記念にパチリ写真・こんな感じです)
古川柳 右側掛け軸➞「雷もすずめがなければしまいなり」
古川柳 左側掛け軸➞「鼻くそを何の気もなくまるめて見」
遠くへ行きたい(リポータ役:秋竜山)を懐かしむ
多くの漫画を描きまた、多くのエッセー等も書いていたなァ!と、見ながら思わず「クスッ・クスッ」しながらチェックしています
最近ラジオからの「浦島太郎伝説」を聴きながら
そうだ・・・秋竜山が以前(昔)日本テレビ「遠くへ行きたい」という番組のリポータ役で「京都の天橋立付近にある浦島太郎伝説を訪ね歩く」の放送を想い出しました
当時、その番組のロケは一週間程度だと聴いていました
浦島太郎伝説は全国あちこちにあると聴いていますが、京都の天橋立付近にある浦島太郎伝説はどんなのかな?と思いネットで調べていると・・・思いがけないことがわかりました
このロケで秋竜山が宿泊した旅館名がわかりました!!!
浅茂川浦島温泉 ”丹後旅の宿 万助桜 若大将ブログ「丹後は魅力の玉手箱」”
カテゴリー:日記「春・蛇・谷!(2013.3.13)」のブログで”竜山が宿泊”したことを確認できました
↓ 下記にそのブログより抜粋しました
今日は当館のお風呂に掛かるのれんをご紹介いたします。
丹後ちりめんで出来たのれんなんですが、男性が浦島、女性は乙姫です。
それぞれの、のれんの左下に浦島さんと乙姫様!
この絵を見て解る方はおられますでしょうか!
二十年ほど前にある漫画家がご宿泊され、サインをお願いしたところ、「サインより絵が良いでしょう!」と後日、絵をかいて郵送してくださいました。
それから当館の何かに必ず、この絵を使わさせていただいております。
この絵解りますか??
ヒントは、春・蛇・谷です! 答えは次回ブログで!
↓ 下記は万助桜!若大将ブログ「丹後は魅力の玉手箱」カテゴリー:日記「春・蛇・谷!(2013.3.13)」
万助楼若大将ブログ|万助楼は京丹後網野の浦島太郎伝説ゆかりの宿です (mansukero.com)
”万助桜!若大将ブログ「丹後は魅力の玉手箱」”
そして、次回ブログ「海底の味!!」(2013.3.18)記事で正解が発表されていました
正解=のれんを描いた「宿泊した漫画家=秋竜山」でした・・・
↓ 下記は万助桜!若大将ブログ「丹後は魅力の玉手箱」カテゴリー:日記「海底の味!!(2013.3.18)」
”万助桜!若大将ブログ「丹後は魅力の玉手箱」さん
ありがとうございました
昔テレビのリポーター役で”秋竜山”が宿泊した”丹後旅の宿 万助桜”さんを訪ねてみたくなりましたね
<秋竜山漫画企画会議よりひとこと>
万助桜!若大将ブログのブログから
ブログ公開日は”2013年3月”で、二十年ほど前にある漫画家(秋竜山)がご宿泊・・・
1013-20=1993年(平成5年)頃に宿泊したことになりますね?
ということは平成5年頃の日本テレビ送・読売テレビ系列の「遠くへ行きたい」を視ていたことになるのかな?
「当・秋竜山マンガ館」で公開済み”浦島太郎にかかわる”無人島ナンセンスマンガ”がありましたのでご参考に
<無人島1枚漫画・その187>題:「オヤ?あなた、どちらの龍宮城からですか」秋竜山・秋竜山漫画企画会議 <ひとコト> 日本列島のいたるところに浦島伝説がある。と、いうことは、そのぶんだけも浦島太郎がいたということだ。龍宮城もあったということ。浦島をのせた亀によってまちがって無人島ではちあわせになるということだ。どっちの浦島太郎も本格的であるということであるが、それだから困ったものだろう。(秋竜山)