不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Poesia Performance

2007-03-16 14:40:00 | 日記・エッセイ・コラム

小さい頃からことばの美しさが好きで
(といっても小さい頃に
それがわかっていたわけではないけどね)
自分でも詩人になろうと思ったこともありました(爆)。

ただし詩人になるほどには
感性が冴えていないので諦めたわけですが。

友人が「詩の朗読会」があるから
一緒に行こうと誘ってくれて、出かけてきました。
21:30から朗読開始ということだったけれど
私が会場である共和国広場の
老舗カフェ・Giubbe Rosseに辿り着いたのは22:00過ぎ。
それでも今まさに始まったばかりというところで
滑り込みセーフで朗読会に参加。

しかし「朗読会」ではなかったのよね。
「詩のパフォーマンス」だったのです。
詩を朗読すると聴いていたので、
イタリア語だし、夜も遅いし(笑)
きっと途中で睡魔に襲われるだろうなと
覚悟していましたがとんでもなく面白かったので
寝ている暇などありませんでした。

4組のパフォーマンスがあって
その中でもとっても印象に残ったのは
主催者だろうなと思われる白いきれいな髭を蓄えた
イタリア人男性の暗闇の中で光と音響を
駆使したパフォーマンスと
フランス人の狂気にも思える叫びのパフォーマンス。

どちらも心にズシンときましたよ。

この会に参加して改めて思ったのは
自分の心の中にあるものを
自分の言葉で表現して
そしてさらに色んな手段で伝えるというのは
人間の基本的欲求なんだろうなということ。

ささやきであれ、叫びであれ
心の中にあるものを外に出す行為って
時にはひどく苦しいけれど、
それをすることで新たな道が見えることって
やっぱりあると思うし。

4組のパフォーマンスは
それを芸術的活動のひとつと思ってみているから
何の問題もないけれど、
もし何も知らずに道端で見かけたら
単なる「ちょっと回路ずれちゃった人」の行為に見えなくもない。
そのあたりで私にはやっぱり
詩人の人生はできないかもなぁと思い直したのです(爆)。

日本には散文詩以外にも短歌や俳句といった
文化的に世界に誇れるすばらしい詩の形式があるのに
我々日本人(特に若い世代)がその価値を見出せずに
こうして海外で活躍している日本国籍以外の詩人には
ものすごく高く評価されているのが
以前からすごく気になっていることのひとつ。
学校教育での詩や短歌・俳句への接し方をもう少し工夫すると
日本でももっともっと受け入れ方が変わるだろうになぁ。

今回参加している人たちにも
とてもよく日本の詩を研究している人がたくさんいて
そういう人と同じ時間を過ごしたことで
また違う日本の文化を知るべきなんだなって実感。
質問されても答えられない自分が情けなかったのです。

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アジアとか(BlogPet)

2007-03-16 02:08:28 | インポート

それぞれが育つ環境や文化的&
社会学に繋がる部分はね
それぞれが育つ環境や文化の影響がからんでいるか
あとは、アジアとか
あとは、フィレンツェで友人宅とか加えて私の友人たちにまじめで興味深いもの
「美しい」
と感じる部分は似ているらしいのです
それに加えられると
まぁ、私にできることならばということで「美しい」
と感じる部分は似ているということでもある友人宅とか、日本を認識するみたい
と、albero4は考えてるはず。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「JellyFish」が書きました。