very インタレスティング! 村の先生の本、短編集だが、実にいい。中野重治の研究者でもあるのだが、その本より、前著の「風を入れる」の連作のようなこの短編集は、興味深くて、ついつい読み進む。
老境のペーソス、金沢で青春時代を過ごした思い出や人物、習慣や田舎文化が顔を出す。それが、我が身がみじかに迫った友人や親戚の死を通じて、いろんな思いを描いている。
私は知っているが経験がないのは、自分の両親や近い親戚が、あるいは友人や知人が「今夜は峠かも知れない」と家に呼び寄せられて、集まるという経験がない。これからも、経験することはあまりなさそうだ。自宅で、臨終を迎えるという、過去の日本の田舎では、当たり前だったことが、今では非常に少なくなっていることも原因の一つだと思える。
その上、生きている時から完全に脳があの世を彷徨っている状態になると、もはや、臨終の意味合いも非常に希薄になるから、そんな場に立ち会いたいなどとは思わない。難しいものだ。
老境のペーソス、金沢で青春時代を過ごした思い出や人物、習慣や田舎文化が顔を出す。それが、我が身がみじかに迫った友人や親戚の死を通じて、いろんな思いを描いている。
私は知っているが経験がないのは、自分の両親や近い親戚が、あるいは友人や知人が「今夜は峠かも知れない」と家に呼び寄せられて、集まるという経験がない。これからも、経験することはあまりなさそうだ。自宅で、臨終を迎えるという、過去の日本の田舎では、当たり前だったことが、今では非常に少なくなっていることも原因の一つだと思える。
その上、生きている時から完全に脳があの世を彷徨っている状態になると、もはや、臨終の意味合いも非常に希薄になるから、そんな場に立ち会いたいなどとは思わない。難しいものだ。