ついに、我が家のスーパー老人、父親にも、人並みに「その日、その時」がやってきた。午後5時40分頃、病室で気づかれることなく、静かに独りで息を引き取った。満100歳と4ヶ月近く。12時半頃、病室に顔を出すと、しきりに頭を書いていたので、病院提供の保湿クリームを塗ってやったら、気持ちよさそうにしていた。
で、酸素マスクどころか、点滴も嫌がるので脱水症状。脱脂綿に持参した砂糖水を含ませて、数滴口の中に落とすと、口をもぐもぐしていた。あれが死水になったかもしれない。
ちょうど1週間前に救急車で運ばれ、胸部CTを見ながら医師から「処置無し、持って3日」と「余命」を宣告されていたが、強い生命力で1週間持ったのだ。
昨年の今頃は、大雪の中、元気でデーサービスに出かけ、戻ってきていた。自力でトイレも行くし、布団まで片付けたし、自分で着替えして、石油ストーブまでつけたり消したり。急速に衰えが目立ってきたが、施設に入って、まだ10ヶ月にならない。
それにしても、永遠に死なないかもしれないと思わせるほどのパワーで生きてきた100年。過去写真で見る限り、100年は実に長い。驚くほどの変化の時代を生きてきたのだと、つくづく思う。
で、酸素マスクどころか、点滴も嫌がるので脱水症状。脱脂綿に持参した砂糖水を含ませて、数滴口の中に落とすと、口をもぐもぐしていた。あれが死水になったかもしれない。
ちょうど1週間前に救急車で運ばれ、胸部CTを見ながら医師から「処置無し、持って3日」と「余命」を宣告されていたが、強い生命力で1週間持ったのだ。
昨年の今頃は、大雪の中、元気でデーサービスに出かけ、戻ってきていた。自力でトイレも行くし、布団まで片付けたし、自分で着替えして、石油ストーブまでつけたり消したり。急速に衰えが目立ってきたが、施設に入って、まだ10ヶ月にならない。
それにしても、永遠に死なないかもしれないと思わせるほどのパワーで生きてきた100年。過去写真で見る限り、100年は実に長い。驚くほどの変化の時代を生きてきたのだと、つくづく思う。