山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

おぼつかなそれかあらぬか‥‥

2005-10-25 10:50:12 | 文化・芸術
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-今日の独言-

国際問題化するグーグル・アース
 衛星画像で世界中のポイントが詳細に見られる話題の「グーグル・アース」が、安全保障上の懸念など世界各国からクレームが続出し国際問題化してきている。衛星画像の解像度は国や地域によって異なるらしいが、インドでは防衛施設の画像まで見られるというし、韓国大統領官邸の青瓦台や、北朝鮮の寧辺の核施設も閲覧可能とのこと。HOTWIIRED JAPANによれば、グーグル・アースの神髄は、ユーザーがどんな地点にも標識を設け、注釈を書き、ソフトのユーザー同士で情報を共有できる-スクリーンショット-点にあるというのだが、ネット情報における利便性の急激な加速は、国であれ個人であれ保護情報を絶えず脅かしつづけ、予想だにしなかったような新しい危険に逢着する。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-16>

 夜もすがら重ねし袖は白露のよそにぞうつる月草の花
                                 藤原家隆


壬二集、逢不遇恋。月草は露草の別名。万葉歌にあるように「月草の花」で染めるのは色褪せて変わりやすいといわれている。また「着き草」の意味でもあり、花の汁を直接衣に摺りつけて染めたによる。邦雄曰く、「よそにぞうつる」の妖艶なニュアンス、第二句の間接的な表現、まことに心にくい、と。

 おぼつかなそれかあらぬか明暗の空おぼれする朝顔の花
                                 紫式部


続拾遺集、恋。詞書に「方違へにまうで来たりける人の覚束なきさまにて帰りにける朝に、朝顔を折りて遣わしける」とあり。第三句の「明暗-あけぐれ」はまだ明け初めぬ暗いうちのこと。第四句「空おぼれ」の空は、あけぐれの空と、空おぼれの掛詞、おぼれは、おぼほれの略で、とぼけているさま。
好い加減な理由を拵えて他処で一夜を明かしてきた男への、皮肉をこめた一首。邦雄曰く、物語歌としての美しさ充溢。


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くりやまで月かげの一人で

2005-10-24 17:00:42 | 文化・芸術
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<怨霊譚-維新でも怖れられた崇徳院>

 小倉百人一首に「瀬をはやみ岩にせかるる瀧川のわれても末にあはむとぞ思ふ」の歌をのこす崇徳院が古来より怨霊神として怖れられてきたのはつとに知られている。「崇徳院御託宣」という書が今もなお宮内庁に残っているらしい。これによれば崇徳院の怨霊は九万八千五百七十二の神とその眷属である九億四万三千四百九十二の鬼類の頂点に立っているというからもの凄い。
 平安後期、崇徳院は鳥羽天皇の第一皇子として生まれたが、その実は、鳥羽天皇の祖父白河法皇の胤であった。鳥羽天皇はこの出生の秘密を知っていたが時の権力者である法皇に逆らえず第一皇子として受け容れた。崇徳院は5歳のとき即位して天皇となるが、数年後、白河法皇が死に、権力は鳥羽上皇へと移り、やがて崇徳院の母とは別の女とのあいだに新しい皇子を得た鳥羽は、崇徳院に退位させ、わずか2歳の皇子を即位させ近衞天皇とした。15年後、この幼少の天皇は17歳で早世するが、その死の背景に呪詛事件が絡む。次の即位をめぐり鳥羽上皇と崇徳院のあいだで暗闘があるが、ここでも鳥羽上皇の意志で後白河天皇の即位となった。ところが翌年、鳥羽上皇が病死したので、これを機に後白河天皇と崇徳院、これに摂関家や台頭する武家勢力を巻き込んだ保元の乱(1156年)が起こるのである。勝負はあっけなく崇徳院側の敗北。崇徳院は隠岐に流され、後に讃岐に移され、配流のまま非業の死を遂げ、讃岐国白峰山に火葬された。
 現世に烈しい怨恨を残したまま逝った崇徳院は、以後、怨霊・祟り神として伝説化してゆく。都に変事や疫病があれば、崇徳院の祟りとされ、また当時の天狗信仰とも結びつけられ、虚構は虚構をうみ肥大化する。やがて崇徳院の怨霊は天狗の統領とされ、太平記にはこれを筆頭に「天狗評定」の件が登場する。江戸期の上田秋成は「雨月物語」の冒頭に崇徳院の怨霊譚を「白峰」と題して虚構化している。諸国を旅する西行が讃岐の白峰の陵を訪れた際、崇徳院の亡霊が現れ、怨みの数々を切々と語るという怪異譚で、能仕立ての構成だ。
 時に明治維新、王政復古の到来に、孝明、明治の両天皇は崇徳院の怨霊が祟ることを怖れ、彼の霊を招魂し祀ったのが、京都堀川今出川にひっそりと佇む白峰神宮である。維新後の神風連や各地の叛乱、西郷隆盛の西南の役など、或いは日清・日露の戦争勃発までも、明治天皇は心中秘かに、崇徳院の怨霊や祟りが影を落としていると思ったかもしれない。


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秋深み黄昏どきのふぢばかま‥‥

2005-10-23 15:42:25 | 文化・芸術
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<Shihohkan Improvisation>

-今日の独言-

波乱の幕あけ、濃霧でコールド
 昨夜、日本シリーズの第一戦をTVで観ていたが、なんと濃霧でコールドとはとんでもない幕開けになったものだ。試合は中盤以降、ロッテが圧倒、終盤での阪神の明日につながる反撃が期待されるのみとなったが、6回頃から球場全体に濃霧が立ち込めだし、テレビの映像がほのかに白く膜がかかったようにぼやけてきたかと思えば、7回にはもうすっかりと濃霧に包みこまれた状態。海辺に近い球場とて、浜風が特有の舞い方をする球場だと話題になっていたけれど、突然発生した濃霧で試合中断のすえコールドゲームとは思いもかけない珍事。今年のシリーズはかなり愉しめるものとなりそうだと期待はしていたが、球場の立地条件で自然の異変まで絡んだ演出になるとはだれが予想しえたろうか。パリーグのプレーオフでロッテは意外性に富んだとてもいいチームだとの印象をもったが、マリンスタジアム自体までこれほど意外性に満ちていたとはネ。勝敗の行方を超えてさらに面白くなりそうだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-15>

 秋深み黄昏どきのふぢばかま匂ふは名のる心地こそすれ
                                 崇徳院


千載集、秋、暮尋草花といへる心を。日暮れ時を表す「黄昏」は「誰そ彼」よりきたる。
秋深いその黄昏どき、草原のなかでひときわゆかしく匂う藤袴の花のその芳しさは、誰そ彼との問いかけに名告りをあげているようだ、の意で、「名のる」は「黄昏」の縁語となっている。
邦雄曰く、切々としてしかも藹々たる味わい、帝王の歌というに相応しい調べ、と。


 月草に衣は摺らむ朝露にぬれて後には移ろひぬとも
                                 作者未詳


万葉集、巻七、譬喩歌、草に寄す。「月草」は露草の古称。
歌意は、月草に衣を摺り染めよう、たとえ朝露に濡れて色褪せてしまおうとも。
邦雄曰く、ほのかに恋の趣をも秘めていて、それも表れぬほどに抑え暈しているのが、素朴なあはれを漂わせて忘れがたい、と。


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晴れずのみものぞ悲しき‥‥

2005-10-22 21:51:00 | 文化・芸術
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-今日の独言-

ふりかえってみれば‥‥。
 図書館で借りてきた今は亡き市川浩の「現代芸術の地平」をざっと読了。
彼特有の現象学的身体論でもって60年代、70年代に活躍した建築・美術・演劇・舞踊などの作家たちの仕事を読み解いた論集。演劇でいえば、夭逝した観世寿夫、同じく寺山修司、そして鈴木忠志。とくに「他者による顕身」と題した鈴木忠志論は稿も多く詳しい。利賀山房だけでなく常連のようにその舞台によく親しんだのだろう。
私自身、市川の「精神としての身体」や「身体の現象学」は、メルロ・ポンティの「知覚の現象学」や「眼と精神」とともに教科書的存在として蒙を啓いてもらってきたし、同時代を呼吸してきた身としても、彼らの仕事に対する市川の読み解きはずしりと重さをもって得心させられる。
ふりかえってみれば、戦後60年のなかで、中村雄二郎ら哲学者たち或いは文芸評論家の蒼々たる顔ぶれが、芸術の実作者たちと真正面から向き合い、互いに共振・共鳴しあった、特筆に価する時代が60年代、70年代だった、といえるだろう。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-14>

 晴れずのみものぞ悲しき秋霧は心のうちに立つにやあるらむ
                                 和泉式部


後拾遺集、秋、題知らず。古今集、詠み人知らずに
「雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひつきせぬ世の中の憂さ」の一首ありとか。
邦雄曰く「序詞としての第二句までを、一首の中に眺めとして再現し、模糊たる心象風景に昇華した。二句切れの間は、一瞬であるがあやうく心の中を覗かせようとする。結句は言わずもがなにみえつつ、重い調べを創り出すに、無用の用を務めた、と。


 玉鉾の道行きちがふ狩人の跡見えぬまでくらき朝霧
                                  恵慶法師


恵慶法師集、霧を。平安中期(十世紀)、和泉式部らと同時期の人。出自・経歴など不明。
邦雄曰く「濃霧の朝の眺めか。いかめしい枕詞の初句「玉鉾の」も、結句の重さと快く照応する。実景か否かは問題ではないが、題詠ではこれだけの実感は漂うまい。「行きちがふ」にその呼吸がうかがえる、と。


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秋の田の穂の上に霧らふ‥‥

2005-10-21 22:44:57 | 文化・芸術
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-今日の独言-

米兵、タリバン兵士の遺体を焼く
 アフガニスタン南部で旧タリバン政権の兵士らと交戦した米兵駐留部隊が、死亡したタリバン兵士2名の遺体を焼却した上で、「仲間の遺体を取り返すこともできないのか」と挑発している映像がオーストラリアのTVで放映されるということがあったらしい。
火葬習慣のないイスラム教に対し、メッカの方角に遺体を向けて焼いた、意図的な冒涜的行為。ジュネーブ条約に抵触する違法行為として問題視されている。
戦渦に在ることは狂気のうちにあるに等しいものだ。平時のうちに安穏として日々をおくるこの身には思い及ばぬ異様なことが、ごくありふれた当然の行為として繰り返されているにちがいない。
    
          -参照記事サイト-

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-13>

 秋の色よ明石の波はよるよるの月ともいはじ朝霧の空
                                 三條西實隆


雪玉集、秋、明石浦。室町後期の人、宗祇より古今伝授を継承したと伝えられる。
邦雄曰く、第三句「寄る-夜」懸詞から「月」に移るあたりのはからいが、連歌時代にはひとつの機知として愉しまれたのだろう。初句六音の重みは結句の叙景と微妙に照応し、大家の風格と。


 秋の田の穂の上に霧らふ朝霞何処辺(いづへ)の方にわが恋ひ止まむ
                                 磐姫皇后


万葉集巻二、相聞、天皇を思ひたてまつる御作歌四首の一。仁徳天皇皇后の高名な相聞。
邦雄曰く、朝霧の晴れやらぬように、その胸も結ぼれるとの心であろう。かすかに悲痛な響きが、一首を内側から支え、殊に三句切れが印象的、と。


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