山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

珠衣のさゐさゐしづみ‥‥

2005-10-05 23:25:59 | 文化・芸術
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-今日の独言-

 有終の美、岡田阪神のリーグ最終戦。
今夜の試合が阪神の今季最終戦だったが、またも見事な試合で観客を魅了してくれた。
横浜を相手に、最多勝のかかった下柳が延長10回を投げ切って、鳥谷のサヨナラホームランで勝負を決めた。
すでにリーグ優勝して消化試合だというのに、4万7000人の観客を呑み込んだ雨の中の甲子園は沸きかえっていた。
岡田采配はほぼ完全に選手たちを掌握しきっているとみえる試合だ。
下柳に最多勝を取らせるべく、お定まりのJFK登板もせずに、勝利を呼び込むまでひたすら彼に投げさせ、チーム一丸の野球を見せた。
最後は劇的なサヨナラホームラン。これ以上の筋書きはないという最終戦。
解説の吉田義男氏が、阪神70年の歴史のなかで、こんなに見事な最終戦はなかったんじゃないか、と言っていた。
さもありなん、Vを決めた瞬間とはまた違った、胸に熱いものがこみあげてくる、見事な有終の美だった。



<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-1>

 珠衣のさゐさゐしづみ家の妹にもの言はず来て思ひかねつも
                             柿本人麿


万葉集巻四、相聞歌としてある。歌の心は下の句にいい尽くしてあまりあるか。上の句の「珠衣-たまぎぬ-のさゐさゐしづみ」はその心の形容だが、語感が美しく、妻に対する想いがたぎるように表出されている。と同時に、妻なるその人の容姿や服装までがほうふつと浮かんでくるような趣がある。

 春日野のわかむらさきの摺衣しのぶの乱れかぎり知られず
                              在原業平


新古今集・戀一。「女に遣しける」の詞書。「伊勢物語」の冒頭、男が春日の里へ狩に出かけ、姉妹を見初める件で贈った歌。この姉妹は、山城の新都に移っていった親にとりのこされてこの春日に留まっていたとの設定。源融の「みちのくのしのぶもぢずり‥‥」の本歌取りとされるが、調べも美しく情趣も深いか。

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またあふまじき弟にわかれ泥濘ありく

2005-10-05 07:26:21 | 文化・芸術
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'68年の公演チラシ、右側が当時23歳の私

<行き交う人々-ひと曼荼羅>

<堺市長選挙と長川堂郁子>

 本年2月、美原町との合併で人口83万人となり、15番目の政令指定都市をめざしている堺市の市長選挙が先の日曜日(10/2)実施された。結果は前市長木原敬介氏が再選され、来年4月にも誕生するとされる新政令都市堺の初代市長として二期目の市政に取り組むことになった。
投票率は32.39%。 確定得票数は以下の通りとされている。
   当89741 木原 敬介 =無現<2>自・民・公・社
    59146長川堂いく子 =無新 共
    55028 森山 浩行 =無新
     8280 山口 道義
 この結果から、共産党推薦を受けた無所属新人長川堂いく子の得票が、善戦したと評価できるのかどうかは、以前の選挙結果などを分析してみないことにはなんともいえないし、私は堺市住民でもないから実感をともなう材料とてないので不問としよう。


 本名、長川堂郁子、舞踊家、旧姓は毛利。私からいえば5歳年少で、現在56歳のはずだが、その旧知の彼女が堺市長選に候補者として名乗りを上げたニュースに接して大いに驚かされた。肩書きは舞踊家とされていた、そう、その昔は同門の徒であった。
 彼女を語るには40年近く時計の針を戻さなければならない。5年という年月の差を隔て私と同じ高校を卒えて、ということは当時まだ師のK氏が現職の教諭だった、その薫陶とともに感化を受けて、K師主宰の研究所へ入門してきたのは’68(S43)の春だった。彼女と同期の者たちは何人か居た。いま思い出すだけでも、HK女、HH女の顔が浮かぶ、輝くばかりに生気をみなぎらせた18歳の少女たちの姿が。
 この頃の記憶がかなり鮮明なのは、その年の6月、以前にも書いたことのある、K師夫人の茂子さんと天津善昭そして私の三人が、むろんK師の勧めもあってのことだが、ジョイントのリサイタルで、些か大袈裟な謂いになるが作家デビューしたからである。劇場は大阪厚生文化会館、現在の森之宮青少年会館の大ホールだから、当時としては晴れの舞台ではある。三人三様でお互いが三つの作品を創りあげるのに悪戦苦闘した数ヶ月だった。先輩にあたる茂子・天津の二人はこれまでにも若干の制作経験があったからよかったろうものの、私にとってはまったく未体験の未知なる世界だった。作品構成を「吼えろ吼えろふくろう党」-これは10人ばかりの群舞、「蝕」-踊り手に茂子・天津にご登場願い、私とあわせてのトリオ、「灰の水曜日」-8人4組の男女によるものとしたが、たしか彼女たちには「蝕」以外の二つに踊ってもらったはずだ。いまはもうない浜寺青少年の家で三日間ほどだったか呻吟に喘ぐばかりの制作合宿をしたのも懐かしい。どんな題が冠せられたものだったか失念してしまっているが、天津作品のなかにデュエット構成の作品があり、これを踊ったのが私と彼女であった。記憶をたどれば、はじめ私の相手役を務めていたのは高校時代からすでに研究生として経験を積んでいたHKだったのだが、如何せんHKは身長170㎝の偉丈夫?、私が165㎝だったからどうにも釣合が取れず制作イメージが遠ざかる。という次第で技術より雰囲気とばかり、まだ少女然とした彼女に白羽の矢となったわけである。
 この抜擢がその後の彼女にとって幸いしたか否かは微妙なところだったろう。おそらく彼女は有頂天になるほどに舞い上がっていたにちがいないが、彼女持ち前の芯の強さや勝気な気質とあいまって、周囲の先輩や同僚たちには生意気な子と映ることもあったのではないか。私の知るかぎりにおいて、その後の長い道のり、彼女の研究所での位置は決して温かい場所に恵まれたものではなかったように思われる。だが、彼女はその長い年月をよく持ち応えてはきた。あくまで自分は自分、他人の評価を意に介せず、マイペースを貫いて、自分なりの舞踊家としての矜持を保ちつづけてきたのだろう。
 初めの出逢いから何年経ってか、彼女は結婚して長らく豊中に住んでいた。そういえばいつだったか偶々会った時に、「新婦人の会の人たちとダンス教室を開いて教えている」と、そんな話を聞いたことがあったっけ。彼女の主宰するグループ駄々はそんなところから出発している筈だ。自分なりの舞踊世界の構築とともに、新婦人の会を中心に市民運動的な活動にも執心し取り組んできたのだろうが、その点に関しては私はよく知らないままに年を重ねてしまったが、彼女もまた敢えてあからさまに報告する気になれなかったともいえそうだ。’89(H1)年の中国公演にだって一緒に行ったりしたのだし、多くはないとしてもそんな機会は何度かはあったはずだから。彼女が堺市へと転居したのはいつだったのか、手紙などのやりとりでわかってはいたが、それがまたいつのことやらはっきりとしない。岸和田の住民で、作曲活動をしているT氏から、「オペラの振付を彼女にして貰ったことがありますよ」と聞かされたのは、今年の「グランド・ゼロ」合同公演の稽古場でのことだ。
 そんな彼女、長川堂郁子が堺市長選挙に候補者として立ったというのは、意外や意外、驚き入ったニュースだった。私の知るところではなかったが、数年前から新婦人の会の堺支部事務局長を務めていたらしいし、政令都市をめざしてひたすら走る堺市政に反旗をひるがえす住民運動もいろいろとあったろうから、新鮮な女性候補として彼女が浮上してくるのも、成程ありえないことではないのだが、少女の頃から知る我が身には思いもよらぬ仰天の出来事だったのである。


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吹く風は涼しくもあるか‥‥

2005-10-04 10:11:51 | 文化・芸術
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

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-今日の独言-

 アタリ、ハズレ、どっち?
昨日(10/3)、プロ野球の高校生を対象としたドラフト会議で、籤引きの勘違いから二件ものドンデン返しとなる騒動が起こったという。ハズレ籤をアタリと勘違いして発表され、ご丁寧にも本人たちに伝えられ、喜びの記者会見もした後に訂正され、再度の記者会見を行なうというドタバタ。
ドラフト制度には悲喜こもごものドラマはつきものだろうが、このドタバタ悲喜劇、当事者の高校生二人にとっては、笑ってすませるものではあるまい。事実、一人は訂正の結果が意中の球団とあって喜びもひとしおだが、もう一人は逆に意中の球団指名に喜びの絶頂から急転直下、気の毒にも涙の再会見となった。心乱れてなんともいいようのないこの哀れな少年に、マスコミも学校周辺もあらためて感想を強いるという構図もまた些かいかがわしいものだと感じさせられた。


<秋-2>

 幾年のなみだの露にしをれきぬ衣ふきよせ秋の初風
                                ―― 藤原秀能


承久の乱で後鳥羽院は隠岐に流謫の身となった。その隠岐には作者の猶子能茂が随行していたという。流謫の後鳥羽院を想い日々涙したのであろう。
三句切れ、さらに命令形で四句切れ、そして体言止めによる終句。この重層によって哀感はより強められる。


 吹く風は涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来ぬけり
                                ―― 源実朝


金塊集中、秋の部にある。破調二句切れの万葉に学ぶ心。まだ二十歳をいくらも出ていないだろう実朝の諦観、内に潜む悲哀が、些か肩肘を張ったかにみえる歌の姿に、かえって痛々しく一首を貫いている感がある。

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秋来ぬと目にはさやかに‥‥

2005-10-03 11:11:18 | 文化・芸術
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

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-今日の独言-

 10月1日、インドネシアのバリ島テロで、死者22名、負傷者107名にのぼると報道されている。
不幸にも犠牲となった死者のうち日本人1名(青森県)が含まれていた。新婚の旅先での不慮の災厄。誠にお気の毒である。謹んで御冥福を祈る。
東南アジアのイスラム過激派「ジェマー・イスラミア」による可能性が高いとされているが、現在のところ犯行声明は確認されていないようだ。


<秋-1>

 この寝ぬる朝けの風の少女子が袖振る山に秋や来ぬらむ
                            ――  後鳥羽院


初句から第四句半ばまで、「山に秋や来ぬらむ」へとかかる序詞の働きとともに、
第三句「少女子-をとめご」が生き生きと鮮やかに浮かび上がる。


 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
                            ――  藤原敏行


古今集秋歌巻頭におかれ人口に膾炙した著名な一首。
子規は理の勝った凡作とみたが、上句における視覚と、下句における聴覚の、対照は際立ち、爽快に理を述べたてたその姿と調べは、そのありようこそ古今集の特色ともいうべき世界かと。
「さやか」は「さだか」とほぼ同じ意。


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萩が咲いてなるほどそこにかまきりがをる

2005-10-02 17:35:19 | 文化・芸術
<身体・表象> -13

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<方向性と超越 -1>

 上-下、右-左、前-後という空間的・方向的な対概念から成る超越の座標について。
この座標系は、デカルト-ニュートン的な均質空間のそれではなく、
あるパースペクティヴに基づいて、方向性をもった非均質的な空間を構成する質的座標系である。
その原点にあるのは、身体性をもった私という存在-身体であり、心であり、私である<身>そのものである。


[上-下への超越]
 上-下は、他の方向性に比べても特に非対称性、非可逆性が強いのが特徴だが、この非対称性が、象徴的にも大きな意味をもつことになる。
その理由として第一に、右-左や前-後は、身体の向きを変えれば容易に逆転されるが、上-下の逆転はそう容易なことではないこと。
第二に、上-下は重力の方向という強い方向性をもち、通常はこれを逆転できない。高い塔や高層建築の魅力は重力に抗う印象ゆえにともいえるだろう。また噴水の不思議な魅力も、自然の重力に抵抗する非日常性にあるだろう。
第三に、ヒトは直立歩行によって、頭化の方向=上と、行動の方向=前が分裂したことである。したがって前は実用的、行動的価値の方向であるが、上は非実用的なものとなり、精神的価値のみが強調される方向となる。
一般的にはこのように、上-空間は精神的にプラスの価値を帯び、下-空間はマイナスの価値を帯びる。<上>は神秘的なものの支配する空間、ミュトスの空間となり、神々や上帝、高天原、天国に比せられ聖化される。それにたいして<下>は地獄、黄泉の国、根の国に比せられ穢れた空間、マイナス価値の空間とされる。
しかし、仏教においては些か異なる。浄土は十方億土にあるとされる十方とは、上下二方のほか、東西南北とその中間の八方をいう。
また、農耕民族の地母神信仰や大地信仰のように、<下>である大地は産みの根源としてのプラス価値となるが、この場合、天は父なるものに、大地は母なるものに比せられる。概ね、多神教世界では<上-下>ともにプラス価値であり、天なる神=太陽神と地なる神=地母神のダイナミックな価値体系のなかで、地母神は生殖と死の象徴として両義的聖性を帯びることとなる。
ふつう、神への信仰は<上>への超越と考えられる。キリスト教的な信仰はそうだ。


 キルケゴールの実存哲学において「本来の自己すなわち実存は、神への超越、決断による飛躍を通じてのみ得られる」というのは<上>への超越がめざされている。
これにたいして、人間的生命の根底に向かって自己自身を取り戻そうとする、生の哲学は<下>への超越といえようか。。自己の根柢へ向かうとは、現象的自己を超え出て、自己が根づいている根拠へ遡ることであり、そのかぎり<下>への超越となろう。
<下>への超越を、より自覚的に徹底したのは、西田幾多郎である。
「我々の自己の底には何処までも自己を超えたものがある。しかもそれは単に自己に他なるものではない。そこに我々の自己の自己矛盾がある。此に我々は自己の在処に迷う。しかも我々の自己が何処までも矛盾的自己同一的に、真の自己自身を見出すところに、宗教的信仰というものが成立するのである。」(西田幾多郎「場所的論理と宗教的世界観」)という。この自己の底にある自己を超えたものは、いわゆる神のような超越者的な存在ではない。また単に自己に他なるものではなく、自己の内に潜む多数の或は無数の他者、いわばユングのいう人類に共通な普遍的無意識或は集合的無意識に通呈する世界といいうるのではないか。
キルケゴールにおいて、本来的な自己、真の自己は<上>への超越においてあらわれる自己であり、西田においては、自己を自己の底に超える<下>への超越において、真の自己はあらわれる。かように、自己を超え出ることによって、真の自己があらわれるという構造は同じだが、超越の方向は逆であり、対照的であるのは、たんに拠り所たるキリスト教と禅という発想の違いに還元しきれるのかどうか。


    参照-市川浩・著「身体論集成」岩波現代文庫

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