山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

狩りくらし七夕つ女に宿借らむ‥‥

2005-10-11 04:45:03 | 文化・芸術
EVP_12-1

-今日の独言-
「キューポラのある街」の早船ちよさんの訃報。
映画「キューポラのある街」の原作者で知られた児童文学者、早船ちよさんの訃報が9日報じられた。享年91歳、老衰によるとあるから、天寿をまっとうした静かな往生であったろう。
原作の小説は1959年、雑誌「母と子」に連載されたという。日活で映画化されたのは’62年、主演は吉永小百合、共演に浜田光夫。浦山桐郎の初めての監督作品だった。以後、日活は主軸のアクション路線に加えて、吉永小百合を中心とした青春純愛路線の映画を量産していく。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-5>
 狩りくらし七夕つ女に宿借らむ天の河原にわれは来にけり
                                 在原業平


古今集・秋上、伊勢物語第八十二段。惟喬親王の桜狩に従い交野の渚院でものした歌とあり。「交野を狩りて、天の河のほとりに至るを題にて、歌よみてさかづきはさせ」との仰せによる。当意即妙の応酬を超えて、華やかで悠々たる詩情。枕草子に「七夕つめに宿借らむと業平がよみたるもをかし」との件ありと。

 ながむれば衣手すずしひさかたの天の河原の秋のゆふぐれ
                                 式子内親王


新古今集・秋上。七夕といえば織女と彦星の儚い逢瀬に寄せた調べの多いなか、式子は「ながむれば衣手すずし」と爽やかな季節感だけを表立てていかにもおおらかに直線的に詠み放った。それも星のきらめく夜ではなく夕暮れを歌うという間接的な手法など、新古今の七夕歌のなかで際立っている。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

契らねど一夜は過ぎぬ‥‥

2005-10-09 17:19:43 | 文化・芸術
041219-009-1

-今日の独言-

紀宮の皇族退職金? 1億5250万円。
 皇室経済法という法律があるそうだ。紀宮が結婚によって近く皇族から離れることになるが、その折に一時金として支払われる金額が1億5250万円と決まったことが報道されている。いわば皇族退職金のようなものだ。この額がわれわれの生活感覚からして理に適った妥当なものか、その判断は各々意見も分かれよう。
この額を決定する根拠となるのが皇室経済法なのだが、この法の規定に基づく最高限度額がこの数字になるらしい。件の法律がどんなものなのかNetで読んでみたが、平成9年以降の改正事項は有料となっていたので、さらに追うのはやめにした。
女性問題や年金未納のスキャンダルで相変わらず話題をふりまいてくれる小泉チルドレン杉村太蔵クンに、歳費と通信費等で年間3600万円支給されるのに比べれば、ごくつましいものと感じられもするから、この日本という国、なかなか奇妙な国ではある。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雜-1>

 東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
                                 柿本人麿


万葉集巻一、詞書に軽皇子の安騎の野に宿りましし時。あまりにも人口に膾炙した人麿の代表的秀句。
「炎-かぎろひ」とはきらきらする光。野の果てから昇りはじめる陽光の兆し、曙光である。
一望千里というか遥々とした眺めの雄大さは格調高い。結句は万葉集原文では「月西渡」と表記されのだが、まだ西空に月の残る景が<時間>を感じさせるか。


 契らねど一夜は過ぎぬ清見潟波に別るるあかつきの雲
                                 藤原家隆


新古今集、羈旅の歌。偶々縁あって駿河の国は清見の港に一泊、寄せては返す波と別れてゆくかのように、遥かにみえる暁の雲。その雲に漂白の身が重ねられているのだろうか。三句と結句の体言止めが結構を強めている。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

ここを墓場とし曼珠沙華燃ゆる

2005-10-08 15:16:45 | 文化・芸術
041219-040-1

<身体・表象> -14

<右-左と超越>

 子どもが右と左を区別するようになるのは、上-下や、前-後に比べてはるかに遅く、ほぼ6歳前後といわれる。これは右利き、左利きの利き手が安定する時期ともほぼ重なっている。利き手は文化による強制力もあるが、一般に右利き優位であり、それにともなって空間的にも右側に高い価値を与えられる傾向がある。ところが空間としての右-左は、向きを変えれば容易に逆転され、その非等質性は消されてしまう。したがって右-左は差異化されつつも、非可逆的な上-下と異なり、可逆性に富むということだ。
 多くの場合、右はプラスの価値とされ、左よりも高く評価される。「右に立つ」というのは上位・上席に立つことを意味することが多い。「右腕になる」「右に出る」「右にならえ」なども右優位の文化を背景にしている。それに対し、「左遷」「左前になる」など左はマイナス価値を帯び、劣ることや不吉なことを意味するようになる。
 世界中で右を重んじる民族や文化が多く、右は光、聖、男性、正しさ(right)を意味し、左は闇、曲、女性、穢れを意味することが多いのだが、古代の日本では左大臣が右大臣より上位とされ、左は神秘的な方向として右よりも重んじられる傾向があった。「ヒダリ」の語源は南面したときの東の方向になので「ヒ(日)ダ(出)リ(方向)」の意かと岩波古語辞典はいう。これは太陽神崇拝と関係して左が価値化したとも考えられる。そして中国文化の渡来とともに右優位の思想が入り重層化していったのだろう。


 ユングによれば、ラマ教徒の礼拝でストゥーバの周囲を廻るときは右回りに歩かねばならず、左は無意識を意味するから、左回りは無意識の方向へと動くことにひとしいからだ、としている。これに関連して湯浅泰雄は、仏教の卍は左回りであり真理のシンボルであるが、ナチスのハーケン・クロイツは逆マンジで黒魔術のシンボルだが、右回りが心の暗黒領域から出ていくイメージと結びついているからだろう、としている。ここには無意識-暗黒の根源へと降りゆき、それを自覚する超越と、暗黒-無意識の力の流出に身をまかせてゆく超越との違いがある。
 密教には向上門と向下門の対照がある。金剛界曼荼羅図は縦3×横3の九会に分けられているが、修業の過程をあらわす人間から仏にいたる向上門は、右下の降三世三昧耶会から左回りで暗黒領域に足を踏み入れてゆき中央の羯磨会=成身会にいたる。これに対し仏が人間をみちびくとされる向下門は、中央の羯磨会から右回りに向上門とまったく逆のコースを辿って降三世三昧耶会にいたる。すなわち向上門は自力の道をあらわし、正しい悟りにいたる修業の道は自力の修業のみで達するわけではなく、暗黒-無意識の魂の底からあらわれてくる仏の導きたる向下門-他力の道にすがらなければならないことを、この曼荼羅図はあらわしている。
入我我入-仏が我に入り、我が仏に入る-という相関-相入の関係において、左回りと右回りが価値において対立せず互いに相俟って、超越への道が開かれているのだ、と考えられている。


      参照-市川浩・著「身体論集成」岩波現代文庫

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

秋といへど木の葉も知らぬ‥‥

2005-10-08 02:07:26 | 文化・芸術
Hitomaro-001-1

-今日の独言-

 漢字の歴史を塗り替える?  -参照記事-
そんな可能性もあるという中国最古の絵文字群が、寧夏回族自治区で発見されたと報じられている。
図案化された太陽や月など、約1500点もの絵文字が壁画のなかに見出され、最古のものは旧石器後期の1万8000年から1万年前のものとみられるというから、従来、漢字の起源とされてきた殷王朝の甲骨文字をはるかに遡る。
発見された絵文字は象形スタイルで甲骨文字にも類似しているそうだが、いまのところ解読されたのは
1500点のうちごく一部だけとのことで、解読作業の進捗が待たれる。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-4>

 秋といへど木の葉も知らぬ初風にわれのみもろき袖の白玉
                                   藤原定家


拾遺愚草・下。定家33歳の作歌。「木の葉も知らぬ」、「われのみもろき」の修辞には冴えわたった味わいがあり、その対照も妙。体言止めの結句も簡潔にて意は盡くされているか。

 夕星(ゆうつづ)も通ふ天道(あまぢ)を何時までか
         仰ぎて待たむ月人壯子(つきひとをとこ)   柿本人麿


万葉集巻十、秋の雜歌。七夕の題詠。宵の明星が歩む天の道を、いつまで眺めて待てばよいのかと、織女が歎きながら夜の天空を司るという月読みの青年に訴えている、という趣向。「ゆうつづ」は古代の読みで、その後「ゆうづつ」と変化。「月人壯子」の擬人化が新鮮に映って楽しい。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

暮れゆかば空のけしきもいかならむ‥‥

2005-10-06 21:59:48 | 文化・芸術
EVP_06-1

-今日の独言-

 ひらかたパークの菊人形   -参照-
明治43(1910)年、京阪電車の開通記念として始まり、96年もの歴史をもつという、ひらかたパークの菊人形が12月4日の最終日をもって幕が閉じられる。
敗戦時の昭和19(‘44)、20(’45)年の二回のみ欠かしただけで、毎年秋に必ず開催されてきた菊人形展は、その規模といい華麗さといい我が国屈指のものだったろう。
私の幼い頃は、このシーズン、田舎からの来客などがあれば必ずといっていいほど、家族連れ立って観に行ったものだが、それももう遠い昔、セピア色になってしまった今となっては懐かしいだけの光景だ。
今年で打ち切りの話を聞いた枚方市が「菊人形製作技術伝承会」を設け、菊人形作りの継承を模索しているようだが、是非ひとつの伝承工芸文化として守り育てていくことを望みたいものだ。



<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-3>

 たのめこし君はつれなし秋風は今日より吹きぬわが身かなしも
                                 詠み人知らず


後撰集、秋の歌に編まれているが、身細るばかりの哀切な悲恋を詠んでいる。秋は飽きの縁語ともなっている。待つ恋の女歌か。「今日より吹きぬ」が効果あって、現実の風の冷やかさが感じられ、苦しい恋に嘆く女の溜息が聞こえるほどの調べとなっている。

 暮れゆかば空のけしきもいかならむ今朝だにかなし秋の初風
                                 藤原家隆


新勅撰集、秋上。歌の中心は三句と四句。述懐の心、思いの深さが、「いかならむ」、「今朝だにかなし」によく籠もり、結句の体言止めが効果をあげて、確かな技巧と映る。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。