山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

着のまゝにすくんでねれば汗をかき

2009-07-24 22:51:19 | 文化・芸術
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―世間虚仮― シャープ新工場とシベリア抑留

今夕刊によれば、府内の市民団体「シャープ立地への公金支出をただす会」が、大阪府や堺市に対し、建設中のシャープ新工場への補助金や税優遇措置が違法として、差し止めを求める訴えを大阪地裁に起こしたという。
以前から問題にはなっていたのは承知していたが、とうとう訴訟にいたったわけだ。

訴状によれば、大阪府はシャープや関連企業の進出に伴い総額244億円の補助金を、堺市は固定資産税などを10年間、約8割減免するとしており、この額およそ245億円、加えて、周辺に路面電車を285億円かけて敷設することになっている。これほどの補助金や税優遇などが、はたして費用対効果において適正なものといえるのか、その判断がついに司法に委ねられることになった。

もう一つ眼を惹いた記事が、第二次大戦でシベリアに抑留された人々70万人の資料がモスクワの公文書館で保管されていたというもの。
記事によれば、厚労省では日本人の旧ソ連抑留者を約56万人-うち死者約53,000人-と推定されており、発見された資料の分析が進めば変わってくる可能性もあると。

これまでのところ、推定死亡者約53,000人に対し、従来ロシア側から提供されていた死亡者名簿は約41,000人で、しかもこれらを照合しても特定できない不明数が約21000人もあるそうだが、さしあたりこの不明分から300人を抽出し、新資料との照合をロシア側に依頼した結果、25人分を確認できたという話だ。

遙か戦後65年を経てのこの話題、抑留されたまま彼の地で散り逝きし多くの死霊たちが、なお闇の中に埋もれたままなのだ。

―表象の森― 新境地「耳なし芳一」

一昨夜は7月恒例の琵琶五人の会。年に一度の会もなんと重ね重ねて20回目だという。
今年の演目は、「耳なし芳一」-加藤司水-、「土蜘蛛」-奥村旭翠-、「戻り橋」-杭東詠水-、「羅生門」-竹本旭将-、「茨木」-中野淀水-と、いわゆる琵琶曲らしい鬼や怪奇の世界を揃えた。

なかで加藤司水の「耳なし芳一」はめずらしく創作ものだったが、これはある意味で彼の新境地を拓くものであったろう。伝承や古型を重んじる世界とはいえ、この人はこういう方向で行くべしという思いを強くした。

琵琶世界を詳しく知るものではないが、この五人のうち中野、杭東、加藤の三者は、ともに永田錦心が始めた薩摩琵琶の一派、錦心流琵琶全国一水会の流れ。そのなかで彼は些か異色とも云える存在であろう。

これは他人聞きで正確を期せないが、先年、西宮支部を統べていた楊師から後継を望まれていたが、加藤司水はこれを固辞したと伝え聞く。琵琶だけでなく尺八や三味線、あるいはさまざまな民族楽器などをも奏する多趣味多芸の彼のこと、後継となっては琵琶一筋へと強いられもしようと、彼流の名より実を取ったものと思われる。

彼の「耳なし芳一」は、その選択によって到達しえた、いい意味での開き直りから、自ずと生まれたものではなかったか。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-23

   置わすれたるかねを尋ぬる  

  着のまゝにすくんでねれば汗をかき  利牛

次男曰く、置忘れに懲りて、着のまま財布をしっかり腹に巻きつけておく、と作っている。
前句を身の縮む思と読んだか、それとも気の弛みと読んだか、いずれにしても「すくんで寝る」がことばの呼応だが、前者なら話の付伸し、後者なら向付の一体になる。

「汗をかき」は句仕立のうえでのあしらいで、いろいろに置換のきくところだが-この「汗」は季語ではない-、向付と読めば忘れ金を探す冷汗とは別の汗だと軽口をたたく気分が現れる。この方が面白かろう。

旅用らしい滑稽の作りは両替商に相応しい日常の心構えで、これも「炭俵」衆ならではの思付である、と。


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まゝよ法衣は汗で朽ちた

2009-07-22 11:39:08 | 文化・芸術
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―山頭火の一句―昭和5年の行乞記、10月9日の稿に
10月9日、曇、時雨、行程3里、上ノ町、古松屋

嫁の開けないうちに眼がさめる、雨の音が聞こえる、朝飯を食べて煙草を吸うて、ゆつくりしてゐるうちに、雲が切れて四方が明るくなる、大したこともあるまいといふので出立したが、降つたり止んだり合羽を出したり入れたりする、そして2.30戸集まってゐるところを3ヶ所ほど行乞する、それでやつと今日の必要だけは頂戴した。-略-

今日の道は山路だからよかつた、萩がうれしかつた、自動車よ、あまり走るな、萩がこぼれます。-略-

一昨日、書き洩らしてはならない珍問答を書き洩らしてゐた、大堂津で藷焼酎の生一本をひつかけて、ほろほろ気嫌で、やつてくると、妙な中年男がいやに丁寧にお辞儀をした、そして私が僧侶-?!-であることをたしかめてから、問うて曰く「道とは何でせうか」また曰く「心は何処に在りますか」道は遠きにあらず近きにあり、趙州曰く、平常心是道、堂済大師曰く、逢茶喫茶、逢飯食飯、親に孝行なさい、子を可愛がりなさい-心は内にあらず外にあらず、さてどこにあるか、昔、達磨大師は慧可大師に何といはれたか、-あゝあなたは法華宗ですか、では自我偈を専念に読誦なすつたらいゝでせう-彼はまた丁寧にお辞儀して去つた、私は歩きつゝ微苦笑する外なかつた。-略-

※揚げた句の他に「ゆつくり歩こう萩がこぼれる」
また訂正二句として、次の2句を記す
「酔うてこほろぎと寝てゐたよ」
「大地したしう夜を明かしたり波の音」

―世間虚仮― 前代未聞解散

国会がとうとう解散した。’05年の小泉総理による解散も、郵政改革に反撥する党内勢力を一掃しようとした前代未聞のものだったが、それから4年、小泉、安倍、福田、麻生と、一年毎に表の顔を掛け替えてきて、とうとう任期満了の際にまで至ってのこのたびの解散も、いろいろな意味で前代未聞の解散劇だ。

そもそも昨年9月の福田退陣から麻生総理誕生の交代劇は、直ちに解散総選挙を想定されたものであった筈なのに、秋、年末そして今年の春と、麻生内閣はその機を先送りしてきた挙げ句の、いわばもう逃げられぬ土壇場に追い詰められての解散である。

「予告解散」-党内の麻生降ろしの機先を制して東京都議選惨敗翌日というタイミングで発した前代未聞の解散予告、これにはマスコミもわれら国民もみな唖然とさせられたものである。

その直後から演じつづけられた反麻生グループとの党内抗争もなんとか制圧しての衆議院解散の詔勅-8月18日告示、々30日投票の、40日間というこれまた現憲法下最長の、長い長い夏の闘いのはじまりだ。

このたびの解散で政界を引退する自民党議員は、小泉純一郎をはじめ18人にのぼるという。そのなかの一人、河野洋平-衆議院議長-は退任会見で「衆院が新しい意思、要請に耳を傾ける大事な選挙だ。国民の負託に応える立派な国会であってほしい」と言ったという。


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置わすれたるかねを尋ぬる

2009-07-20 19:02:18 | 文化・芸術
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―四方のたより― 成田屋、稽古、そして‥

一昨夜、3月以来のD.マリィらの「成田屋騒動」第2弾、いや今回は「鳴動!成田屋」と謳っていたか、を観るべく新世界へ。その前に丑の日も近いとて早い夕飯を四ツ橋のうな茂さんで食していたから、交差点の植栽の縁に腰掛けて満腹気味の倦怠感に襲われながら、暮れゆくなかでの待ち時間がちょっと辛かったのだが、いざperformanceが始まると、まあ20分程の短い時間だし、結構愉しめる鑑賞となった。

地の利、時の利、信号が赤になるたび通行人が立ち止まって貯まるから、否応もなく彼らの眼に耳に飛び込んでくる。通りがかりの人々の、十人十色のリアクションを見ているだけでも愉しいものだし、刻々と夜の帳がおちゆくにつれ、街のネオンや外灯に照り映えていくperformanceの変移もまた愉しい。

昨日の稽古は、ありさと純子のみ。来週から夏の特別講習会二つに参加するため東京へと出向くありさは、3週間お休みとなるから、彼女に的を絞ってちょっぴりしごいた。

たとえばありさの即興を見れば、動きから動きへのその移り、次の動きを思いついた瞬間が、此方には手に取るようにわかる。さすれば、そのひとつひとつの動きは、つねに完璧なものを求められることになる。ひとつひとつが隙のない見事な体技でなければ、観る者を納得させられはしない。

ところが、動きの移り、その転の瞬間を不透明に、いわば故意に隠蔽させつつ転じてゆく、そういう動きかたがありうる。動きがどの瞬間に思いつかれたものかまるで判然としない、だがいつのまにか動きは移っているのだ。そういうことが自在に出来るとしたら、動きの移り-転-の強度を最大値10からはてしなく0に近い微弱なものにまで変容させつつ繰り延べていくことが可能になる筈だ。
この話、純子には概ね了解がいったようであった。ありさには‥? まだまだ少女期の彼女には難解に過ぎようものだ。

昨夜来、頼まれものの宣材のレイアウト作業に没頭していた。やはり素人は素人、とにかく効率が悪すぎるのには、我ながらほとほと滅入るばかりだが、こんな仕事でなにがしかのお足にありつけるのだから、ありがたいと思ってがんばった。
それもひと区切り、なんだか頭も身体のほうもボーッとしながら、これを書いている。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-22

  泣事のひそかに出来し浅ぢふに  

   置わすれたるかねを尋ぬる  孤屋

次男曰く、「梅が香の巻・空豆の巻」、「閉関」の心境に発した二様の句作りを、連衆は其れと知っていたに違いあるまい。そうでなければ、同想異曲の句を以てした付が片や名残7.8句目、片や名残3.4句目に符節を合せて生れる筈がない。

野坡の句は「ひらふた金で表がへする」、孤屋の句は「置わすれたるかねを尋ぬる」。いずれも籠居の情を俗へ取戻す工夫で、手立に金銭の力を借りる思付は両替商の手代ならではの生活の智慧である。重くれを破るのに、芭蕉が野坡たちに目をつけた訳が見える付だ。気分転換の手段が金は金でも「ひろうた金」「置わすれたるかね」でなければ、閑情が閑情でなくなる。死に金を活かす目付が両句共通のみそだ、と読めてくるだろう、と。


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窓をあけたら月がひよつこり

2009-07-18 21:56:24 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月8日の稿に
10月8日、晴、后曇、行程3里、榎原、栄屋

どうも気分がすぐれないので滞在しようかと思つたが、思ひ返して1時出立、少し行乞してここまで来た、安宿はないから、此宿に頼んで安く泊めて貰ふ、一室一人が何よりである、家の人々も気易くて深切だ。-略-

日向の自然はすぐれてゐるが、味覚の日向は駄目だ、日向路で食べもの飲みものの印象として残つてゐるのは、焼酎の臭味と豆腐の固さとだけだ、今日もその焼酎を息せずに飲み、その豆腐をやむをえず食べたが。

よく寝た、人生の幸福は何といつたとて、よき睡眠とよき食慾だ、ここの賄はあまりいい方ではないけれど-それでも刺身もあり蒲鉾もあつたが-夜具がよかつた、新モスの新綿でぽかぽかしてゐた、したがつて私の夢もぽかぽかだつた訳だ、私のやうなものには好過ぎて勿躰ないでもなかつた。
※掲げた句のほかに1句
「こんなにうまい水があふれてゐる」を記す

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.24-
「NOIR,NOIR,NOIR-黒の詩- Scene.2-連句的宇宙by四方館 Vol.6」




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泣事のひそかに出来し浅ぢふに

2009-07-17 23:39:47 | 文化・芸術
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―世間虚仮― A Flash of Memory

服飾デザイナー、世界のミヤケこと三宅一生が、ニューヨークタイムズに寄稿した話題の文章、そのタイトルが「A Flash of Memory-閃光の記憶-」だ。

広島で7歳の時に母とともに被爆、3年後その母は原爆症で死亡したという被爆体験、71歳になるこれまで自ら口外することなく内に秘めつづけてきた彼を、いったいなにが衝き動かしたのか。
それは、今年の4月、オバマ大統領が核兵器廃絶への決意を語ったプラハ演説だった。

IN April, President Obama pledged to seek peace and security in a world without nuclear weapons. He called for not simply a reduction, but elimination. His words awakened something buried deeply within me, something about which I have until now been reluctant to discuss.

I realized that I have, perhaps now more than ever, a personal and moral responsibility to speak out as one who survived what Mr. Obama called the “flash of light.”  -以下略-

文の後半では、8月6日の原爆の日に、オバマ大統領招来を切望している運動に触れ、オバマ氏が広島を訪れれば「核の脅威のない世界への、現実的でシンボリックな第一歩になる」と訴えている。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.23-
「NOIR,NOIR,NOIR-黒の詩- Scene.1-連句的宇宙by四方館 Vol.5」



<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-21

   はつち坊主を上へあがらす  

  泣事のひそかに出来し浅ぢふに  芭蕉

次男曰く、「はつち坊主」が相手なら胸の内を気楽に打明けられる、ということを通いにして愚痴ばなしの内容を立腹から哀傷へ転じたとも、世間をはばかる供養があって鉢坊主を上げたとも読める。いずれにしろ、思いきり泣きたい気分が兆していたところへ、運良く来合せた。門付を表からというわけにはゆかぬから、裏口からこっそり上げる。「ひそかに」とは、その気分的映りの工夫だ。句姿は女に相応しいが男でもよい。

この作りには、6年3月の桃印病死に端を発した「閉関」中の芭蕉の心証も微妙ににじみ出ているだろう。この句と次句「置わすれたるかねを尋ぬる」との付合は、同年春の両吟「梅が香の巻」の名残7.8句目「門しめてだまつてねたる面白さ-芭蕉」「ひらふた金で表がへする-野坡」と見合の趣向のようだ。

句作りは「出来し-ことよ-」、むろん句切れがある。「出来し浅ぢふに」と続けて読めば、「上へあがらす」の補足となり三句は同一人物、転じにならない。一読王朝の情景を容易に誘う句姿だが、先の「源氏」を踏まえた印象的な展開と合せ考えれば、ここは俤など必要とせぬ当世風と読むべきところだ、と。


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