山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

酔ひざめの星がまたゝいてゐる

2009-07-15 23:55:38 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月7日の稿に
10月7日、晴、行程2里、目井津、末広屋-

雨かと心配してゐたのに、すばらしい天気である、そここゝ行乞して目井津へ、途中、焼酎屋で藷焼酎の生一本をひつかけて、すつかりいい気持になる、宿ではまた先日来のお遍路さんといつしよに飲む、今夜は飲みすぎた、とうとう野宿をしてしまつた、その時の句を、嫌々ながら書いておく。

-以下「酔中野宿」と題し
「酔うてこほろぎといつしよに寝てゐたよ」他4句を記す。

-略-、今日の珍しい話は、船おろしといふので、船頭さんの馴染女を海に追ひ入れてゐるのを見たことだつた、-略-。
このあたりの海はまつたく美しい、あまり高くない山、青く澄んで湛へた海、小さい島-南国的情緒だ、吹く風も秋風だか春風だか分らないほどの朗らかさだつた。
※他に2句を付記している

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.22-
Interlude-間奏曲- 連句的宇宙by四方館 Vol.4




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はつち坊主を上へあがらす

2009-07-14 23:55:06 | 文化・芸術
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―表象の森― NO NAME

弱冠19歳の新人漫画作家が誕生、その名は大島千春-Pen name-、小学館の新人コミック大賞を受賞したという彼女の作品「 NO NAME」が、週刊BIG COMICスピリッツ7月20日号に掲載されている。

漫画・劇画の類で記憶に残ると云えば、古くは白戸三平の「忍者武芸帖」や「カムイ伝」、少し時代が降って山岸涼子の「日出処天子」くらいで、めずらしく最近になって「へうげもの」に食指を動かしてみたのは、直木賞の「利休にたずねよ」を読んだ所為で、20年このかたとんと縁なき衆生が、突拍子もなくなぜこの話題かといえば、このデビュー少女、メル友G「市岡芋づる」メンバーのお嬢さんで、グループ内でひとしきり話題になったからだ。

近所の本屋で買い求めるのさえいささか気恥ずかしい思いをしたものだが、近頃のコミック誌はいざ読む段においてもなかなかすんなりと誌面に入っていきづらいものがあった。
思春期の揺らぎに満ちた少女らしいストーリィも、その心理の揺らぎを感じさせるような画面のタッチも、私のようなoldにはちょっぴり遠い肌合いなのは致し方あるまい。
作品の終りに、「くやしくて、さみしくて、かなしくて、うらやましくて、それでいて、いとおしい」と言葉を連ね、「私はこの感情に、ずっと名前が、つけられずにいる。」と結んでいる。

ここで「NO NAME」のタイトルがあらためてクローズアップされるわけだが、ウィットに富んだ洒落たこの名付けに、その想像力の飛躍に、些か不自然というか違和を感じながら、ふと「NO NAME」でネット検索してみれば、なんと近頃流行りの、パリ発女性用スニーカーのブランド名ではないか。「無印良品」にも似た発想だが、名前のないブランドと逆手を採ったネーミングが功を奏して、そのファッション性とともにブームを呼んでいるものとみえるが、
成程、こういった現象が背景にあってのことかと、恥ずかしながらようやく腑に落ちたしだいである。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.21-

KASANE-襲- Scene.3 連句的宇宙by四方館 Vol.3



<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>


「空豆の巻」-20

  不届な隣と中のわるうなり  

   はつち坊主を上へあがらす  利牛

次男曰く、同じ人の行為を趣向とした、前句の付伸しである。「はつち坊主」は鉢坊主の訛音、托鉢僧のこと。立腹の赴くところ、たまたま通りかかった乞食坊主を呼入れて上へあげたと云っているのだが、ハッチという音に捨鉢、すてっぱちの感情をうまく取込み、酔狂で無意味な行為の滑稽を描いている。「不届」は男言葉、不仲になるのは男親と詠みきれなかった諸家は当然この句の景気も見落としている。

此句のいま一つの見どころは、先の恋のはこびが横川の僧都らしき有情の学識僧を狂言廻しに遣っていたのに対応して、名もない乞食坊主を持出したところで、これは作者たちの計算された小道具だろう。但し、利牛がどこの馬の骨ともしれぬ鉢坊主では恋の機微など話しても判らぬと考えているのか、それとも乞食坊主じつは有徳の高僧かもしれぬと眺めているのか、その点はわからぬ。その未知数の面白さを含みとして余情を次句に委せている。愚痴ばなしの相手とばかり読んでいるとそいうことも見えてこない、と。


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子供握ってくれるお米がこぼれます

2009-07-13 22:18:40 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月6日の稿に
10月6日、晴、油津町行乞、宿は同前-肥後屋-

9時から3時まで行乞、久しぶりに日本酒を飲んだ、宮崎鹿児島では焼酎ばかりだ、焼酎は安いけれど日本酒は高い、私の住める場所ぢやない。
十五夜の明月も観ないで宵から寝た、酔つぱらつた夢を見た、まだ飲み足らないのだらう。
油津といふ町はこぢんまりとまとまつた港町である、海はとろとろと碧い、山も悪くない、冬もあまり寒くない、人もよろしい、世間師のよく集まるところだといふ。-略-
※表題に掲げた句のほか3句を記している


―四方のたより―
今日のYou Tube-vol.20-

KASANE-襲- Scene.2-連句的宇宙by四方館 Vol.2



―世間虚仮― リアルな夢?

都議会選挙は民主の圧勝となり、いよいよ衆院解散、8月30日投票、と選挙関連が紙面を占めるなかに、「300万円で夢を買う」と見出し。サマージャンボ宝くじ発売の記事だが、なんと府内会社の女子社員が仕事仲間の代表で300万円分を購入したという話題、1万枚の籤券を段ボールで受け取って帰った、と。

以前から仲間内での団体買いが流布していたのは先刻承知だが、300万の投資で仮に3億円を手にしたとしてもたかが100倍にすぎないではないか、ここまでくると「夢を買う」とは到底云えたモンじゃなかろう。
不況の底から這い上がる気配は見えず、夏のボーナスも大幅カット、いまだ八方塞がりの世間を映した、いかにも世知辛い噺ではないか。


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不届な隣と中のわるうなり

2009-07-12 22:17:21 | 文化・芸術
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―世間虚仮― 謝って宮崎へ帰れ!

ビートたけしが、自分を「総裁候補に」と売りつけ、凋落の自民をどっぷりと巻き込んだそのまんま東の騒動に、本人を掴まえて執拗に説教を垂れたという。「逆風どころじゃない、頭の毛が全部なくなるぞ!」とは、蓋し名言とは云えぬが、まあよく言ったとしておこう。

たけし節を散々浴びたそのまんま東、さすが身に堪えたか、一夜明けた愛知県某所の講演では、「県民の意思もあるので、重視しないと…」とこれまでとは一転、弱気発言に終始したというから、身の程知らぬこのバカ騒ぎもほどなく終熄しそうな雲行きである。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.19-

もう2年前になる作品のVideoだが、このほどupしたのでご紹介する
立ち退き騒ぎでいまはもうないが、07年5月、新世界のDance Boxで
「連句的宇宙by四方館」として発表した
二つの作品「KASANE-襲-」と「NOIR,NOIR,NOIR-黒の詩-」の記録だ
先ずは「KASANE-襲-」のScene.1

KASANE-襲- Scene.1-連句的宇宙by四方館 Vol.1



<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>


「空豆の巻」-19

   ふとん丸けてものおもひ居る  

  不届な隣と中のわるうなり  岱水

次男曰く、二-名残-ノ折入。物思の原因を隣同士の不仲と見定めた後付と読めるが、「不届」は男の使うことばだろう。「不届な」は「ものおもひ居る」とは似つかわしくない、というところが滑稽のたねか。

隣に住む若い男女の恋-縁-のもつれと前句を読んで、娘の父親がつむじを曲げている、と解すればわかる。若者の恋を親がへだてる。当人同士が気まずくなったから家同士も不仲になったのではないのだ。ことばの釣合を破ってみせたところが工夫だろう、と。


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秋暑い乳房にぶらさがつてゐる

2009-07-11 15:50:28 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月5日の稿に
10月5日、晴、行程2里、油津町、肥後屋

ぶらりぶらりと歩いて油津で泊る、午前中の行乞相はたいへんよかつたが、午後はいけなかつた。-略-
秋は収穫のシーズンか、大きな腹を抱へた女が多い、ある古道具屋に「御不用品何でも買ひます、但し人間のこかしは買ひません」と書いてあつた、こかしとは此地方で、怠け者を意味する方言ださうな、私なぞは買はれない一人だ。

同宿のエビス爺さん、尺八老人-虚無僧さんのビラがない-、絵具屋さん、どれも特色のある人物だつた、親子3人連れのお遍路さんも面白い人だつた、みんな集まつて雑談の花が咲いたとき、これでどなたもブツの道ですなあといつた、ブツは仏に通じ、打つに通じる、勿論飲む打つ買うの打つである、またいつた、虱と米の飯とを恐れては世間師は出来ませんよと、虱に食われ、米の飯を食ふところに世間師の悲喜哀歓がある。
※表題に掲げた句のほか6句を記している

―世間虚仮― フルトそろばん、って?

漢字は好きだが、ちょっぴり計算によわい我が家の2年生、2学期ともなれば九九を習い始めるし、早めの対策を施すかと、6月から近所に今年からopenしたばかりのそろばん教室に通わせはじめたのだが、この教室の指導法が、昔ながらの習うより慣れろで育った父母からみれば、どうも腑に落ちない。週2回通っている子どもが、宿題と云って持って帰るプリントなどを見ても、なにやら理に落ちすぎていやしないかと感じられてしかたがない。

そろばんはデジタル式の計算機だといわれる。いわば電卓の古式版といったところだが、文明の利器たる電卓より優れて暗算能力を高めてくれる。それは視覚において十進法に適っているからだ。特異な暗算能力の持ち主が、脳内でそろばんを弾いているだろうことは、疑いの余地はない。

私なら、いの一番に、1から10まで足すのを、とことん反復させ、指と脳に刷り込ませるところだが、この教室ではそうはなさらないようである。すでに一ヶ月余り過ぎて、昨夜も宿題のプリントをやっていたが、一桁の数字が3つか4つ並んで、引算が混じったものだ。それを彼女は、むしろ頭で先に計算しながら、珠の動かし方を覚えようとしているといった態だ。

仕事で遅く帰ってきた連合い殿をつかまえて、「こりゃちょっとおかしいぜ」と話を振ったら、「この教室、フルトそろばん、と云っているけど、私も首を傾げるところがある」との返答。

Netをググっても頭に冠した「フルト」の由来がまるで見当つかない。カラヤンの前にベルリン・フィルの音楽監督を務めたドイツの著名な指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、いまでも熱烈なファンやマニアが多いというが、まさか音楽家の名前に由来するものとは思えない。その彼に数学者の従兄がいた、彼より17歳ばかり年長で、その名はフィリップ・フルトヴェングラー、数論を究めたというこの学者は、半身不随の身で車椅子の学究生活だったらしいのだが、その殆どをウィーン大学にあって、かの不完全性定理のクルト・ゲーデルらを輩出させている。

フルトそろばんの「フルト」と辛うじて結びつきうるとすれば、この数学者の名に由来するものかと思えなくもないが、はたしてどうか、まるで確証はない。


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