弟の夏坊の場合は、拒否というほど強いものではありませんでした。
幼稚園のときは涙を見せる日もあったけど、手をひかれれば一応ヨチヨチ歩いたし。
いまも母とおててつないで、とぼとぼヨチヨチ・・・。
私のほうも、おにいちゃんのときにくらべれば、ずっと気楽な気分です。
なにしろ、もっと激しいのを経験済み。しかも、時期が来れば元気に登校するという前例を、しっかり見ている。
まあ前例どおりいくとは限りませんが、少なくとも今は、あれこれ心配せずにすんでいる。
さて、ここで。このエッセイ第1回目の冒頭に話が戻るわけですが・・・。
登校を嫌がって泣いていた、クラスメイトの女の子。
彼女は1人っ子でした。そしてその子も、その子のお母さんも、いかにも真面目そうなタイプ。
玄関先で子どもを説得している姿が、ほんとに大変そうで・・・。
わかるわかる、最初の子はとくに、すごくおおごとに感じちゃうよね。でも、そんなに真面目にならなくったって、大丈夫だよ。
・・・と思ったとき。
急に気がついたんです。
体操服を嫌がっていた冬坊。
ふだん洋服になんかまったく興味を示さなかったので、口実をつけてるだけにちがいないと思っていたけれど・・・。
あんなに嫌がっていたなら、かわいいアップリケとかをつけて、気をひいてあげればよかった。
おもちゃだって、何か小さくてかわいいものを、ポケットにいれてあげればよかった。
そんなこと、考えつきもしなかった。
だって、真面目だったから。
幼稚園が決めている服とか決まりごとを、勝手にいじっちゃいけないと決め付けていたから・・・。
実はほかのママさんたちも、けっこうアップリケや刺繍で遊んでいるんだとわかったのは、年長くらいになってからです。
年少のときは、目にはいってもいませんでした。
自慢じゃないけど、学生時代から融通の利かない優等生の性格だったんですよね。
今回、ほのぼの編なのに長いエッセイをのせてしまおうと思ったのは、このことに気がついたからなんです。
あんなに泣かせなくてもすんだんじゃないか。もっといいやりかたがあったんじゃないかと、反省したから。
だけど。
実は、書いているうちに、もっともっと大切なことに気がつきました。
それは・・・
「子どもが自分の力で乗り越えていった」ということ。
当時はいろいろしてあげたつもりでいたけれど、私はほんとは大したことをしていない。
アップリケさえ思いつかない親だった。
でも、子どもは自分で乗り越えた。
たぶん子どもの心の中には、言葉にできない感情やストレスや葛藤がいっぱいあって。
大人には、そんな子どもの気持ちなんて本当のところわからない。
でも、子どもは自分で乗り越える。
それだけの力を、ちゃんと持っている。
親が子どもにしてあげられることなんて、実はそんなに多くないんですよね。
どんなに心配してたって、教室の中まで入っていけるわけじゃない。
となりの席にすわっていられるわけじゃない。
学校や友達や勉強に、向かっていくのは子ども自身。
しっかりごはんを食べさせてあげること。
よく眠れるようにしてあげること。
帰る家をちゃんと用意してあげること。
親にできるのは・・・せいぜいそんなことくらい。
でも、それでいいんじゃないのかな。
それが、いいんじゃないのかな。
私は小心者の心配性なので、子どものやることなすことに、ついつい口を出したり手を出したりしてしまうんです。
これから思春期に入っていくと、もっともっと口出ししてしまいそうな予感がします。
そんなときに、いま気がついたことを、思い出せるようになりたい。
忘れないようにしたい。
そして、いつか子どもにも伝えてあげられたらいいなって思います。
幼稚園のあのころ、冬坊はまだ4歳だった。
たった4つの子どもでさえも、自分の力で乗り越えていったんだということを。