月曜日の朝。
4年生の冬坊を学校に送り出してしばらくすると、あわただしくピンポンの音が。
上履きを忘れた冬坊が、途中で気づいてもどってきたのでした。
「忘れちゃった・・・」
と、動揺している彼の目には、あらら、涙が・・・。
すぐに気づいたんだし、忘れても事務所でかしてもらえるし。
そんなことで泣くかな~、4年生にもなって??
帰宅してから平然と「今日、教科書忘れた」なんて言ってる日もあるのに・・・。
子どもの涙って、大人には計り知れないデリケートな代物ですね(笑)。
でも。
小学生の忘れ物って、本人、とくに1年生なんかには、それこそ大人には計り知れない大事件なのかもしれません。
先日、出会った光景。
朝、夏坊と同じクラスの女の子が、泣きながら通学路を引き返してくるんです。
帽子かぶるの忘れちゃった、うええ~ん、って。
黄色い帽子は大切だけど、教室についたら帰りの会がおわるまでかぶらないわけだし。
先生だって、案外忘れたことに気づかないんじゃ?
大丈夫だからとなぐさめて、とりあえず学校までついていき(夏坊を送っていくので、いっしょに登校)、そのあとでその子のママにメールしました。
そしたら、働いてるからすでに家にいなかったことが判明。
じゃあ、あの子が家までもどっても、中に入れなかったってこと?
うわー・・・よかった、そんなことにならなくて・・・。
1学期などはとくに、通学路の途中で泣き出す1年生たちを何回も見ました。
忘れ物に気がついたり、宿題が不安だったりして、泣いちゃうんですね。
つまりそれくらい、子どもたちにとって学校が絶対的、先生の存在が絶対的だということ。
だからこそ、あんなに大勢の子どもたちがいっせいに先生の指示通りに動いたり、遊びたいのをがまんしてお勉強したり、係やお当番の仕事をがんばってやったりできるんですよね。
夏坊は、私がいまだに校門まで送っているため、泣く羽目にはならずにすんでいますが。
このあいだ、歯みがき指導の日にもかかわらず歯ブラシ忘れて、先生のお小言をちょうだいしたそうな。
「1,2年生の忘れ物は親の責任」って、冬坊1年のときの担任が話してたっけ。
ああ、失礼しました、夏坊。
でも、少しは自分で持ち物の用意もしようねー。