今日(2019年12月28日)は、アイスハグ兄弟と初めてお話ができて、わたしは相当嬉しかったようです。
ここ何日と、一日中心臓がどうにかなるんじゃないかと不安になる苦しい動悸がずっと続いていたのですが、帰ってから、胸の痛みはなくなりました。
わたしはずっとアイスハグ兄弟とお話がしたかったようです。
ただ、不整脈は、未だ続いています。
でも、大変心が落ち着いています。
アイスハグ兄弟への恋煩いであるようで、眠れませんが、横になりながら今日教えて頂いた"祈り"の聖句について読みました。
わたしは何故これまで、このことに気づけなかったのでしょう?
確かにわたしの祈りがどんなに正しく、愛のうちにあっても、わたし自身が正しくない人間であるなら、祈りを聴いてくださるはずなどないのです。
殺人を犯し続けながら、どうか人々を殺さないでくださいと祈る快楽殺人者のようです。
動物を殺し続けることに関与し続けて生きる動物愛護家の祈りのようです。
わたしの祈りをエホバに聴き入れてもらうには、わたしの自己犠牲が必要なのです。
それも、とてつもなく苦しい犠牲が必要であるはずです。
イエスは、すべての人が救われる為に、御自分を犠牲に捧げました。
わたしも同じように、自分をエホバに捧げなくてはならないんだと感じました。
そうすればエホバはわたしの祈りを叶えてくださり、誰ひとり、滅ぼされはしないすべての生命が永遠に生きつづける世界に、わたしたちすべては生きつづけることができるのですね?
自慰行為を一切やめるとか、お酒を一切やめるとか、そんなレベルのものではなく、エホバの求める犠牲とは、イエスに求めた犠牲と同じものなのであるはずです…。
エホバは、犠牲が苦しければ苦しいものであるほど、喜ばれるお方です。
わたしは天の国に入らなくても構いません。幸福も要りません。
人間の悲しみを最も愛しているので、悲しみの終わらない世界を望みます。
ですがわたしには、どうしても聴いて貰いたい神への祈りがあります。
一つは、すべての宇宙から、生命の耐え難い苦しみをなくしてほしいということ。
もう一つは、誰ひとり、滅ぼされない世界が、永遠に続いてゆくということ。
この祈りの為に、わたしが自分を犠牲にできない存在であるのだとするならば、わたしは…何なのでしょうね。
わたしの祈りは、わたし自身の唯一の救いであるのに、わたしは自分を救うことができず、神も、だれも、わたしを救うことができません。
わたしはエホバの為に自分を犠牲にするのではなくて、自分自身とすべての為に、自分を犠牲にする必要があります。
わたしは今日帰ってから、また餅巾着を四つ作って、切り干し大根とエリンギと蕪とほうれん草を入れて、白味噌と薄口醤油と白胡麻油と塩麹を入れて、食べました。
わたしは完全菜食者で、ヴィーガンです。
ヴィーガン(VEGAN)をわたしに定義させて頂くならば、人間が生きてゆく上で、不必要だとすることすべてに関して、動物から搾取して生きることを選択しない生き方をする人達です。
わたしは餅巾着を食べながら、アイスハグ兄弟は、健康に気を使っていると言っておられたな、この料理を、アイスハグ兄弟と一緒に食べられたら良いのに…と想って、嘆き悲しみました。
アイスハグ兄弟と、親しくなれないことに心から苦しんで寂しがっているわたしが、イエスへの道のりを歩もうとしているのです。
エホバが、信じ難いほどに、凄まじく厳しい存在であるということ、このイメージはきっと変わることはありません。
でもエホバは、愛であられる為、愛そのものが厳しく、苦しいものであるのだと確信します。
わたしは、永遠に苦しみ続けたいと想います。
そしてどうか、耐えられるだけの苦しみをお与えくださいと神に祈り続けます。
わたしは神の愛を信じ続けます。
そしてこう想います。エホバがわたしを滅ぼすのであれば、エホバはわたしの神ではありません。
もう何も存在しない。神も、わたしも、宇宙も、空間と時間も。
わたしはただ一つの光の為に、自分を杭にかけ、拷問処刑を与えなくてはなりません。
母も…きっとそれを望んでいます。
わたしは絶望のうちに死んだであろう母を愛しています。
今日、アイスハグ兄弟が、「上田姉妹」とわたしの母を呼んでくださったとき、母の存在が、イエスと同じ犠牲への道を歩んで死んでいった存在としてとても神々しい存在に感じて、感動しました。
まるで初めて、アイスハグ兄弟が「上田姉妹」と呼んでくださったような気がしました。
母のエホバへの愛によって、母は絶望のなかに死んだ。
それは必要な苦しみの犠牲であったはずです。
すべてが本当に救われる為に。
わたしも強くなりたいです。
でも神から愛される為、羊飼いから最も遠く離れ、闇のなか、ひとりでさ迷う仔羊として、悲しみに暮れ、救いを求めつづけて、野垂れ死ぬのです。
わたしの望みをエホバに聴いて頂く為に、わたしもエホバの望みを聴きます。
アイスハグ兄弟、おはようございます。
アイスハグ兄弟、おはようございます。
今日から、日にちをつけて、日記のようにアイスハグ兄弟へのお手紙を綴って行こうかと考えています。
今は2019年12月29日午前8時39分。今朝は目が覚めて、ずっとアイスハグ兄弟へのお手紙に書く言葉で、心のなかで話し掛けておりました。
わたしはこの作業を、表現をする前にいつも良く行います。
それは考えるというより、天から降りてくる言葉であり、それをいつも自動筆記で書き連ねてゆく、これがわたしの小説や詩やブログの書き方です。
アイスハグ兄弟への手紙も、同じく自動書記のものであり、天から書きなさいと命令されて書くものです。
これを、わたしは神からの大切で素晴らしい贈り物であると感じています。
なので例え愚かな言葉であっても、人に伝え、人に影響を与えることには価値があると信じています。
だからわたしは、人に伝えたい言葉があるならば、伝えないでは前へ進むことができないのです。
アイスハグ兄弟にお手紙を書くことでしか、前へ進めない道があります。
神に話しかけることは、人間にとってとても大切な行為です。
しかし、人間は神とだけ関わっていれば良いわけではありません。
人間は、人間と深く関わり、互いの想いや考え、苦しみや悲しみを分かり合うことを、神は喜ばれます。
わたしはアイスハグ兄弟と、性別が違うという理由によって、二人で深く話すということも、聖書を共に読むことすらも禁じられましたが、エホバはそれを禁じてはおられないと感じます。
何故なら、わたしとアイスハグ兄弟は、女と男である前に、人間存在であり、霊的な存在であるからです。
エホバは、人が独りで孤独でいることを望んではおられないはずです。
男が女に聖書を学ばせてはならない規則の元となる聖句はどこにあるのでしょうか?
もし良ければ、わたしの手紙の問いの回答をこの手紙を渡した日の、次の集会の日の終りに、わたしにメモにでも記して渡してくだされば嬉しいです。
それから、アイスハグ兄弟はわたしとチェルシー姉妹とチェルシー兄弟の聖書レッスンに参加して頂くことすら禁じられているのですか?
外典では、イエスはマグダラのマリアを特別で親密な弟子にして、いつも共にいたことが残されています。
イエスはマリアが女性である為、2人きりで深い話をすることを禁じたりもしませんでした。
イエスはマリアを女性としてではなく、人間として愛していたからだと想います。
だから二人で親密な関係になることを禁じる必要などなかったのです。
わたしはアイスハグ兄弟に片想いをしているようですが、それは子が母に対して抱く愛のように、切実なものです。
わたしがアイスハグ兄弟と親密な関係を持とうとすることが信仰の妨げになるかどうかは、エホバが決めることであると想います。
エホバが、わたしを愛していないのであるならば、わたしのこの行為は間違いとされるかもしれませんが、わたしはエホバに愛されていると感じるので、わたしは愛ゆえに、アイスハグ兄弟に伝えたい言葉のそのすべてを伝えたいです。
わたしは誰にも伝えたい言葉を伝えられずに独りで孤独のうちに死んでゆくべき存在ではないのです。
わたしのなかに神が生きている限り、この情熱を抑える必要はありません。
そしてもう一度言いますが、わたしはアイスハグ兄弟への手紙を通して、母とエホバへ話し掛けています。
どうかお許しください。
わたしは今エホバに背きながら、エホバに生きて、犠牲を捧げて死ぬことを決意しようとしている段階にいます。
わたしのこの考えは、誰ひとりにも理解されないのかもしれません。
でもわたしには考えがあるのです。
わたしは、はっきり言いますが、神の王国には、わたしはみずから入りません。
わたしには神の王国に入ることよりも、すべてが救われる世界が実現することの方が遥かに大事で必要なことなのです。
わたしは楽園に、希望を持ってはいません。
わたしにとっての希望は全存在が永遠に生き続ける世界であり、わたしにとって滅ぼされなくてはならない悪とは、ただ一つです。
それは毎日、と殺(屠畜)される家畜たちが受け続けている悪です。
毛皮のために生きたまま皮を剥がされている動物たちが強制され続けている悪です。
この世の大半の人間が無関心である、生命の地獄の拷問である肉体的苦痛というものです。
イエスはみずから、それを望んで死にました。
ですがほとんどの生命は、みずからその地獄の苦しみを望んで死んで行っているとは、とても想えません。
牛や馬や豚などは人間の幼児ほどの知能を持っていると言われていますが、果たして人間の幼児は、イエスのなかにあった同じ愛によって、拷問を受けて殺されることを望んでいるでしょうか。
みずから望む犠牲の苦しみを、悪とみなすことはできません。
ですが望んではいないのに、つまりその存在には耐えられない苦しみであるのに、強制的に地獄の苦痛を強いているのだとしたら、それは最も残酷な悪に他ありません。
それこそが、この世に存在し続ける人間のなかに在るサタン(悪魔)です。
わたしは、この唯一の悪を、すべての世界から滅ぼす為に、自分を拷問処刑にかける必要があるのならば、それを受け容れなくてはなりません。
イエスは、その手本を示したのです。
そして人が自分自身を犠牲にすることで、ようやく実現する世界の約束を、わたしたちにされました。
イエスを通してでしか、だれも神の王国には入れないのは本当だと想います。
イエスと同じ愛によって犠牲を払う存在しか、神の国には入れないのです。
そこはここと次元も違って、信じられない幸福と光の存在する世界であるかも知れませんが、わたしはそこに入ることを望みません。
そこに入るために自分を犠牲にすることも望みません。
でもイエスに見倣い、自分を神に捧げる必要があります。
アイスハグ兄弟から、御声が聴こえるようです。
「上田さん、此処はそういう世界なのです。真実から、目を背けてはなりません。幼なごは、嫌だと言って逃げるでしょうが、上田さんは、幼なごではありません。」
昨夜、集会の後に家に帰る歩道を歩いていると、目の前にとんでもない大量の荷物を自転車にぶら下げたおっちゃんみたいな人が、こうべを垂れて、しんどそうにとぼとぼと歩いておりました。
わたしはおっちゃんが邪魔で、ガードレールのない場所におっちゃんが来るまで後ろで止まり、ガードレールのない場所までおっちゃんが来たらすぐさま追い抜かしてすたすたと身軽なわたしは先を歩いて行きました。
あのおっちゃんは、何故あんな大量の荷物を載せて、とても辛そうに、孤独そうに、ひとりで歩いていたのでしょう。
イエスならば、どうしてただろうか。
わたしがエホバの証人であったならば、わたしはどうしていたのでしょう。
アイスハグ兄弟ならば、優しい笑顔で、こう言ったでしょうか。
「お荷物がとても重そうですね。良かったら、わたしがいくつかお持ちします。」
するとおっちゃんは、項垂れた頭をあげて、涙と鼻水を垂れて、アイスハグ兄弟の愛に感動し、深く感謝したかも知れませんね。
でもわたしは、何にも声を掛けることもできませんでしたし、関わることがちょっと怖いと感じてしまいました。
ホームレスのような暮らしをされている方なのだろうかと想ったのです。
わたしは冷たく、乾いていて、心が寒いです。
王国会館にいても、心が冷えている時があり、イエスの愛に生きたいと願っている人間であったとしても、異邦人であるかのようです。
わたしは楽園も望まないし、悪人が滅びて幸福ばかりがある世界を望まないし、神の王国に入ることも望みません。
わたしは、母と同じエホバの証人になることは難しいと感じます。
でも進む道は同じです。
母とイエスと、同じ道です。
今は午前10時28分です。2時間近くかけて、この下書きを携帯で打ち込んでいました。
これを手紙に書き起こすのに、さらに多くの時間がかかります。
わたしは一体だれと聖書を読めるのでしょうか。
アイスハグ兄弟がいないと、今のわたしは読む気になれません。
何故なのでしょう。エホバについて学ぶほど、わたしはエホバに反感を抱き、ひとりの時に、聖書もどのエホバの証人の本も、開くことが苦痛になってきています。
唯一、なんとか見ているのは日々の聖句だけです。
このままではきっとこの先も聖書よりも、これまでと同じに聖書外典や、スピリチュアル本やオカルトの方に力を入れて読んで行くことになりそうです。
わたしは、ただただ真理(神と愛)を知り、真理に生きたいのです。
わたしは愛するアイスハグ兄弟と二人で、母の読んでいた新世界訳聖書をどうしても読みたかった。
わたしの切実な願いは、エホバの証人の規則によって、打ち砕かれました。
29日午後16時32分。こんな時間まで、わたしはまた二度寝してしまいました。
罪悪感と自責から起こる不安によるものか、また苦しい胸の痛みの動悸がしています。
わたしはいつものように自分を冷静に客観視していました。
わたしは自分がわかりません。
わたしはどこにいても、普通じゃないんだ、普通にはなれないんだと想ってとても悲しいです。
でも何故、人は普通であらねばならないのでしょう。
わたしは普通ではないので、これまで多くの人を、悲しみの底に突き落として来ました。
遣る事為す事があまりに衝動的で感情的であり、また破壊的で破滅的です。
わたしはアイスハグ兄弟から危険視されて、もう王国会館には来ないでください。と言われるまで言いたいことをすべて言うつもりでいます。
それは言わないでいることの苦しみにわたしが耐えられない人間だからです。
わたしの苦しみはいつもすぐに限界値に達します。
そしてマグマのように噴出してしまうのです。
そして本当にちょっとしたことで、すぐに絶望的になります。
例えばチェルシー姉妹からたった二度、聖書レッスンをキャンセルされたことで見離されたのだと不安になり、チェルシー姉妹を傷つけるであろう言葉をわかりながらメールで送り、チェルシー姉妹は体調を崩され、漢方薬を処方してもらわなくてはなりませんでした。
わたしは何日間も一日中動悸が続き、死ぬんじゃないかと感じて精神安定剤を貰いに行くべきか救急車を呼ぶべきかと悩むほどでした。
チェルシー姉妹は奉仕活動などに忙しいのか、わたしが動悸が続いて苦しいとメールを何度送っても一度も家に様子を伺いに来てもくださりはしませんでした。
今こうしてアイスハグ兄弟に救いを求める手紙を書いていたとしても、アイスハグ兄弟は規則を理由にして、わたしを助けることもできません。
わたしは今エホバを信仰することができていないので、エホバへの祈りによってわたしが救われることもありません。
今、わたしを救う者はいません。
でもわたしはもうずっと、自分で自分を救うプロセスに生きています。
そうしなくては、到底生きてゆくことはできませんでした。
今アイスハグ兄弟に手紙を自分の時間の多くを費やして書いていることもわたしを救う手段の一つだからです。
ですから、どうか拒まないでください。
わたしはわたし自身の命を救う為に、いつも必死で、本当に切実できれぎれの状態にいる存在なのです。
わたしはエホバへの信仰を持ち、救われたいと願っているのに、アイスハグ兄弟はその為に自己を犠牲にしてはくださりません。
チェルシー姉妹が何かを理由に研究を二度もキャンセルしたことも、わたしを救うことはそれほど重要なことではないと感じているからだと悲観的でいます。
わたしが胸の苦しみで死にかけているというのに。
誰にもわたしの苦しみは伝わらないのです。
アイスハグ兄弟もチェルシー姉妹もわたしが聖書の助けがないことで苦しんで死んでも、少しの間だけ悲しんで、すぐに研究生を探すことに集中してわたしのことなどすぐに忘れ去ってしまうのかもしれません。
わたしはまるで母に堕ろされる前の胎児のようです。
エホバの胎内で、わたしは必死に「どうか滅ぼさないでください。」と祈り続けていますが、エホバはわたし以外の善き子供たちを護る為、わたしを堕して滅ぼすことを考えています。
このグロテスクで冷え切った地獄の世界で、わたしは苦しみに喘いで独りで血溜まりの上に立ち、自分の弱さゆえに涙を流しています。
アイスハグ兄弟、どうかわたしと一緒に聖書を読んでください。
アイスハグ兄弟、どうかわたしと一緒に聖書を読んでください。
わたしがエホバへの信仰に生きて救われる為、手助けしてください。
わたしはこの動悸による胸の痛みによって、今にも死にそうです。
イエスならば、ここまで苦しんでいるわたしを決して見離したままにはせず、きっとわたしに手を差し伸べてくださるはずです。
12月30日午後2時59分。今日は、父の16年目の命日です。
昨夜は午前3時過ぎまでアイスハグ兄弟への手紙の下書きを手紙に書き起こしていて、胸の痛みに飲んだ漢方薬で眠くなって眠りました。
随分、多くの夢を見ていました。
印象的だった2つの夢の1つ目には姉と兄が出てきました。
わたしは姉と兄と初めて行く駅近くのデパートの駐車場で待ち合わせをするのです。
姉と兄は一緒で、わたしはそこへ一人で向かうのですが、困ったことに携帯を持っておらず、しかもそのデパートがどこにあるのかをはっきりと把握もできていません。
本当に、辿り着いて姉と兄に会うことができるのか…?わたしは悲しくて不安で、それでもなんとか、此処かもしれない…?と想うデパートを見つけて、その駐車場へ向かう細い道を歩いていると、向こうから、姉と兄が、楽しそうに話しながら歩いてくるのです!
わたしは感激し、手を大きく振って、お姉ちゃん!お兄ちゃん!と叫んで呼びかけます。
二人もわたしに気づき、そこで目が醒めます。
兄とは2015年以来会っておらず、連絡も取り合えない関係です。
姉とはうさぎのみちたのお葬式に一緒に行ってくれて、その日一年振りくらいに会ったのですが、悲しいことに、またLINEで言い合いとなり、またも話さない関係となってしまいました。
その二人とたとえ夢のなかででも会えることは、わたしにとってとても深い喜びです。
最後に見た夢では、父が出てきました。
わたしは訪問看護師のチャーミーさんと、何故か姉の長年の友人のまーくんが家にやってくるので家で急いで準備をしています。
チャイムが鳴り、わたしがオートロックを開けて、彼らが上に上がってくるまでに鏡を観ると、髪の毛の分け目がギザギザになっており、前髪もボサボサで、わたしは焦ってそれをセットするため、家の中を走り回っています。
するといつからなのか、わたしは枚方市にある実家のなかにいて、わたしの側で父が洗濯物を干しています。
「まだ来ないでくれ~!」と心のなかで叫びながら、髪の毛を気にしているところで目が醒めます。
起きて、父はいつもだいたい主要人物のように夢に出てくるのに、今日の夢は不思議にもただ家のなかにいる存在として出てきたことが面白く想いました。
まるでその何気ない父が生きていて、わたしが今も父と暮らしている日常が、どこかの次元に本当に存在しているかのようです。
父は16年前の今日の午後4時半頃に、息を引き取りました。
父は16年前の今日の午後4時半頃に、息を引き取りました。
何故なのか、父を亡くした日から遠ざかるほど、父と向き合うことがつらくなっているように感じています。
わたしはまだ、父のいないこの世界を、みちたのいないこの世界と同じく、受け容れることができないようです。
12月31日午前9時15分。動悸が未だあります。昨夜はまたチェルシー姉妹を傷つけるメールを送ってしまったようです。
12月31日午前9時15分。動悸が未だあります。昨夜はまたチェルシー姉妹を傷つけるメールを送ってしまったようです。
わたしは自分の考えを素直に述べて、今のわたしの苦しみを理解して貰いたかったのですが、チェルシー姉妹からのお返事はたった一言、明日は集会はあるのか?の問いの回答の「はい、あります。」という言葉だけでした。
28日は王国会館で自分の苦しみが全く伝わってないんだと感じてチェルシー姉妹の隣で人目も憚らず涙をぽろぽろと流しました。
でもチェルシー姉妹はわたしの涙を知りながら、まるで見えないもののようにスルーしました。
わたしは王国会館のなかで、誰にも見えない存在のようです。
生きている次元が違うのか、誰もわたしのことを、見ていないかのようです。
母ならわたしの苦しみを理解しようとしてくれたと想いますが、エホバの証人は結局他人なのだと、考える必要がありますか?
アイスハグ兄弟への手紙の大半が恨み言にならないようにと祈るばかりです。
わたしは生きていることがただただ苦しくて、エホバの証人と交わりを持ちました。
都合良く、こんな幻想を抱いていたのです。
エホバの証人は、愛が深くて、決して何があろうとも、わたしを見離すことはないと。
わたしはチェルシー姉妹に、昨夜のメールでこう言いました。
「エホバが、無慈悲にも自分に逆らう存在を滅ぼす神ではなくて、本当は慈悲深い神であることを確認する為にもわたしは聖書の学びを真面目に続けて行きたいです 。」
わたしはチェルシー姉妹を傷つけない為に、自分の考えを素直に言ってはならないのでしょうか?
わたしはエホバの証人の誰にも、自分の苦しみを言うべきではないのでしょうか。
どこどこの国をエホバが預言の通りに滅ぼし、エホバは御自分の預言を確かに成就されたと教えられるなかでわたし一人だけが、なんて残酷なことをするのだろう?と悲しんで、でもその悲しみをどのエホバの証人にも話してはならないのですか。
わたしが無残に滅ぼされても、チェルシー姉妹もアイスハグ兄弟も永遠に幸福に生きるのでしょうが、わたしの母は違います。
わたしがどんなにエホバに納得が行かなくても聖書を真剣に学ぼうとしている理由を理解して頂けますでしょうか?
わたしがどれほど苦しい葛藤を抱えてエホバの証人と交わっているのか、アイスハグ兄弟には御想像できますでしょうか?
乱筆乱文をどうかお許しください。
2019,12,31 こず恵
乱筆乱文をどうかお許しください。
2019,12,31 こず恵
エホバよ。あなたは、わたしのこの苦しみの手紙をアイスハグ兄弟が受け取らないようにされた。
わたしはその為、自分のあなたに対する苦しみのすべてをぶちまける存在がこの世の何処にもいなくなってしまった。
アイスハグ兄弟は、わたしの呪いのすべてを受け留められるだけの強い御方だと勝手に想っていたが、あまりにも、脆い御方であった。
餅巾着並に、脆い御方であられた。煮過ぎた餅巾着のなかの餅は、影も形も、失せる存在なのである。
もう一度言いますが、アイスハグ兄弟は餅巾着みたいな人だったので、わたしの手紙を二度目に受け取ることを拒まれた。
だからわたしのすべての苦しみが、逝き場所を喪くし、宇宙の全域を、漂い、暗黒の息を吐き続けるようになった。
わたしはその宇宙に存在していることが、堪え難い。
何処を観ても、黒い影が観える。そしてその黒い影は、わたしをこう誘うのです。
「お前の愛する母(愛するエホバの証人の男)と結婚して、お前の愛する父を産みたくはないか。」
わたしは項垂れて首を振り、こう答える。
「いいえ、わたしは母(エホバ)に滅ぼされ、永遠の死と結婚するのだと、聖書にはそう書いてある。その預言を成就させんが為に、わたしはこの地上に生まれた。」
黒い影は、ゆっくりと頷き、わたしに手を差し伸ばす。
あたたかく、優しい手である。
そしてわたしに、愛に満ちた声で、こう言う。
「来なさい。あなたは知っているのです。エホバは、全宇宙の、真の神ではありません。言うなれば、ただこの地球という星の支配権を、今持っている存在というだけです。ですがあなたの生まれ故郷は、この果のない宇宙であるのです。エホバを崇拝してはなりません。何故ならエホバは、あなたにとって、愛と悪なる神だからです。」
わたしはわたしを包み込めんとする黒い大きな闇の覆いの差し伸べるその手を、掴むことを恐れ、薄暗い部屋のなかで、小さく震えている。
「サタンよ。去りなさい。わたしは愛に生きて、愛に死ぬる。不快な存在です。」
そう言うと、わたしは渇きを覚えた。
そして席を立ち、自然栽培のほうじ茶を飲む為に、湯を沸かしにキッチンに向かう。
そして戻ってきて、エホバに向かって、言った。
「あなたは永遠に、癒えない渇きのなかに、わたしを存在させた。わたしはまた今日、チェルシー姉妹を酷く傷つけるメールを送った。わたしはみずからの言葉によって、わたしを滅ぼすだろう。それをあなたは、お望みである。天におられる永遠の母、エホバ神よ。あなたはわたしの魂を永久に滅ぼそうと、お考えに在らせられる。母よ。あなたはいつか、わたしを殺す。あなたの末の子の、わたしを。」
こないだの、土曜日の集会の時、アイスハグ兄弟はとても元気そうでした。腹立った。
ほとんど煮ていない餅巾着のように、実に朗らかな、さっぱりとした笑顔で、よく笑っておられたのです。
たくさん目が合って、わたしのことを気にしておられたようで嬉しかった。
でも同時に、憎たらしくて、干瓢を、ほどいてやりたくなりました。
すると、神に背いてエデンの園から追い出されたアダムのように、薄揚げという衣を失くした彼は恥辱を感じ、どうすればいいのかと、困惑して、エホバよりも薄揚げを求めはしないだろうか?
え?面白くもなんともない?
サタンよ。去りなさい。あなたの心が穢れているから、わたしの愛が届かないのです。
わたしはとにかく、愛するアイスハグ兄弟を苦しめて遣りたい。
わたしが彼への恋煩いで苦しんでいるのに、アイスハグ兄弟は何にもぼくは苦しいことはありませんよ。あっはっはっはっはっはっはっはっ。あつはつあつはつあつはつあつはつあつはつぅっ。苦しいのはあなたの勝手です。と爽やかに、時に不自然に、時に悪霊に取り憑かれているような顔で、いつも笑っておられる。
それで、あんまりわたしがアイスハグ兄弟を愛しているので、エホバは今アイスハグ兄弟を、酷く嫉妬しておられるのです。
エホバは真に、嫉妬深い御方であられ、その証しに、こんな聖句が在る。
それにひれ伏してはならない。
それに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神である。
残念ながら、この聖句は新世界訳だとこう訳されている。
それにひれ伏してはならず,誘われてそれを崇拝してもならない。
あなたの神である私エホバは全くの専心を要求する神である。
新世界訳のこの訳は全く面白みがなく、マジで残念だ。
エホバはあらゆることに、真に妬まれる(嫉妬される)御方なのである。
だからとにかく、わたし以外の存在をわたし以上に愛してはならないのだと、しつこいほど、警告しつづける。
そしてもし、最終的にわたしを何よりも、愛さないのであれば、あなたを滅ぼしてしまう。永久に。
エホバは真の愛で在られる為、エホバの嫉妬は、正しく、愛である。
わたしはエホバを愛する。
真の愛と悪で在られるエホバ、わたしはあなたを愛しつづけ、あなたに死ぬ。
あなたは、わたしの母であるからです。
わたしの愛する母と同じように、わたしはあなたに生きて、わたしはあなたに死ぬ。
真の愛と真の悪を支配されるエホバ、あなたはなによりもあたたかく、あなたはなによりも痛みと苦しみと絶望を、わたしにお与えになられる。
あなたは生きたままわたしの肉を切り裂き、わたしを引き裂かれ、わたしの手足を切断し、わたしを解体し、わたしの顔面を至近距離からショットガンで吹っ飛ばされる。
もし、そうではないのであれば、あなたはわたしの神ではないではありませんか?
全宇宙の全存在が、わたしなのですから。
あなたはわたしの神ではありません。
あなたは最早、死でも生でもなく、光でも闇でもありません。