“習近平一強不況”で弱まる中国
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」224/通算655 2023(令和5)年9/23/土】暑さ寒さも彼岸まで、と言うが、夜中から翌朝までは室温28℃あたり、昼から夜は30℃を超すからクーラーの世話になる日が続く。日差しが強過ぎるのだろう用水路沿いの彼岸花の開花は例年より遅れており、来週あたりから見頃になりそうだ。
人口が増える=建物が増える=密集地帯なる=風遠しが悪くなる=気温が上昇する・・・都市部での人口&企業集中は便利で機能的だが、温暖化や異常気象などを避けるために、過疎化が著しい地方に分散させていく必要はないか? 都市部=消費地とのアクセスの整備、税制優遇などのインセンティブにより地方再生と都市集中緩和を進めるべきだと思うのだが・・・「地方創生」などグダグダ協議している時期ではなく、今は拙速を恐れず行動に移すべき時ではないか。各員一層奮起せよ、イザッ、前進!
このところ塩野七生先生の「逆襲される文明 日本人へ/Ⅳ」(文春新書)を読んでいるが、人間は太古の昔から戦争と平和を繰り返してきた。いずこの民族も多神教だったが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という強烈な「一神教」が広まると、それぞれが「我こそ正義、それ以外は邪教」と偏狭になり、この1500年ほどは宗教対立による戦争が絶えない。塩野先生はこう嘆いている。(*は修一)
<ルネサンス(*およそ1300~1500年)とは、疑いから始まった精神運動である。(*キリストの死の300年後から)1000年もの間、キリスト教の教えに忠実に生きてきたのに、なぜ人間性は改善されなかったのか、という疑問を抱いた人々が、ならばキリスト教が存在しなかった古代では人は何を信じて生きていたのか、と考え始めたことから起こった運動だ。だからこそ「古代復興」がルネサンスの最初の旗印になったのである。
「ローマ人の物語」を書く勉強を始めながらあることに気付いた。書くためにはヨーロッパの学者たちの著作を読むのは不可欠だが、それをしているうちに、キリスト教がなかった古代を専門に研究しているにかかわらず、この人々の論調に「ヘソの緒」が切れていないとでもいう感じを持つようになったのだ。彼らはどうあがこうとキリスト教徒なのである。この種のヘソの緒が切れていない人々による古代研究を勉強しながらも、そこにある“隙間”が気になって仕方がなかった。
私はキリスト教徒ではない。と言って無神論者でもない。日本式の八百万(やおよろず)だが、キリスト教徒ではないのだから、キリスト教が存在しない時代に生きた古代人を理解するのはより簡単に違いない、そう思ったら気が楽になった・・・
ところが私の仕事も、多神教の古代が終わって中世に移ったら、そこは一神教の世界である。神となれば最高神だから、他の宗教の最高神とは敵対関係になる。お陰で中世はキリスト教とイスラム教が激突する世界。なぜこうも宗教ばかりが幅を利かせる社会になってしまったのか。
宗教は、人間が自信を失った時代に肥大化する。宗教が人々を助け救うという本来の姿であり続けるべき、と思うなら、政治や経済など俗事が機能していなければならない、ということだ>(以上)
政治・経済・社会が安定していないと、その隙間に「我こそ正義、信じる者は救われる、邪道許すまじ、破壊すべし」という、恐ろしく偏狭、排他的、過激な一神教がはびこることになる。人々の不安に乗じた新興宗教・・・迷える子羊はワラにも縋る思いで飛びついたのだろう。
「一神教」と言っても中身はいろいろで、キリスト教ではカトリック、プロテスタント、イスラム教ではシーア派、スンニ派、ユダヤ教では正当派、改革派などなど無数にある。各派閥は普段はお互いに「我こそ正統、他派は邪道」と敵対しているが、対外戦争などイザッ!という時には「小異を捨てて大同につく」、そこそこ結束するようだ。
多神教の日本では神道、仏教、道教、儒教から孔子、孟子、陽明学、それらを集大成したような武士道など無数にあり、ほとんどの人は違和感を持たない。「美味しければ良い」のである。正月は神社と寺院の両方にお参りしたり、神仏習合で寺の中に神社の鳥居があったりするから、一神教の信者から見れば「人間未満の未開人」と思われるだろう。逆に小生から見れば一神教の輩は「唯我独尊、我こそ正義、邪教殲滅」を唱える戦狼で、概ねカネ儲けにも熱心であり、小生は「奴らはこの世の禍の元、銭ゲバ、邪教ではないか」と不信感を持っている。
中共では建国以来、基本的に宗教は禁じられている。共産党が「絶対神」であり、それ以外は基本的に許さない。レーニンは宗教を弾圧したが、ロシア人は信仰を放棄しなかったので、結局、ロシア正教を官製にして独裁統治に利用し、それは今でも続いている。強権独裁の苛烈な政治でも信者は「あの世」を信じているから統治しやすいのだ。
中共は毛沢東が復権のために「文化大革命」を起こして伝統的な神を抹殺し、己を絶対神にしたが、御利益がないから人民は神仏の代わりにカネを信じる「拝金教徒」になった。1984年に上海で奇跡的に破壊されずに残っていた寺院を訪ねたら、倉庫にでもしていたのだろう、まるで廃墟、青年が「何、これ?」と訝(いぶか)しんでいたものだ。今では「宗教」とは何かを知らない人がほとんどではないか。その代わりに「自由民主」を信奉する人は増えているような気がするが・・・
日経2023/9/20:中沢克二編集委員の「習政権ウオッチ 北戴河にいた軍長老 曽慶紅隣席で習氏に無言の圧力」から。
<「この夏、あの海辺にいたのは力のある選りすぐりの長老だ。ほんの数人だけである」「そのうちの一人は中国人民解放軍の長老だ」「問題の(長老らとの)会合後、習近平は、自らの側近を前に感情をあらわにした」
中国の内情をうかがい知ることができる複数の人物の証言である。海辺とは河北省の海浜にある保養地、北戴河を指す。そこは毎夏、長老と習ら現役指導部が(意見交換をしている地である)・・・>
いわゆる「北戴河会議」。東京新聞2023/8/11社説「中国北戴河会議 独裁阻止の機能変質か」はこう報じている(要旨)。
<北戴河会議には、独裁者が生まれることを防ぐ「政治的知恵」の性格があった。現役の最高指導者であっても、引退した長老たちの指摘に耳を傾け、苦言を聞かねばならない。長老らによる指導部への影響力行使の場として、集団指導体制を下支えしてきた面があるといって差し支えないだろう。
しかし、状況は変わった。引退組のリーダー格だった江沢民元国家主席が昨秋に死去。昨年の共産党大会では、長老の一人、胡錦涛前国家主席が途中退席を促されるという異例の事態も起きた。その党大会で、習氏は、側近で固めた指導部を率い、過去に例のない党総書記三期目を始動させている。
名実ともに「習一強体制」が確立される中、長老たちの発言力、影響力は急降下したとされ、北戴河会議さえ、習氏の意向を追認する場に変質した可能性もある。
中国共産党が毛沢東独裁時代の反省に立ち、毛の死後、導入したのが集団指導体制である。「文化大革命」など大きな犠牲を払って手にした重い教訓だ。「独裁」の愚が繰り返されることがないよう党の自浄作用に期待する>(以上)
「党の自浄作用に期待する」・・・美しい言葉だが「中共軍のクーデターに期待する」とか「上海閥と共青団派による奮起を期待する」ということか? スターリンが何よりも恐れたのは「軍」で、夜中に軍の指導者が緊急の用で訪ねたら腰を抜かしたという。日本でも1936/昭和11年の「2.26事件」は将校・兵士1500人による「日本近現代史最大のクーデター未遂事件」として知られ、「陸軍>政府」の図式ができあがってしまったが、中国は軍のクーデターでしか習近平独裁を終わらせないかも知れない。それから先の中国はどうなるのか、吉とでるか凶とでるか、小生には分からないが・・・とにもかくにも習近平を排除しなければインド太平洋の安定は得られない、これは確かだ。
世界評論2023/9/18、遊川和郎・亜細亜大学アジア研究所教授の「深まる習近平一強不況 中途半端な政策とちぐはぐなメッセージ」から。
<厳格なゼロコロナ政策が終了したことにより,年初には上振れの予想が多かった中国経済だが,その後発表される主要経済指標は市場予想を大きく下回り,減速感が鮮明になっている。こうした状況に危機感を強めた中国政府は7月後半から次々と景気のテコ入れ策を打ち出す。消費喚起,民営企業(民間投資)振興,外資利用,株価・不動産対策などの領域である・・・
各分野での景気対策を長々と列挙(略)したが,どの政策も過去の政策をなぞったような焼き直しや継ぎ接ぎ(つぎはぎ)でほとんどインパクトはないのである。薄日が差したかに見られた不動産市場も目先の需給関係を緩和しただけで,どうやら長続きしそうにない。経営不振に陥ったデベロッパーをどうするのか,根本的な解決の道のりは見えない・・・
なぜ,どの政策もこうした中途半端なことになるのか。経済政策の実権は李強首相を筆頭とする国務院ではなく,党中央に集約された。すなわち全て党中央=習近平総書記の意向を踏まえなければならず,冒険などできるはずがない。中央政治局会議の包括的な決定(方針)をいかに具体化すればよいのか,忠誠を疑われないように,主席の発言や文脈を懸命に読み解き,そこから決して逸脱しないと思われる施策を恐る恐る出しているのである・・・
7月から改正「反スパイ法」が施行されるのを受け,米国政府は6月,中国で活動する米国や外国企業による通常のビジネス活動が中国当局からスパイ行為として「不法な拘束」を受けるリスクを警告,中国への渡航再考を促した。日本でもビザ取得の煩雑さを含め,訪中のハードルは高いままである。
都合の悪い統計は急きょ発表が取り止められる。民営企業に対する支持は些かも揺るがないと強調するものの党の指導は絶対で,いつ風向きが変わるか分からない。寄付の強要など富む者を目の敵にするような共同富裕や学習塾への規制など極端な世直し政策は,経済活動を委縮させ混乱を引き起こすだけで,その目的は達せられないでいる。
世直しに明け暮れる習近平体制は10年を超え,改革開放の日々は次第に遠のいていく。数年後にはもっと息苦しい社会が到来していることは予測できても経済活動が再び活況を呈している姿はなかなか想像し難しい。世直しはしても明るい未来が見えてこない。これが習近平一強不況の正体なのである>(以上)
著者の遊川和郎氏の履歴を見ると、毛沢東後のトウ小平の改革開放政策に魅かれて中国に関心を持つようになったようだ。東京外国語大学中国語科卒、上海復旦大学留学を経て、外務省専門調査員(在香港総領事館)、日興リサーチセンター上海駐在員事務所長、外務省専門調査員(在中国大使館)などを歴任している。中国の発展は氏の喜びでもあったろう。それが習近平政権になると掌返しで日本叩きが露骨になり、困惑が次第に習近平への反発になっていったようだ。「裏切られた、甘かった」という痛恨の無念、慙愧の思いだろう。習近平を駆除すべし。
・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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【雀庵の「大戦序章」224/通算655 2023(令和5)年9/23/土】暑さ寒さも彼岸まで、と言うが、夜中から翌朝までは室温28℃あたり、昼から夜は30℃を超すからクーラーの世話になる日が続く。日差しが強過ぎるのだろう用水路沿いの彼岸花の開花は例年より遅れており、来週あたりから見頃になりそうだ。
人口が増える=建物が増える=密集地帯なる=風遠しが悪くなる=気温が上昇する・・・都市部での人口&企業集中は便利で機能的だが、温暖化や異常気象などを避けるために、過疎化が著しい地方に分散させていく必要はないか? 都市部=消費地とのアクセスの整備、税制優遇などのインセンティブにより地方再生と都市集中緩和を進めるべきだと思うのだが・・・「地方創生」などグダグダ協議している時期ではなく、今は拙速を恐れず行動に移すべき時ではないか。各員一層奮起せよ、イザッ、前進!
このところ塩野七生先生の「逆襲される文明 日本人へ/Ⅳ」(文春新書)を読んでいるが、人間は太古の昔から戦争と平和を繰り返してきた。いずこの民族も多神教だったが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という強烈な「一神教」が広まると、それぞれが「我こそ正義、それ以外は邪教」と偏狭になり、この1500年ほどは宗教対立による戦争が絶えない。塩野先生はこう嘆いている。(*は修一)
<ルネサンス(*およそ1300~1500年)とは、疑いから始まった精神運動である。(*キリストの死の300年後から)1000年もの間、キリスト教の教えに忠実に生きてきたのに、なぜ人間性は改善されなかったのか、という疑問を抱いた人々が、ならばキリスト教が存在しなかった古代では人は何を信じて生きていたのか、と考え始めたことから起こった運動だ。だからこそ「古代復興」がルネサンスの最初の旗印になったのである。
「ローマ人の物語」を書く勉強を始めながらあることに気付いた。書くためにはヨーロッパの学者たちの著作を読むのは不可欠だが、それをしているうちに、キリスト教がなかった古代を専門に研究しているにかかわらず、この人々の論調に「ヘソの緒」が切れていないとでもいう感じを持つようになったのだ。彼らはどうあがこうとキリスト教徒なのである。この種のヘソの緒が切れていない人々による古代研究を勉強しながらも、そこにある“隙間”が気になって仕方がなかった。
私はキリスト教徒ではない。と言って無神論者でもない。日本式の八百万(やおよろず)だが、キリスト教徒ではないのだから、キリスト教が存在しない時代に生きた古代人を理解するのはより簡単に違いない、そう思ったら気が楽になった・・・
ところが私の仕事も、多神教の古代が終わって中世に移ったら、そこは一神教の世界である。神となれば最高神だから、他の宗教の最高神とは敵対関係になる。お陰で中世はキリスト教とイスラム教が激突する世界。なぜこうも宗教ばかりが幅を利かせる社会になってしまったのか。
宗教は、人間が自信を失った時代に肥大化する。宗教が人々を助け救うという本来の姿であり続けるべき、と思うなら、政治や経済など俗事が機能していなければならない、ということだ>(以上)
政治・経済・社会が安定していないと、その隙間に「我こそ正義、信じる者は救われる、邪道許すまじ、破壊すべし」という、恐ろしく偏狭、排他的、過激な一神教がはびこることになる。人々の不安に乗じた新興宗教・・・迷える子羊はワラにも縋る思いで飛びついたのだろう。
「一神教」と言っても中身はいろいろで、キリスト教ではカトリック、プロテスタント、イスラム教ではシーア派、スンニ派、ユダヤ教では正当派、改革派などなど無数にある。各派閥は普段はお互いに「我こそ正統、他派は邪道」と敵対しているが、対外戦争などイザッ!という時には「小異を捨てて大同につく」、そこそこ結束するようだ。
多神教の日本では神道、仏教、道教、儒教から孔子、孟子、陽明学、それらを集大成したような武士道など無数にあり、ほとんどの人は違和感を持たない。「美味しければ良い」のである。正月は神社と寺院の両方にお参りしたり、神仏習合で寺の中に神社の鳥居があったりするから、一神教の信者から見れば「人間未満の未開人」と思われるだろう。逆に小生から見れば一神教の輩は「唯我独尊、我こそ正義、邪教殲滅」を唱える戦狼で、概ねカネ儲けにも熱心であり、小生は「奴らはこの世の禍の元、銭ゲバ、邪教ではないか」と不信感を持っている。
中共では建国以来、基本的に宗教は禁じられている。共産党が「絶対神」であり、それ以外は基本的に許さない。レーニンは宗教を弾圧したが、ロシア人は信仰を放棄しなかったので、結局、ロシア正教を官製にして独裁統治に利用し、それは今でも続いている。強権独裁の苛烈な政治でも信者は「あの世」を信じているから統治しやすいのだ。
中共は毛沢東が復権のために「文化大革命」を起こして伝統的な神を抹殺し、己を絶対神にしたが、御利益がないから人民は神仏の代わりにカネを信じる「拝金教徒」になった。1984年に上海で奇跡的に破壊されずに残っていた寺院を訪ねたら、倉庫にでもしていたのだろう、まるで廃墟、青年が「何、これ?」と訝(いぶか)しんでいたものだ。今では「宗教」とは何かを知らない人がほとんどではないか。その代わりに「自由民主」を信奉する人は増えているような気がするが・・・
日経2023/9/20:中沢克二編集委員の「習政権ウオッチ 北戴河にいた軍長老 曽慶紅隣席で習氏に無言の圧力」から。
<「この夏、あの海辺にいたのは力のある選りすぐりの長老だ。ほんの数人だけである」「そのうちの一人は中国人民解放軍の長老だ」「問題の(長老らとの)会合後、習近平は、自らの側近を前に感情をあらわにした」
中国の内情をうかがい知ることができる複数の人物の証言である。海辺とは河北省の海浜にある保養地、北戴河を指す。そこは毎夏、長老と習ら現役指導部が(意見交換をしている地である)・・・>
いわゆる「北戴河会議」。東京新聞2023/8/11社説「中国北戴河会議 独裁阻止の機能変質か」はこう報じている(要旨)。
<北戴河会議には、独裁者が生まれることを防ぐ「政治的知恵」の性格があった。現役の最高指導者であっても、引退した長老たちの指摘に耳を傾け、苦言を聞かねばならない。長老らによる指導部への影響力行使の場として、集団指導体制を下支えしてきた面があるといって差し支えないだろう。
しかし、状況は変わった。引退組のリーダー格だった江沢民元国家主席が昨秋に死去。昨年の共産党大会では、長老の一人、胡錦涛前国家主席が途中退席を促されるという異例の事態も起きた。その党大会で、習氏は、側近で固めた指導部を率い、過去に例のない党総書記三期目を始動させている。
名実ともに「習一強体制」が確立される中、長老たちの発言力、影響力は急降下したとされ、北戴河会議さえ、習氏の意向を追認する場に変質した可能性もある。
中国共産党が毛沢東独裁時代の反省に立ち、毛の死後、導入したのが集団指導体制である。「文化大革命」など大きな犠牲を払って手にした重い教訓だ。「独裁」の愚が繰り返されることがないよう党の自浄作用に期待する>(以上)
「党の自浄作用に期待する」・・・美しい言葉だが「中共軍のクーデターに期待する」とか「上海閥と共青団派による奮起を期待する」ということか? スターリンが何よりも恐れたのは「軍」で、夜中に軍の指導者が緊急の用で訪ねたら腰を抜かしたという。日本でも1936/昭和11年の「2.26事件」は将校・兵士1500人による「日本近現代史最大のクーデター未遂事件」として知られ、「陸軍>政府」の図式ができあがってしまったが、中国は軍のクーデターでしか習近平独裁を終わらせないかも知れない。それから先の中国はどうなるのか、吉とでるか凶とでるか、小生には分からないが・・・とにもかくにも習近平を排除しなければインド太平洋の安定は得られない、これは確かだ。
世界評論2023/9/18、遊川和郎・亜細亜大学アジア研究所教授の「深まる習近平一強不況 中途半端な政策とちぐはぐなメッセージ」から。
<厳格なゼロコロナ政策が終了したことにより,年初には上振れの予想が多かった中国経済だが,その後発表される主要経済指標は市場予想を大きく下回り,減速感が鮮明になっている。こうした状況に危機感を強めた中国政府は7月後半から次々と景気のテコ入れ策を打ち出す。消費喚起,民営企業(民間投資)振興,外資利用,株価・不動産対策などの領域である・・・
各分野での景気対策を長々と列挙(略)したが,どの政策も過去の政策をなぞったような焼き直しや継ぎ接ぎ(つぎはぎ)でほとんどインパクトはないのである。薄日が差したかに見られた不動産市場も目先の需給関係を緩和しただけで,どうやら長続きしそうにない。経営不振に陥ったデベロッパーをどうするのか,根本的な解決の道のりは見えない・・・
なぜ,どの政策もこうした中途半端なことになるのか。経済政策の実権は李強首相を筆頭とする国務院ではなく,党中央に集約された。すなわち全て党中央=習近平総書記の意向を踏まえなければならず,冒険などできるはずがない。中央政治局会議の包括的な決定(方針)をいかに具体化すればよいのか,忠誠を疑われないように,主席の発言や文脈を懸命に読み解き,そこから決して逸脱しないと思われる施策を恐る恐る出しているのである・・・
7月から改正「反スパイ法」が施行されるのを受け,米国政府は6月,中国で活動する米国や外国企業による通常のビジネス活動が中国当局からスパイ行為として「不法な拘束」を受けるリスクを警告,中国への渡航再考を促した。日本でもビザ取得の煩雑さを含め,訪中のハードルは高いままである。
都合の悪い統計は急きょ発表が取り止められる。民営企業に対する支持は些かも揺るがないと強調するものの党の指導は絶対で,いつ風向きが変わるか分からない。寄付の強要など富む者を目の敵にするような共同富裕や学習塾への規制など極端な世直し政策は,経済活動を委縮させ混乱を引き起こすだけで,その目的は達せられないでいる。
世直しに明け暮れる習近平体制は10年を超え,改革開放の日々は次第に遠のいていく。数年後にはもっと息苦しい社会が到来していることは予測できても経済活動が再び活況を呈している姿はなかなか想像し難しい。世直しはしても明るい未来が見えてこない。これが習近平一強不況の正体なのである>(以上)
著者の遊川和郎氏の履歴を見ると、毛沢東後のトウ小平の改革開放政策に魅かれて中国に関心を持つようになったようだ。東京外国語大学中国語科卒、上海復旦大学留学を経て、外務省専門調査員(在香港総領事館)、日興リサーチセンター上海駐在員事務所長、外務省専門調査員(在中国大使館)などを歴任している。中国の発展は氏の喜びでもあったろう。それが習近平政権になると掌返しで日本叩きが露骨になり、困惑が次第に習近平への反発になっていったようだ。「裏切られた、甘かった」という痛恨の無念、慙愧の思いだろう。習近平を駆除すべし。
・・・・・・・
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