gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

雀庵の「常在戦場/81 内憂外患の中共 戦争を内乱へ転化せよ」

2021-09-08 09:19:36 | 日記
雀庵の「常在戦場/81 内憂外患の中共 戦争を内乱へ転化せよ」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/365(2021/9/8/水】ここ3か月ほど就寝の際は中村元先生の「原始仏典」を読んでいるが、お釈迦さま(ゴータマ・シッダッタ)が紀元前400年の頃に実際に何をどう説いていたのかを学ぶために、同書に紹介されている最初期の仏典「スッタニパータ」を今はもっぱら勉強している。


大体、宗教というのは始祖が亡くなると後進が「先生はこうした、ああした、こう言った」という話をまとめ、広めていくのだが、善意からなのだろうが「先生ならこう言ったはずだ」という物語を付け加えていくから、時には奇跡の連続みたいな経典になってしまうことが多い。大ぼら吹きが過ぎると広宣流布どころか始祖の足を引っ張ることになるから自重しないといけない、と小生は思うが、「噓も方便、衆生済度(しゅじょうさいど)のため」」と宗教界の人は言うのだろう。


原理原則の「原理主義」では時代から取り残されてしまう、“純真で濁りのない”クチパクだけの信者が集まったところで斜陽になるばかり、だから自らが変わっていく必要がある、というのは分からないでもないが・・・化粧は良いとしても、美容整形手術を重ねるとやがて自壊するのではないか、顔面崩壊。


時代の流れ、風向きを捉えながら原理主義と世俗主義の按排、匙加減をしていく・・・神ならぬ身で難しいが、清濁併せ吞むようなデキル人材、リーダーが育たなければ大教団でも斜陽になるというのは確かだろう。


週刊ダイヤモンド特集セレクション2018.10.9 「新宗教の信者数は30年間で4割減、創価学会をも襲う構造不況」から。


<1989(平成元)年以降の日本の各教団の自己申告ベースの“公称”信者数、そのうち主要新宗教教団の公称信者数を調べてみた。


「宗教年鑑」(文化庁)で毎年の公称信者数を捕捉できる新宗教教団の上位37教団の信者数は、30年間で2637万人から1591万人へと4割減った。この落ち込みは、伝統宗教を含めた宗教界全体のそれをはるかに上回る。


その理由は創価学会と共通する構造問題である。すなわち、少子高齢化(少産多死による人口減少)や核家族化、そして世代間の価値観の断絶といった要因であり、それは日本社会全体の環境変化に起因する>


特に先祖伝来の檀家(お墓)を持たないか少ない明治維新後あるいは戦後の新興宗教教団は、人口減社会、家制度の弱体化、個人主義、価値観の多様化にあっては衰弱、後退を免れないだろう。それにしても30年間で4割減・・・諸行無常、凄まじい衰退だ。


我が街の「新明国上教会」は大正元年(1912)に小生のご先祖様と同姓の方が開祖だが、神仏混交らしい。最盛期には国鉄の駅まであり、信者からなる街までできた。1984年には仏教寺院みたいな立派な本堂を新築し、特に週末は泊りがけで研修する信者で賑わっていたが、栄枯盛衰、高齢化で今はまったくヒト気がない。建物の維持費だけで年に1000万円はかかりそうで、川崎の歴史遺産として公有化するしかないようだ。


仏教の話に戻す。先日「仏教はヒンドゥー教から生まれたようなもの」と書いたが、小生はヒンドゥー教について全く知識がないので調べてみたところ、恐ろしく難しくてチンプンカンプン。諦めるしかないか、と思ったらお釈迦さまの計らいか、知恵蔵「ヒンドゥー教」の解説に出くわした。これなら小生でもどうにか理解できる。以下引用。


<ヒンドゥー教は紀元前1500年頃に北インドに進入したアーリア人の宗教が、先住民族の様々な宗教の要素を吸収しながら発展した。「ヒンドゥー」とはもともとインダス川やその流域を表すペルシャ語で、のちに「インドの人々」を指すようになった。


ヒンドゥー教には、創始者も共通の明確な教義や儀礼も存在せず、地域や階層によってその内容は異なる。原型は、アーリア人の司祭(バラモン)の儀式と『ヴェーダ』(神々への賛歌)を中心とするバラモン教(ヴェーダの宗教)と呼ばれるものである。


仏教やジャイナ教が都市部を中心に勢力を拡大し始めた紀元前4世紀ころ、バラモン教の勢力巻き返し策の結果としてヒンドゥー教が成立する。


(その経緯は信者争奪戦のようであり)バラモンたちは、カースト制度の基本となるバラモン(司祭階層)、クシャトリヤ(王侯・戦士階層)、バイシャ(農耕民・商人階層)、シュードラ(隷民階層)によって社会が構成されると考えていた。


しかし、クシャトリヤ(軍)やバイシャ(民)の信者を「仏教やジャイナ教に奪われ始めた」ことをきっかけに、それまで社会の構成員とは認めていなかった様々な先住民族を次々と認め、彼らの宗教の要素をバラモン教に取り入れる戦略を採った。そこにヒンドゥー教が成立することになる。


ヒンドゥー教では、森羅万象を崇拝の対象にしてきた。その中には日本に伝わった神々もあり、七福神の大黒天、弁財天、毘沙門天などはその例である。ヒンドゥー教の神々の中で、最も崇拝されているのはビシュヌ神とシバ神で、それぞれを最高神とするビシュヌ派とシバ派に大きく分かれる。ビシュヌは10の化身をもつというが、仏教の開祖釈迦もその一つに数えられている。(岩井洋 関西国際大学教授、2007年)>


どうやらヒンドゥー教と仏教はお互いにイイトコ取りというか、兄弟姉妹みたいな感じで成長していったようだ。それにしてもお釈迦さまがヒンドゥー教の神の一柱になっているとは知らなかったなあ。


日本人とインド人が何となく親近感を抱くのは仏教などの縁だけではない。近代の白人帝国主義による圧政強奪支配で苦しんでいた植民地の人々は、アジアの東端にある小さな島国の小さな有色人種民族が、世界最大の白人ロシア帝国の大艦隊を撃滅するなどしてアジア支配を阻止したこと(日露戦争)、英仏蘭米などを植民地をから叩き出したこと(大東亜戦争)で、「日本人はやった、我らも白人支配を駆逐して独立しよう」という気概を持つに至った。


これはほとんど歴史的な事実である。失敗も少なくなかったが、日本が立ち上がらなければ世界の白人国家支配は今なお続いていたろう。アジアの中でも特にインドは日本を高く評価し、その熱い絆が100年続いている。お互いに敬意を表している。絆は大昔から続いている。WIKIから。


<日本とインドの文化的交流は6世紀に仏教が日本に伝わったことから始まった。736年、インドの僧侶ボーディセーナ(菩提僊那)は仏教を広めるために来日し、東大寺の大仏の開眼供養会の導師をつとめ、760年に亡くなるまで日本にとどまった。仏教と仏教に密接に結び付いたインド文化は日本文化に大きな影響を与え、それは今日でも感じられる。


仏教の影響が普遍的にみられる両国の社会は、現在の世界の他の国においては一神教が多いのとは対照的で、アニミズム(すべてのものの中に霊魂/霊が宿っているという考え方)の宗教である神道と同様、ヒンドゥー教にもアニミズムの要素がみられる。インドでは既に用いられていないにも拘らず「梵字/サンスクリット文字)」は今でも日本で使用されている。


直接的な交流が始まったのは日本が近代化の過程に入った明治時代(1868-1912年)から。


多くのインドの独立運動の活動家はイギリスの統治から逃れ、日本に滞在していた。インド独立運動の指導者であるラース・ビハーリー・ボースはイギリスによって過激派として指名手配され、1915年に日本に逃れてインド独立運動を続け、日印関係の礎を築いた。後に首相となった犬養毅や汎アジア主義者である頭山満、大川周明らはインド独立運動を支援した。


インドから留学していたA.M.ナイルは独立運動の活動家になった。ナイルは戦中はスバス・チャンドラ・ボース(独立運動家、インド国民会議派議長、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官)から、戦後はラダ・ビノード・パール判事からの援助を受けていた。


パール判事は(勝者が敗戦国・日本を裁く)極東国際軍事裁判(東京裁判)において連合国が派遣した判事の一人。判事全員一致の有罪判決を目指す動きに反対し、「平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法であり、事後法をもって裁くことは国際法に反する」などの理由で被告人全員の無罪を主張した。(このエピソードはインドと日本の親密さの象徴であると主張されている)


日本政府はインドの独立闘争の間もインド国民軍とインド独立連盟に対する広範囲にわたる支援を拡大した。日本軍は多くの戦闘においてインド国民軍とともに戦った。1943年、インドと日本は他のアジアの国々とともに「大東亜会議」に参加し、人種差別の撤廃に向けて努力していくことを宣言した。イギリスの統治下にあったアンダマン諸島とニコバル諸島は日本によってインドへ返還された。


1944年、スバス・チャンドラ・ボースは将来のパイロットとして訓練するため、インドの青年を日本の陸軍士官学校や陸軍航空士官学校へと送った。1949年、インドは上野動物園に2頭の象を贈り敗戦で落ち込んだ日本を励ました。


日本の主権回復後、日本とインドは講和条約に調印し1952年4月28日、国交を樹立した。その中でインドは日本に対する賠償をすべて放棄した。インドと日本の間の外交、貿易、経済、そして技術的関係はすべて首尾よく築かれた。インドの鉄鉱石は荒廃した大戦後の日本の復興に役立った。その後、1957年に岸信介首相はインドを訪問し、1958年、日本政府は初となるインドに対する円借款を開始した。


1980年代以降、二国間関係を強化する努力が払われた。インドの「ルック・イースト政策」は日本を重要なパートナーとして位置付けていた。1986年以後、日本はインドの最大の援助供与国となり、今でもそうである。


2006年、第一次安倍政権時代にインドのマンモハン・シン首相が訪日。その際、安倍首相との間で毎年交互に両国の首相が相手国を訪問することを約束が行われた。これ以降、日本の首相の訪印、インド首相の来日が頻繁に行われるようになった。


2013年11月30日、インド政府からの招請により、天皇皇后両陛下は53年ぶりの歴史的訪問を果たした。2014年1月26日、インドは安倍晋三首相を共和国記念日に招待した。インド政府は例年、関係強化を目指す相手国の首脳を共和国記念日に招待するのが通例となっている。


2015年3月30日にインドのパリカル国防相が安倍首相と会談した際に、「日印関係の強化はインドでは政党を超えて強い支持を得ている」と述べた通り、日印は政権が交代しても友好関係を保つ間柄となっている>


2007年8月、インド国会において安倍総理はこう演説を始めた。「本日私は、世界最大の民主主義国において、国権の最高機関で演説する栄誉に浴しました。これから私は、アジアを代表するもう一つの民主主義国の国民を代表し、日本とインドの未来について思うところを述べたいと思っています・・・」


世界最大の民主主義国家インドは今、日本とともに対中包囲戦を進めている。産経2021/8/4から。


<中国の軍事的覇権拡大を牽制するため、日本と米国、オーストラリア、インドによる戦略的枠組み「QUAD(クアッド)」の連携強化が進められている。インド政府は2日、日本の海上自衛隊や、米国、オーストラリアの海軍との共同訓練「マラバール」を昨年に続き、今年も実施する方針を発表した。今年は西太平洋で予定するという。


今年のクアッド共同訓練をどう見るか。軍事ジャーナリストの世良光弘氏は「西太平洋での共同訓練は、中国が南シナ海からマラッカ海峡を経てインド洋、ペルシア湾に至る海洋覇権奪取を狙う『真珠の首飾り戦略』などに対抗する目的とみられる。日本のシーレーンとしても重要な地域で、QUADのほか、欧州各国の海軍が参加する可能性もある。昨年同様、空母や大規模な艦船を参加させれば、中国にも強いメッセージになる」と語った>


英海軍の最新鋭空母クイーン・エリザベスを核とする空母打撃軍は日米印韓との合同軍事演習後の9月4日、米海軍横須賀基地に寄港した。中共は9月3日と6日の外務省定例記者会見で記者の「この動きはインド太平洋地域における中国の影響力の拡大を封じ込めるためとも見られている。 中国側からのコメントは?」にこう答えた。


「力を誇示することは建設的ではない。 我々は、関係国がアジア太平洋地域の平和と安定のために建設的な役割を果たすことを望む」


いつもの木で鼻をくくったような答弁、その一方で9月6日の中共海軍のサイトは「霧の中、攻撃と防御を練習 海軍の駆逐艦部隊が実戦演習」「南部戦区海軍のフリゲート艦部隊が海上実戦訓練」と報道。政府は羊を装い、海軍は戦狼オオカミを誇示する・・・中共は軍を制御できているのか?


毛沢東曰く「人民解放軍は偉大な中国共産党の指導する軍隊であることを全軍の将兵は常に銘記しなければならない。党の指示を守っていく限り我々は必ず勝利する」。


この頃、世界ではクーデターが流行っているが、習近平一派が一番恐れているのはクーデターではないか。清朝末期には軍閥が跋扈した。支那は「水滸伝」の昔からゲリラ戦、群雄割拠の土壌がある。


毛沢東は108人の反逆者が梁山泊に結集するまでを描いた「水滸伝」(七十回本)を座右の書として愛読したという(勇武が買われて朝廷に召されて国軍になるという百二十回本もあるが、現在の中共でも七十回本が主流のよう)。毛にとって共産党は「梁山泊」なのだろうが、建国後は「朝廷=毛沢東王朝」になり、石平氏によると「水滸伝」は文革中は発禁だった。


しかし当時、毛は劉少奇・トウ小平派から実権を取り上げられていたから、再び反逆者に戻り、造反有理で「水滸伝」を復活させたのだ。石平氏曰く「あるとき突然に水滸伝が“解禁”となった。毛沢東が『人民は水滸伝を読んで(実権派を)批判せよ」と号令を掛けたからですよ。そうなると、批判のために読まないといけないでしょ」。全国で一斉に水滸伝が再び刊行された。


今の中共は「朝廷=習近平王朝」だ。暗愚で暴虐な独裁帝王が人民を苦しめ、隣国のみならず世界秩序を脅かしている。水滸伝の反逆者、英雄豪傑が再び三度、習王朝に反旗を翻す秋、天命である。包囲網の中で思う存分戦ってくれ。レーニン曰く「帝国主義戦争を内乱へ転化せよ!」。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」


コメントを投稿