産経は脳ミソを刺激する
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」58/通算490 2022/6/22/水】毎日、できるだけ緑の多い自然に触れながら2時間ほどチャリ散歩している。いいなあ、きれいだなあ、と、心と体が洗われ、安らぎ、実にスッキリする。低血糖で倒れないように途中で一休みしてお菓子を食べ、コーヒーを飲む。
帰宅するとヘロヘロで、両膝のサポーターを外し、部屋着に着替えてベッドに横たわり、産経新聞を読んで脳みそを戦時モードに戻す。鬼畜露中北&アカどもメ、撃ちてし止まん! 今日も元気に戦意高揚、容赦しません、勝つまでは!
そう言えば福翁のDNAを引く産経の6月17日号(金)はすこぶる刺激的、扇動的だった。
まずは産経抄「ロシアによるウクライナ侵略が始まると、国民の間で国防への関心がますます高まっている。防衛費の増額に向けて議論も盛んになってきた」。結構なことである。備えあれば憂いなし。
続いて“知の巨人”平川祐弘先生の「正論 平和憲法の呪縛が解ける時」。
<「平和憲法」の夢は美しい。この幻想にすがるのは、日本人の精神的武装解除を意図した占領政策に端を発するが、主権回復後もその呪縛がさらに続いたのは、その理想に憧れたからだ。平和は憲法のおかげのような報道もあった。
だが、そんな日本の安全神話は、国際情勢の険悪化により、シャボン玉のごとく破れた。自分も血を流そうとせぬ日本を、米国は本当に守るのか。そんな疑念がかすめたからである。・・・
★触らぬ毛沢東にたたりなし★ 毛沢東が一九七六年九月に死んだ直後、昔のパリ留学仲間が集まった。中国大使館を弔問し、記帳してきた、と応用化学の本多健一東大教授が恭(うやうや)しく言うから、「江青女史がそろそろ逮捕される頃じゃないか」と私が冷やかした。外交官の加藤吉彌が「おい、ここは中華料理店だぞ。口を慎め」と言う。比較文化の同僚の芳賀徹は「あの中国一辺倒はなんだい」と『朝日』をこきおろす。
するとドナルド・キーンは「私は日本の文化事情を追う立場ですから、文化欄は『朝日』です」と応じた。翌年、私はワシントンのウィルソン・センターへ赴任、日中国交再開に際し、初代中国大使を務めた小川平四郎氏とご一緒したが、「『産経』だけはどうも」と言われた。
★擬似平和主義の自家中毒★ 北京に特派員を置くことを拒否された『産経』が正しかったか、中国御用の記事を日本へ送り続ける特派員を北京に駐在させた『朝日』が賢かったか。『朝日』退社後、中国の日本向け広報誌『人民中国』の編集者に天下りした北京特派員もいたが、風上に置けない。
加藤周一は、日本はかつて中国に対して侵略戦争をした前科があるから中国批判は一切しない、という一見「良心的な」立場をとり、『朝日』で重用された。社側も「知的巨人」加藤の発言を尊重した。
だが振り返ると『朝日』が信用を失ったのは、慰安婦問題の吉田清治の詐話事件だけではない。そんな擬似平和主義の自家中毒に世間がうんざりしたからだ。「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」というふざけた記事が同社の雑誌に出てから、はや半世紀が経った>
快刀乱麻を断つが如しだなあ。「同社の雑誌」とは1960年代に新左翼の赤色暴力革命を煽りまくった週刊「朝日ジャーナル」である。小生は上記の「アカイアサヒ」号は記念になるだろうと保存しておいたが書庫の奥のようで探せなかった。WIKIによると、
<1970年代に入ると学生運動は下火になり、朝日ジャーナルは発行部数が激減、1960年代には27万部と言われていたが、1970年代からは赤字続きとなる。1971年3月19日号に赤瀬川原平連載のページ「櫻画報」で朝日新聞社を戯画化したことで、朝日上層部は「読者に誤解を与えかねない」として当該号を回収、2週間休刊した上で編集部の大幅な人事異動を実施した。
この「櫻画報」で赤瀬川が朝日新聞の社章が日の出のように水平線から昇る絵に、「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」とつけ、さらに「朝日は赤くなければ朝日ではないのだ」とキャプションをそえたのだ。この事件で編集長が更迭された他、朝日新聞出版局では61名の人事異動がなされた>
当時の朝日ジャーナルは暴力革命を目指す新左翼の機関紙みたいだったから、朝日社内のリベラル系や日共系の連中が「新左翼=過激派をパージすべし」と蜂起したのだろう。この年の秋以降に連合赤軍が暴れまくるようになって新左翼運動全体が弱体化していったから、朝日としては“前線離脱滑り込みセーフ”の良い決断だったかもしれない・・・まあ、ちょっと延命しただけだが、今は往年の半分近い400万部あたり、社内に巣食うアカを駆除しなければそのうち産経に追い抜かれるのではないか。
さて、3番手は黒田勝弘先生の「金芝河と太田竜の不思議」。太田竜は竹中労、平岡正明と共に「新左翼の3バカ」と言われていたが、黒田氏が、過激派からエコロジストに転向した太田竜と懇意だったとは知らなかった。多分、取材で知己を得たのだろう。曰く、
<長年、付き合いがあった太田竜に、あるとき(反独裁の詩人として知られる)金芝河(キムジハ)の近況を話したところ、彼は「会いたい」と言い出し、韓国にやってきて金芝河に会いにいった。事情(報道ビザ問題?)があって筆者は立ち会ってはいない。
しかし2人はエコロジストとして意気投合するかと期待したのだが、金芝河に「日本人のお説教を聞く気にはならない」と言われ、対話は不発に終わってしまった。記憶として当時の印象は「あの金芝河でも相手が日本人となると以外に平凡な拒否反応だったな」だった>
韓国人はひたすら中国を恐れているが、対中コンプレックスの裏返しなのか、昔から日本が嫌いのようだ。その一方で韓国人は赤色独裁の北朝鮮とは「南北統一」願望から仲良くしたがっているように見える。理性よりも感情、気分で右往左往するようだ。戦後の日共党員の半分は朝鮮人で、その後に登場した創価学会も半分は朝鮮人だったという説がある。強い者に付くという事大主義、気分次第の付和雷同の傾向、都合が悪い事実は隠す、それは半島人の民族性なのか・・・日経2003/7/25から。
<岩波書店の雑誌「世界」に連載された「韓国からの通信」の筆者「T・K生」が名乗り出た。韓国各紙は池明観(チ・ミョングァン)翰林大教授(79)の話として、同教授が日本滞在中に原稿を書いたと報じた>
池明観は北朝鮮を旅行し「この世の地獄」であることを十分知っていながらそれを一言も書かなかった。「韓国の独裁政権を叩くことを優先したために北の惨状は書かなかった」と後に岩波新書版で書いていたと記憶するが、半島人は学者でもすこぶる信用できないと小生はがっかりしたものだ。
小生は現役時代、半島人と懇意に接触したのは1人だけだが、その人は在日の2、3世あたりで朝鮮語を話せなかったから、本人から「実は俺は在日だ」と言われるまでまったく知らなかった。だから半島人を云々することは小生にはできないが、顧客の中に日本人離れしたトンデモ野郎の社長「H・C生」がいて、それとのやり取りをしているうちに「こいつは半島人か」と怪しむようになった。
偏見かもしれないが、半島人には「不満居士であり、新しいものが好きで、自分は一流だとプライドは高いが、コンプレックスの裏返しとして日本を憎み嫌う、モラルが低く平気で嘘をつく、騙したりする」という人が珍しくないようだ。
「H・C生」の会社の女性社員は小生の会社によく遊びに来ていたが、ある日からパタッと来なくなった。3か月後ほどして街中で出会ったので「H・C生さんは元気?」と尋ねたら、「止めてください、二度と思い出したくないんです!」と急に逃げ出した。「H・C生」にレイプされたのではないか。
韓国検察庁「犯罪分析統計」によれば、人口10万人当りの性犯罪の発生件数は2000年に14.9件だったが、2019年には61.9件へと4倍にまで増加しているという(韓国旅行サイトのKONEST)。NEWSポストセブン2012/11/18では「韓国における2011年1年間の強姦発生件数は1万9498件で年々増えている。人口10万人当たりでは39.2件で、なんと日本(0.9件)の40倍以上」とか。
数字が急増しているのには、「泣き寝入りはしない」という女性が増えてきたとか、法律が整備されてきたこともあるだろうが・・・「見た目で勝負の外見至上主義」で美容整形が発達しており、魅力的で挑発的な女性が多いのだろうか。
それにしても小生にとって韓国人は理解不能である。韓国取材をした部下が「現地で知り合ったコリアンが訪日するのでボクの家に泊めてくれって言うんですよ。彼らにとってイトコ、ハトコは兄弟姉妹と同じで、ちょっと知り合っただけでも親友なんでしょう・・・」とぼやいていたっけ。
さて、産経の気になるニュース最終の4番手は下条正男氏(東海大・島根県立大客員教授)の「竹島を考える 有事に備え日韓改善の知恵を」。曰く、
「中国の台頭とロシアによるウクライナ侵攻は東アジア情勢にも影響を与えている。日本が危機の際に頼りにできるのは、たとえ同床異夢の状態にあっても韓国の協力であり、そのためには日韓関係を安定的に保つ知恵がいる。それは徴用工問題や慰安婦合意に拘泥して韓国側を説伏することではなく、こじれた日韓関係を緩やかに説いていく知恵である」
その知恵は何か?・・・要は「助けてくれるのは韓国しかないのだから、日本はつまらないことに拘泥しないで韓国に譲歩しろ」と言いたいのだろう。下条氏の経歴には「三星総合研修院主任講師」「仁川大学校客員教授」とあるから韓国への親和性が強いのかも知れない。
韓国というか半島人は地政学から見ても親中、親北、親露であり、強者に従う“事大主義”が染みついているよう。一方で日本は海に囲まれて外患が少なかったことから「和を以て貴しとなす」の穏やかな民族性が醸成され、中国や半島ではほぼ消えてしまった儒教や中国経由仏教も日本ではしっかり定着した。最早、半島人や中国人とは価値観が違い過ぎるから、お互いに馴染むことはないし、むしろますます距離を置くようになるだろう。無理して交際したところでロクなことにはならないと思う。2011年の3.11東日本大震災で彼らは大喜びしていた。友としてはいけない人々ではないか。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
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帰宅するとヘロヘロで、両膝のサポーターを外し、部屋着に着替えてベッドに横たわり、産経新聞を読んで脳みそを戦時モードに戻す。鬼畜露中北&アカどもメ、撃ちてし止まん! 今日も元気に戦意高揚、容赦しません、勝つまでは!
そう言えば福翁のDNAを引く産経の6月17日号(金)はすこぶる刺激的、扇動的だった。
まずは産経抄「ロシアによるウクライナ侵略が始まると、国民の間で国防への関心がますます高まっている。防衛費の増額に向けて議論も盛んになってきた」。結構なことである。備えあれば憂いなし。
続いて“知の巨人”平川祐弘先生の「正論 平和憲法の呪縛が解ける時」。
<「平和憲法」の夢は美しい。この幻想にすがるのは、日本人の精神的武装解除を意図した占領政策に端を発するが、主権回復後もその呪縛がさらに続いたのは、その理想に憧れたからだ。平和は憲法のおかげのような報道もあった。
だが、そんな日本の安全神話は、国際情勢の険悪化により、シャボン玉のごとく破れた。自分も血を流そうとせぬ日本を、米国は本当に守るのか。そんな疑念がかすめたからである。・・・
★触らぬ毛沢東にたたりなし★ 毛沢東が一九七六年九月に死んだ直後、昔のパリ留学仲間が集まった。中国大使館を弔問し、記帳してきた、と応用化学の本多健一東大教授が恭(うやうや)しく言うから、「江青女史がそろそろ逮捕される頃じゃないか」と私が冷やかした。外交官の加藤吉彌が「おい、ここは中華料理店だぞ。口を慎め」と言う。比較文化の同僚の芳賀徹は「あの中国一辺倒はなんだい」と『朝日』をこきおろす。
するとドナルド・キーンは「私は日本の文化事情を追う立場ですから、文化欄は『朝日』です」と応じた。翌年、私はワシントンのウィルソン・センターへ赴任、日中国交再開に際し、初代中国大使を務めた小川平四郎氏とご一緒したが、「『産経』だけはどうも」と言われた。
★擬似平和主義の自家中毒★ 北京に特派員を置くことを拒否された『産経』が正しかったか、中国御用の記事を日本へ送り続ける特派員を北京に駐在させた『朝日』が賢かったか。『朝日』退社後、中国の日本向け広報誌『人民中国』の編集者に天下りした北京特派員もいたが、風上に置けない。
加藤周一は、日本はかつて中国に対して侵略戦争をした前科があるから中国批判は一切しない、という一見「良心的な」立場をとり、『朝日』で重用された。社側も「知的巨人」加藤の発言を尊重した。
だが振り返ると『朝日』が信用を失ったのは、慰安婦問題の吉田清治の詐話事件だけではない。そんな擬似平和主義の自家中毒に世間がうんざりしたからだ。「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」というふざけた記事が同社の雑誌に出てから、はや半世紀が経った>
快刀乱麻を断つが如しだなあ。「同社の雑誌」とは1960年代に新左翼の赤色暴力革命を煽りまくった週刊「朝日ジャーナル」である。小生は上記の「アカイアサヒ」号は記念になるだろうと保存しておいたが書庫の奥のようで探せなかった。WIKIによると、
<1970年代に入ると学生運動は下火になり、朝日ジャーナルは発行部数が激減、1960年代には27万部と言われていたが、1970年代からは赤字続きとなる。1971年3月19日号に赤瀬川原平連載のページ「櫻画報」で朝日新聞社を戯画化したことで、朝日上層部は「読者に誤解を与えかねない」として当該号を回収、2週間休刊した上で編集部の大幅な人事異動を実施した。
この「櫻画報」で赤瀬川が朝日新聞の社章が日の出のように水平線から昇る絵に、「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」とつけ、さらに「朝日は赤くなければ朝日ではないのだ」とキャプションをそえたのだ。この事件で編集長が更迭された他、朝日新聞出版局では61名の人事異動がなされた>
当時の朝日ジャーナルは暴力革命を目指す新左翼の機関紙みたいだったから、朝日社内のリベラル系や日共系の連中が「新左翼=過激派をパージすべし」と蜂起したのだろう。この年の秋以降に連合赤軍が暴れまくるようになって新左翼運動全体が弱体化していったから、朝日としては“前線離脱滑り込みセーフ”の良い決断だったかもしれない・・・まあ、ちょっと延命しただけだが、今は往年の半分近い400万部あたり、社内に巣食うアカを駆除しなければそのうち産経に追い抜かれるのではないか。
さて、3番手は黒田勝弘先生の「金芝河と太田竜の不思議」。太田竜は竹中労、平岡正明と共に「新左翼の3バカ」と言われていたが、黒田氏が、過激派からエコロジストに転向した太田竜と懇意だったとは知らなかった。多分、取材で知己を得たのだろう。曰く、
<長年、付き合いがあった太田竜に、あるとき(反独裁の詩人として知られる)金芝河(キムジハ)の近況を話したところ、彼は「会いたい」と言い出し、韓国にやってきて金芝河に会いにいった。事情(報道ビザ問題?)があって筆者は立ち会ってはいない。
しかし2人はエコロジストとして意気投合するかと期待したのだが、金芝河に「日本人のお説教を聞く気にはならない」と言われ、対話は不発に終わってしまった。記憶として当時の印象は「あの金芝河でも相手が日本人となると以外に平凡な拒否反応だったな」だった>
韓国人はひたすら中国を恐れているが、対中コンプレックスの裏返しなのか、昔から日本が嫌いのようだ。その一方で韓国人は赤色独裁の北朝鮮とは「南北統一」願望から仲良くしたがっているように見える。理性よりも感情、気分で右往左往するようだ。戦後の日共党員の半分は朝鮮人で、その後に登場した創価学会も半分は朝鮮人だったという説がある。強い者に付くという事大主義、気分次第の付和雷同の傾向、都合が悪い事実は隠す、それは半島人の民族性なのか・・・日経2003/7/25から。
<岩波書店の雑誌「世界」に連載された「韓国からの通信」の筆者「T・K生」が名乗り出た。韓国各紙は池明観(チ・ミョングァン)翰林大教授(79)の話として、同教授が日本滞在中に原稿を書いたと報じた>
池明観は北朝鮮を旅行し「この世の地獄」であることを十分知っていながらそれを一言も書かなかった。「韓国の独裁政権を叩くことを優先したために北の惨状は書かなかった」と後に岩波新書版で書いていたと記憶するが、半島人は学者でもすこぶる信用できないと小生はがっかりしたものだ。
小生は現役時代、半島人と懇意に接触したのは1人だけだが、その人は在日の2、3世あたりで朝鮮語を話せなかったから、本人から「実は俺は在日だ」と言われるまでまったく知らなかった。だから半島人を云々することは小生にはできないが、顧客の中に日本人離れしたトンデモ野郎の社長「H・C生」がいて、それとのやり取りをしているうちに「こいつは半島人か」と怪しむようになった。
偏見かもしれないが、半島人には「不満居士であり、新しいものが好きで、自分は一流だとプライドは高いが、コンプレックスの裏返しとして日本を憎み嫌う、モラルが低く平気で嘘をつく、騙したりする」という人が珍しくないようだ。
「H・C生」の会社の女性社員は小生の会社によく遊びに来ていたが、ある日からパタッと来なくなった。3か月後ほどして街中で出会ったので「H・C生さんは元気?」と尋ねたら、「止めてください、二度と思い出したくないんです!」と急に逃げ出した。「H・C生」にレイプされたのではないか。
韓国検察庁「犯罪分析統計」によれば、人口10万人当りの性犯罪の発生件数は2000年に14.9件だったが、2019年には61.9件へと4倍にまで増加しているという(韓国旅行サイトのKONEST)。NEWSポストセブン2012/11/18では「韓国における2011年1年間の強姦発生件数は1万9498件で年々増えている。人口10万人当たりでは39.2件で、なんと日本(0.9件)の40倍以上」とか。
数字が急増しているのには、「泣き寝入りはしない」という女性が増えてきたとか、法律が整備されてきたこともあるだろうが・・・「見た目で勝負の外見至上主義」で美容整形が発達しており、魅力的で挑発的な女性が多いのだろうか。
それにしても小生にとって韓国人は理解不能である。韓国取材をした部下が「現地で知り合ったコリアンが訪日するのでボクの家に泊めてくれって言うんですよ。彼らにとってイトコ、ハトコは兄弟姉妹と同じで、ちょっと知り合っただけでも親友なんでしょう・・・」とぼやいていたっけ。
さて、産経の気になるニュース最終の4番手は下条正男氏(東海大・島根県立大客員教授)の「竹島を考える 有事に備え日韓改善の知恵を」。曰く、
「中国の台頭とロシアによるウクライナ侵攻は東アジア情勢にも影響を与えている。日本が危機の際に頼りにできるのは、たとえ同床異夢の状態にあっても韓国の協力であり、そのためには日韓関係を安定的に保つ知恵がいる。それは徴用工問題や慰安婦合意に拘泥して韓国側を説伏することではなく、こじれた日韓関係を緩やかに説いていく知恵である」
その知恵は何か?・・・要は「助けてくれるのは韓国しかないのだから、日本はつまらないことに拘泥しないで韓国に譲歩しろ」と言いたいのだろう。下条氏の経歴には「三星総合研修院主任講師」「仁川大学校客員教授」とあるから韓国への親和性が強いのかも知れない。
韓国というか半島人は地政学から見ても親中、親北、親露であり、強者に従う“事大主義”が染みついているよう。一方で日本は海に囲まれて外患が少なかったことから「和を以て貴しとなす」の穏やかな民族性が醸成され、中国や半島ではほぼ消えてしまった儒教や中国経由仏教も日本ではしっかり定着した。最早、半島人や中国人とは価値観が違い過ぎるから、お互いに馴染むことはないし、むしろますます距離を置くようになるだろう。無理して交際したところでロクなことにはならないと思う。2011年の3.11東日本大震災で彼らは大喜びしていた。友としてはいけない人々ではないか。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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