まだまだ新しいと思っていた、小田急ロマンスカーの VSEこと50000形がまもなく引退するというショッキングな情報が飛び込んできた。現在都心では急速に進んでいる、ホームドア設置の関係から今回の引退劇とされているが、真相は定かではない。
アントンKと小田急ロマンスカーの関わりは、昔から沿線住民でもなくさほど思い入れが強く残っている電車ではない。ただ幼少期に、箱根への旅行で乗車した記憶は今でも鮮明に残り、当時乗車した3000形SE車は、そんなことも手伝って晩年になって撮影に出ていたことが思い出される。御殿場線に乗り入れ、「あさぎり」号として運転されていたが、重心が低く小振りのい車体に見えた想いが蘇る。重連運転を狙って動いていたことも今では懐かしい思い出だ。
3100形や10000形にも乗車経験はあるが、今回の VSE 50000形は、圧倒的に豪華で現代的な車輛だった印象を持っていた。もう3年も前になるが、愛孫を連れてこの50000形の展望席を奮発し、箱根まで乗り鉄したことも今となっては良き思い出となっている。すでに後継の70000形も活躍しているロマンスカーシリーズ。引退しても、第二の職場でさらに優雅な走りを見せて欲しい。
掲載写真は、お正月の干支ステッカーを張り付けて疾走する特急「はこね」号。幾つになっても、展望席はロマンスカー憧れの特等席に変わりはない。 2011-01-10
さて前出の続きとして、今回の東北路の成果を掲載しておく。
今回の旅で初めて撮影した弘南鉄道の私鉄電車たち。アントン自身不勉強で、いまだどんな鉄道で、どこをどう走っているかも定まらないでいる状況であるが、そこで目にした懐かしい電車に一気に引き込まれてしまった。元東急7000形のことで、優秀な電車であることから全国各地で引退後も走っていることは、知識としてはわかっていたが、やはりこうして、ある程度時間をかけてカメラを向けていると、毎日乗車していた青春の日々が蘇ってくるように思えてしまったのだ。
小さな路線ながら、こうして目を向けると見どころは無数にありそうで、今後の東北行脚が楽しく魅力的に思えてきた。長年の鉄道撮影の中でも、新しい発見に心ときめく瞬間は楽しいし希望に繋がっていく。今回の一番の収穫は、そんな新たな想いなのかもしれない。
掲載写真は、岩木山を間近に見ながらコトコトと走る大鰐線のローカル電車。まだ東急池上線そのものの外観で姿を現わした時、旧友に偶然会ったような錯覚になり、俄然やる気が出てきてしまった。天気予報が晴れから下り坂になり残念だったが、津軽富士とも呼ばれる岩木山を絡めて、この顔を収められたことに満足して帰路に就くことが出来たのだった。同行した行動力抜群の友人にも感謝しながら、今回の行脚を振り返っているところである・・
2021-10 弘南鉄道 大鰐線 7033F 石川付近にて
今回遠征した長野で、途中見かけた電車がとても懐かしくなり、須坂に立ち寄ってみた。営団地下鉄3000形、そして東急8500形のステンレス電車たちである。
アントンKは、学生時代東急沿線に長年通学していた関係で、いまだに私鉄では東急電車に興味が沸くが、その当時毎日乗車していた電車たちが、やはり今ではとても懐かしく思う。東急線では、5000系・6000系・7000系・7200系・8000系等に毎日お世話になった。そして同時に日比谷線直通で東横線に乗り入れていた営団3000形も、当時からお気に入りの電車だったのだ。下校時には、わざわざ営団3000形の時刻に合わせて学校を出たこともしばしば。とにかく静かで乗り心地が大変良かった印象がある。ただ夏場は、非冷房なので暑かったことが、おぼろげに思い出される。中目黒から日比谷線直通となる電車は、当時日吉始発で結構あったように記憶している。いまや、日比谷線直通電車は無くなり、渋谷が地下駅へと変わり、副都心線へと繋がっている。東急線の線路を東武や西武の電車が我が物顔で走っているのだ。当時を知る者からすれば、とても同じ路線とは信じがたく、逆にあの頃が懐かしいのだ。
引退が近いとされる長野電鉄3500形電車。当時を偲ぶのには、結構無理がいるが、それでも、派手なコルゲートの車体や独特なお顔立ちは変わらない。リンゴが実る頃、また出会いたいものだ。
2021-07 長野電鉄:須坂にて
家族連れ、駆け足で山梨~長野を廻ってきた。基本は家族運用であり、今年は、これから後半多忙が予想され、どこにも行かず終いになりそうな気配だったので、急遽思い立った次第。勝沼でブドウ狩り、蓼科でハーブで癒された後、北へ進路を変え上田電鉄沿いを走ることに・・この辺から家族にアントンKの細やかな計画がバレそうになるが、そこは孫の力を借りて、何とか踏みとどまった。普段愛孫は、東急沿線に暮らしていることから、東急電車が好きだから、ここ上田電鉄の電車を一目見せてやろうという魂胆だったのだ。それに、ちょうどデハ5200系の展示も行っているということで、アントンKにも都合が良かったことは事実。お顔だけだが、難なく写真に収めることができ満足。
しかし、愛孫が展示してあるデハ5200系を見て、「銀の青ガエル!」と称したことにはビックリ。後で聞けば、本に載っている熊本電鉄の元東急5000系を知っていて、顔がそっくりだったからだと言っていたが、アントンK爺は、その発想の方が驚嘆し爺冥利に尽きる出来事だった。
昔、東横線や大井町線で乗った5200系との再会は、思いもよらないこんなサプライズがあり、印象的な思い出となったのである。