アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

新鶴見~お昼の楽しみ

2017-02-26 10:00:00 | 鉄道写真(EL)

新しい機材のチェックを兼ねてお昼間の新鶴見界隈へ。

今年もまた、パシフィコ横浜で開催中のカメラショーCP+を覗いてきたが、年々思うことは、カメラがデジタルになったことで、撮影の幅が格段に広がり、今まで見たことも無いような作品が簡単に撮影できてしまうということだ。そして自分で撮影した写真をそのまま作品にするのではなく、ある程度の範囲で自分の意図する作風に後でアレンジすることが容認されるということである。フィルムの時代は、トリミングくらいが何とかアントンkの中では許容されていたが、後で画像をいじって変化させることなど思いもつかず、失敗と成功の基準ははっきりしていた。現代でのデジタル撮影では、露出においても、かなりの範囲で許容され、映した画像に至ってはやりたい放題らしい。

鉄道撮影では、長年記録を重んじて撮影してきたアントンkには、大変衝撃が走る出来事だが、今ではそんなに難しく考えず被写体にカメラを向けるよう心掛けている。カメラが格段に進歩して便利になった時代、古臭い自分の頭の中を切り替えて、良いものはどんどん取り込んでいくくらいの勢いと執着心が欲しいところだ。

新鶴見界隈には、一応定期的に重連を組む貨物列車が一日に3本ある。その内の一本は、お昼過ぎに堂々と新鶴見を発車し根岸へと向かう。現在は、EF210とEH200というJR機関車の重連となっているが、迫ってきたダイヤ改正で、こういった地味な、しかし魅力的な機関車の重連は消滅してしまう可能性もある。当日は、撮影者もチラホラとみられたが、どの列車が皆さんターゲットなのかは知る由も無い。とにかくここは、貨物の聖地新鶴見。小一時間で10本以上の列車が次々とやってくるのだから・・・

綺麗な光の中、新鶴見の高層ビルをバックに撮影しようと一連の列車たちを待っていたが、みるみる手前の建物の影が迫り、見苦しい写真となってしまった。かといって曇天では納得できないだろうから、ダイヤ改正までに再チャレンジできるだろうか。あと数日では影の長さは変わらないかな・・

2017-02     EF210-143+EH200-19   新鶴見付近


新鶴夜の帳

2017-02-25 10:00:00 | 鉄道写真(EL)

すでにカレンダーは2月も終盤、いよいよ3月のダイヤ改正(3月4日)が迫りつつある。毎年この時期は公私ともに忙しないが、今年は改正日が早いためか特に気忙しく感じる。例年のように、何年経っても見にくい?あの貨物時刻表をまた入手して、隅から隅まで小一時間見回す楽しみがまたやってくる。

そして改正以降、今や唯一の夜行列車「カシオペア」号も北海道までは走らなくなる予定と聞いている。「四季島」の春からの運転も迫っていることから、それと絡んでこのカシオペアの動向も今後気になるところだ。

掲載写真は、ご存知石炭ホキ列車。この手の専用列車も全国見渡しても、かなり減ってきてしまった。近い将来トラックに置き換え何てことにならなければよいが、過去を考えても、気づかぬうちに廃止になっているケースがままあるから油断はできない。

2017-02     5783レ EF652139   新鶴見にて


スクロヴァチャフスキの訃報に触れて

2017-02-22 18:00:00 | 音楽/芸術

今朝早くに突然悲しい知らせがあった・・・(2月21日、ミネアポリスにて死去。亨年93歳)

5月の来日がキャンセルされ、心のどこかでいつも気にかけていた事がとうとう現実となってしまった。

昨年1月に「極致のブルックナー」と銘打って行われた2回の演奏会がアントンKにとって最後となった。この時は、中一日置いた1/21と1/23の2日間に第8番一曲と言う演奏会で、芸劇とオペラシティという場所を変えての演奏会。どちらの演奏も心に響く内容だったことは、昨年書いた通りだが、この2日間とも独特な雰囲気に包まれていたことは、今考えてみても大変貴重な体験だった。ちょうど2000年のヴァントの第9の時(オペラシティホール)、2001年9月の朝比奈の第9の時(大阪シンフォニーホール)と同じような、聴衆の雰囲気と緊張感。心のどこかで、もう聴けないんではないか、最後のお別れの演奏ではないのか、と思ってしまう彼岸の匂い。こんな気持ちがこの時宿っていたことは事実だ。

この演奏会の直後、BSにて芸劇の方の演奏会が放映されたが、その時の終演後のオケの方々の様子がどこかおかしいことに気づかされていた。管楽器奏者の方は、耐えきれず目を拭っていたが、やはりあの時の雰囲気は、いつもの読響とはどこか違い、安堵の想いだけではなかったような気がしている。

アントンKのとってのスクロヴァチャフスキとの出会いは、かなり昔のこととなってしまうが、NHK響や読響の指揮者としてたびたび来日してくれたおかげで、実演奏にも数多く触れることができ、思い出多き指揮者の一人となった。演奏からはその年齢など思いもつかないのだが、現実は93歳という高齢であり、我々ファンの想いも届かず旅立ってしまった。今はとても悲しい。辛い。ブルックナー演奏においても、また一人名指揮者が逝ってしまったのである。

このスクロヴァチャフスキのような演奏解釈は、実演でこそ理解でき感動する部類のもので、数多く発売されている録音では、中身は半減してしまうから・・

今までの数々の名演奏に感謝申し上げたい。

深く深くご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

 


東海道を駆け抜けた大窓機

2017-02-22 10:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

先日、久しぶりに東海道沿線に出向き、このところ毎週のように運転されている甲種回送列車を撮影してきたが、偶然にも知人に会いご一緒させて頂いた。近年川崎界隈で顔見知りとなり、お互いによく話もできていなかったから、良い機会であったが、ちょうど同年輩の彼との昔話に花が咲き、思いもよらぬ楽しい時間を過ごすことが出来た。

ここ東海道線に来ての昔話となると、ゴハチの話題は外せない。二人して記憶をたどるように国鉄時代にへと遡って行った。忘れかけていた懐かしい列車話など、思いがけずわくわくしてしまったが、話の行きつくところ、昔は良かったなぁという結論に達してしまい苦笑い。しかしこの現代でも、彼の写欲とでも言うか、昔から鉄道への思いは今も不変であり、その行動力や精神力は尊敬に値する。大したものだ。アントンKもまだまだ頑張らなくては・・と思う瞬間なのである。

そんな昔話で思い出が甦ったので、ここでは古い国鉄時代の写真を出したい。東海道のゴハチと言えば、何と言っても大窓機で、その人気は絶大なものだった。御召機のロクイチは別格としても、ブルーのゴハチの大窓機がまだ走っていた、今にして思えば大窓機晩年の時期、友人や先輩からカマ番を教えて頂きよく沿線に出かけたもの。現代のようにSNSなどもちろん無いアナログの時代、黒電話で情報をやり取りし沿線に出かけ一喜一憂したものだ。

写真は、宮原区の秘蔵っ子53号機の牽く銀河52号。この年は、GW期間中の53号機がずっとこの臨時銀河の任に当たっていた。宮原区にはもう一台ヒサシ付きの大窓機47号機がいて、人気を二分していたが、アントンKにはこの53号機の方が魅力的に映っていた。東の東京区に対して西には宮原区が君臨しており、どのゴハチも綺麗に整備されていた印象だった。こうして今写真を見返しても、大変優雅なたたずまいであり、何と言っても品があり走る姿が大変美しい。

現代でも機関車好きな鉄道ファンは多く存在し、昔のように機番コレクションしている方々を数多く見かける。アントンK自身もそうであるように、それはそれでコアな趣味人であると思うが、現代社会がネット社会へと変化して便利になった反面、最近人とのアナログな繋がりが気薄に感じることが多く、どこか心に寂しさが残ることも事実なのだ。

1980-04-30     6102レ  EF5853 銀河52号  東海道本線/早川-根府川


今年のインバルに期待!

2017-02-19 10:00:00 | 音楽/芸術

エリアフ・インバルというイスラエル出身の指揮者がいる。後期ロマン派の作曲家、特にマーラーやブルックナーを得意としており、大変な親日家でもあることから、毎年のように来日して我々ファンを楽しませてくれる指揮者の一人。

そのインバルも、今年81歳になったというから、いささかびっくりしている。今まで数多くの演奏に触れることができ、数々の感動を与えてくれたインバルだが、まだお若いという感覚だっただけに衝撃を受けてしまった。このブログでも、たびたび書き残してきたが、インバルとの出会いは、およそ30年くらい遡ることになる。それは、レコード録音であり、またほとんど同時期にフランクフルト放送響と来日もされ、我々を魅了したことが思い出される。やはりマーラーやブルックナーの交響曲中心のプログラムだったが、マーラーの交響曲に至っては、チクルスで全曲立て続けに演奏して驚嘆した思いがある。今でこそ、マーラーチクルスなど、珍しくはなくなったが、当時は中々演奏される機会に恵まれず、第1、第4.第5あたりがせいぜいだったのではないか。特に大がかりな、第2、第3、そして第8など、実演奏に接する機会など無かったアントンKには衝撃的だったのだ。その後、徐々にこういったマーラー演奏も増えて、いわゆるマーラーブームと呼ばれた時代がやってくるのだが、その立役者の一人が実はこのインバルだったのではないかと考えている。今までに東京都交響楽団ともマーラーチクルスを2回完成させているし、この日本のオーケストラにとってもとても縁の深い指揮者の一人だろう。

70年代から80年代にかけては、アントンKにとってのマーラー演奏は、何をおいてもバーンスタインが基本となり手本となっていたのだが、そんな時期に聴いたインバルの演奏は、ダイレクトな表現で、聴衆をぐいぐいと引っ張り、バーンスタインの脂ぎった熱さとは対照的な、クールでストレートな燃焼とでも言おうか。今思いおこしてみても、当時の中堅指揮者であったインバルは、アントンKの中では、一線を画していた事は間違いない。

90年代には、いよいよマーラーブームが到来して、海外のオーケストラがこぞって来日し、マーラー演奏を競ったもの。このインバルはもちろん、ベルティーニや、シノーポリの全曲演奏会は特に印象深い。そんな今から思えば華やかな、異常とも言える時代を越えて、今日のインバルは、さらに年齢を重ね円熟の極致に達している。ついこの間(と言ってももう3年も過ぎようとしているが・・)完結した都響とのマーラーチクルスの表現を聴くがいい。初めて出会った80年代とは、まるで別人のような奥の深い表現力や、心の叫びを聴き取れたのである。

今年は、べルリン・コンツェルトハウス管弦楽団と来日しマーラー、それも一番お得意の第5を我々にご披露頂ける予定。この日は、何が何でも足を運ぶべきだろう。今から心待ちにしているアントンKなのだ。