アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

時は待ってくれない~小田和正

2017-03-29 10:00:00 | 音楽/芸術

先日、BS放送で小田和正の出演した番組を観た。

「100年インタビュー」というスペシャル番組だったが、普段テレビなど見ないアントンKもこの時は録画までして画面に見入ってしまった。小田さんも今年で70歳だという。もちろんその現実にも驚嘆するが、かつてと同じスタンスで変わらず活躍していることに対し本当に尊敬の念を抱く。

小田和正とはご存知の通り、オフコースというバンドのリーダーだった。ちょうど70年代終わりから80年代にかけて爆発的に人気が出たバンドだった。当時は、フォーク全盛の時代、またニュー・ミュージックとか言われた音楽が流行り出した頃。チューリップやかぐや姫などはこのジャンルになるのか。

当時学生だったアントンKは、友人の勧めもあってオフコースを聴くようになった。それまでは幼少の頃から音楽と言えばクラシック音楽ばかりで、その当時流行った流行歌には興味がわかなかったが、このオフコースというバンドは、メディア(テレビ)に出てくる事は無く、彼等の音楽は、レコードかまたはコンサートへ行くしか聴けなかったのである。オフコースのコンサート(今で言うところのライブ)にはよく行った。初めてクラシック音楽以外の演奏会はオフコースだったかもしれない。今でも忘れられないのは、こういったジャンルの音楽もレコードと同じ音として演奏されていたということ。つまり普段聴いているレコードと楽器の音色も声もハーモニーも同じだったということだった。全く今思えば当たり前のことだが、当時の衝撃は大きかった。それどころか、生演奏ならではの、楽曲のサビが違ったり、中間部がコンサート用にアレンジされていたり、ここでも色々な発見があり楽しかったことを思い出す。小田さんの弾き語りに憧れ、当時見よう見まねで真似して歌ったり、オリジナル曲を書いて人前で披露したりと、今思いおこせば恥かしくなるが結構入れ込んでいたのだろうな、と自分のことながら振り返ることができる。

番組の中で小田さんも語っていたが、わかる人達とだけ繋がりたいというアーティスト的発言は、まさに音楽家であるとともに芸術家としての域だった。少し大袈裟に言えば、かつての巨匠であるクナッパーツブッシュや、フルトヴェングラーという指揮者達のように大衆に迎合しないということになるのだろう。本来芸術とは、大衆から離れた所にあるものだから・・・

およそ半世紀の間、続けてきた音楽活動。この長い時間継続できたことの原動力は、やはり音楽が好きだからということに尽きる。そして仲間がいるから続けられたとも語った。まさにアントンKも同感だった。好きなことがあっても、良き仲間がいるからこそ成り立ち継続できるのだということを再認識したのであった。


朝のお楽しみ~EF66のゴミ輸送

2017-03-26 10:00:00 | 鉄道写真(EL)

ダイヤ改正の3月ももう下旬。何かと忙しい3月は撮影もままならずアッと言う間に過ぎ去って行く感覚。このダイヤ改正の目玉の一つに、朝の川崎ゴミ輸送の列車が吹田区のEF66に切り替わったということがある。それまでのEF65PF(新鶴見)も色々楽しめた運用だったが、今回のEF66持ちかえにより、さらに幅が広がった感じ。代走でEF200やEF210ということもありえるだろうし、何と言っても吹田区の虎の子EF6627だって牽引する可能性は高くなるからだ。

そんな想いをいつもの仲間達と妄想しながらの朝練も実に楽しい。もしもの世界が現実化した時の歓びは例えようがないからだ。で、早速EF6627が朝のゴミ輸送に入ったので撮影に出た。専用コンテナが連なり見応え十分なこの列車は、運転区間が短く撮影ポイントも限られてしまうが、何と言ってもどこも太陽に向けてカメラを構える構図となるため、天気に左右され撮りづらい列車なのである。この日は晴れ予報が出ていたものの、朝方は低い雲のおかげで(?)、どうにか撮影することができた。春休みの週末からか、どこも撮影者は多く、この場所でも黒山の人だかりとなっていたが、ここで偶然にも最近ご無沙汰の旧友と再会できたのも、こういった「ネタ列車」が走ることの恩恵か。

2017-03        153レ EF6627      八丁畷駅にて


JR化後30年そして・・・

2017-03-25 10:00:00 | 鉄道写真(EL)

今年2017年(平成29年)は、国鉄がJRになって30周年を迎える。

ここでいつも書いている時間の流れの早さについては触れないが、それにしても30年の歳月は長い長い時間が経ったと実感できる。もちろん30年前というと昭和の時代(S62)。今にして思えば昭和の最晩年ということになる。何もかもが活気に満ちあふれ、将来を夢見ていた頃だった。同時にアントンKは、社会に飛び出て間もない頃だったこともあり、毎日をこなして行くだけでへとへとだった頃。趣味こそ最大の息抜きとして、いつも頭では考えていたが、なかなか実行出来ないでいた歯がゆい時代でもあった。

何でもがむしゃらだったあの頃、幼稚でムチだった自分自身が可愛く思える。今では、意識は随分とジジイになってしまったが、こうして同じ趣味を続けられていることに感謝しなければならない。身内にも、そして周りの人全てに・・・

掲載写真は、切りの良い30周年ということで、国鉄最後の日である1987年3月31日に撮影したもの。あいにくな天気であり、しかも平日だったため、近所で適当に撮影しているのが画像から伝わってくる。横浜駅8番線に停車中の「旅立ち号」。名古屋からやってきた沼津の座敷客車を使った団臨だ。ヘッドマークには、「よろしくJR東海」とあるが、そのヘッドマークは、ワイヤーで吊られているようで何とも冴えない姿だった。となりのホームには、九州ブルトレの姿が見えるから、先に道を譲ったのだろう。

1987(S62)-03-31   9342レ EF58122 「旅立ち」号   東海道本線/横浜駅にて

当時は毎日新子安へ出張することが多く、この日もそうだったことがうかがえる。

新子安へ入線の南行京浜東北線。一部にこういったヘッドマークが装着されJRに代わることがアピールされた。

JNRの文字が何とも懐かしく感じる。

1987(S62)-03-31  新子安にて

 


懐かしの春の青梅線

2017-03-22 20:00:00 | 鉄道写真(EC)

東京もいよいよ桜の季節になった。新年度が迫り何かと忙しない時期でもあるが、つかの間の時間でも、外へ出て桜を愛でるくらいのゆとりが欲しいところだ。

昔を想い起こせば、この時期よく青梅線に訪れて撮影を楽しんだもの。もちろん狙いは貨物列車のED16だったが、都内から近いのに、単線の山の中という、当時は大変行きやすく感じていた路線だったこともある。

ここではED16ではなく、当時の主力電車73系電車を掲載。そっけない簡素な顔つきだが、今こうして見るとどことなく趣きを感じてしまうのはどうしてか。それだけ世の中複雑で忙しなくなったことに慣れてしまったということか・・・釣りかけモータの音も懐かしい。

1976(S51)-04-18     青梅線 Mc73079ほか4連      古里-鳩ノ巣

 


ついに消滅か!EF64 1000原色機

2017-03-19 10:00:00 | 鉄道写真(EL)

今年の春のダイヤ改正はいつになく早く感じた。確かに昨年は3月でも下旬の26日だったはず。そんなつもりで今年もダイヤ改正日を迎えようとしていたが、今年は3週間も早い3月4日だった。この時期の三週間は何かと多忙な時期で忙しなかった。とかく近年時間の経過が高速化してしまい、その日暮らしをして、ふと気が付くともう一週間経っていると、時間を後追いすることが多くなってしまった。まあこれも時代とともに、自分の年齢や置かれた環境とともに少しずつでも受け入れていかなければならない。それでも、こうやって好きな趣味の時間を持つことができる有難みを痛感している今日この頃なのだ。

今月のダイヤ改正を受けて稼働が止まった機関車がいる。JR貨物愛知区に最後まで国鉄色として残存してきたEF641019号機だ。一年前の改正後は、ロクヨンセンに関して、1012/1014/1016/1019の4台の国鉄色機が最後の活躍をしてきたが、この1年で1台、また1台と徐々に消えて行った。そして最後の1台1019号機が数カ月の間孤軍奮闘してきた訳だが、このダイヤ改正後ついに休車に追い込まれたようである。

掲載写真は、アントンKにとって最後の走行写真となってしまったEF641019号機。ボロボロという表現はしたくないが、かなりくたびれている姿を見て心が痛む。まだアントンKの中では、ヨクヨンセンは新しい機関車という概念が未だに支配しているが、現実にハッと気が付くと、それだけ時間が経過してしまったのかとどこか切ない、やるせない気持ちになってしまう。

2017-02    3088レ  EF641019+1011     JR東海:中央西線にて

ついこの間撮影した!と思えるロクヨンセンのデビューの頃の写真を続けて載せておく。

まさにこのEF641000番代は、当時EF16を駆逐するために生まれてきた憎き機関車だった。EF16のような薄暗い運転室ではなく、緑色に計器類が運転室に浮かび、真新しい塗装の匂いとコンプレッサーやブロア音に、これが最新の電機という強烈なインパクトを受け、未だにその印象は拭えない。

これで、残されたEF641000の国鉄色機は、JR東日本の数台を残すのみとなる。

1980-09-10     660レ EF641001+EF15191    上越線/石打駅にて