毎年秋になると、暮れの第九演奏会のスケジュールが発表になり、さて今年はどこに行こうかと、悩ましい選択が楽しいものなのだが、今回は悩むことなく決めてチケットを買うことができた。
アントンKと同世代の上岡敏之という指揮者がいる。まずこの上岡氏が読響を振って第九に挑むことがわかったからだ。数年前にみなとみらいで演奏されたブルックナーの第7を聴いてから、この上岡氏は目が離せない存在となり、以来可能な限り実演に接するように心がけているのだ。
その上岡敏之氏。その演奏には、いつも独自の解釈があり、その個性的な演奏内容は、極めて珍しく、なかなか耳にしたことがない演奏内容なのだ。こんな演奏だから、演奏会後はいつも賛否が分かれ、ある意味ファンの間では話題となる事が多い。そんな上岡氏の第9の演奏会。7回にもわたる演奏会をどう乗り切るのか大変興味があった。
そしてもう一つの第9演奏会は、アントンKの中では定番となっている小林研一郎指揮による演奏会だ。この演奏会のいきさつについては別項を参照してほしいが、とにかくわかりやすく情熱的な演奏に毎回ほれぼれするコバケンの第九を聴いてきた。
さて、今回の2種類の第9演奏であるが、今こうして考えてみても二つの演奏ともに個性的な内容だったと言える。まずは興味の絶えない上岡氏の演奏は、とにかくアントンKが長年聴いてきた第九の実演の中でも、いや録音を含めても、おそらく最速の演奏であった。きっちり測った訳ではないが、おそらく全楽章60分は切っていたように思う。第1楽章は、速い演奏だけならまだしも、f(フォルテ)の部分が絶叫せず、ベールに包まれたようになだらかで柔らかい音色に終始し、厳しさとは無縁、弦は即興演奏のようにスラーで繋がり演奏されていた。冒頭の弦楽器のppはテンポのせいか刻みがまるで聴こえず、それに続く第1主題も、まるでそよ風のようにサラッと通りすぎてゆく。この後、第1主題の提示がフォルテッシモで出るが、その時でさえ音楽が大きくならない。こんな演奏に接したのは初めてのことだ。続く第2楽章でも、同じようなことが言え、音の強弱の強調は一切ない。譜面でいう縦線は感じられず、どちらかというと横に流れて行くことに重きを置き、アダージョ楽章についても同じ解釈で楽曲が進んで行った。そしていよいよ第4楽章になると、指揮者上岡は、その個性を全開にしていったのだ。合唱が始まる部分からは、普通のテンポ感のように聴こえたが、それでも高速運転には変わらない。特に印象に残っているのは、655小節からのくだり。4分の6拍子に代わり、符点で合唱が進んで行く箇所で、「フロイデ!」という歌詞があちこちから聴こえるが、弦楽器までも「フロイデ!」と歌っているように聴こえる演奏は今回初めてであった。あとで譜面で確認してみると、コーラスの「フロイデ!」に合わせたVlaの極端な強調であることがわかったが、この時だけは、本当に聴いていてゾクゾクしっ放しでいたことを付け加えておく。今回、アントンKの座席が指揮者の表情を確認できる場所であったこともあるが、全曲を通して指揮者上岡氏は、この大曲を楽しみながら指揮をし、時には笑みを浮かべながら指揮する姿にこちらも自然と吸い込まれていった。
こう書いてしまうと、駄演のように聴こえてしまうだろうが、実は決してそうではない。こんな一環した解釈の演奏でも、各楽章での決めのポイントは指揮者上岡氏は外さなかった。おそらく今回の演奏も、賛否両論物議を醸し出すことだろう。演奏内容や、データだけからすれば、アントンKにとっても決して好まない演奏の部類に入るはずなのだが、実際鑑賞して、そしてそれから時間をおいて冷静に考えてみると、この手の第九もありなのかな、と思えてしまうから不思議なものだ。朝比奈の演奏を頂点とし、若い頃から親しんできた、このベートーヴェンの第九交響曲だが、そういった先入観なしに考えれば、今回の上岡敏之氏の演奏は十分受け入れられる内容だったと今は思える。独自性ということからすれば、強いものを感じるが、これを実行した指揮者の勇気、そしてそれに就いていったオケの理解とテクニックには最後まで驚かされたと記しておく。
さて上岡氏の演奏からすれば、より一般的に聴こえてしまう小林研一郎氏の第九演奏について。
実は、コバケンの演奏も相当に独自性が高い。今まで彼の第九には数回通ってきたが、ほぼ一貫した解釈で演奏されているように思う。作曲家でもある小林研一郎氏、コバケンは、譜面に手を加えて毎回演奏しているようだ。それは、昔よく演奏されていたと言われている近衛版からの引用か、マーラー改訂版からのものかはわからないが、自分が納得いくように譜面に追記して演奏しているのだ。これはもうコバケン版と言っても差し支えないと思われるが、こうすることによって、楽曲は効果的に判り易くなり、聴きごたえが増すことは明らかだ。第二楽章の練習番号CからのHrnの追記は特に効果的だが、そのほかにも多々変更部分が聴きとれる。そしてアントンKが特に気に入っている部分は、第4楽章の320小節からの部分。コーラスが二分音符の長さで歌い始めるところで一気にテンポを落ち着かせて、噛みしめるように進んでいくところ。そして330小節で圧倒的に長いフェルマータに命を懸ける。この箇所は何度聴いても感動的だ。
長年の第9との付き合いの中で、アントンKには、演奏解釈においてどうしても譲れないポイントが多々ある。その中の一つは、第4楽章の終結部、マエストーソのテンポ設定だ。何度も聴いた朝比奈のフェスティバルホールのように、トライアングルがリズムを刻まないにしろ、ここはうんとテンポを落として堂々とやってほしい。でプレスティッシモで雪崩れ込むように終結してほしい。コバケンの演奏が安心できるのは、このスタイルを貫いていること。聴き終わって圧倒的な充実感と満足が得られるのだ。しかしこのスタイルは、名盤とされるかのフルトヴェングラーと同じ解釈であり、今となっては古典的な解釈になってしまったのだろうか。時代とともに、クラシックの演奏スタイルも進化していくものなのか。今回の上岡氏の演奏に触れて大変興味深く思った次第。
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日本フィルハーモニー交響楽団「第9交響曲」特別演奏会
指揮 小林研一郎
パイプオルガン 石丸 由佳
ソプラノ 天羽 明恵
アルト 金子 美香
テノール 錦織 健
バス 成田 博之
合唱 東京音楽大学
J.S.バッハ
トッカータとフーガ 二短調 BWV565
ヴィエルヌ
オルガン交響曲第1番よりフィナーレ
ベートーヴェン
交響曲第9番 二短調 OP125 「合唱つき」
2015年12月21日 サントリーホール
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読売日本交響楽団 第587回サントリーホール名曲シリーズ
指揮 上岡敏之
ソプラノ イリーデ・マルティネス
メゾ・ソプラノ 清水華澄
テノール 吉田浩之
バリトン オラフア・シグルザルソン
合唱 新国立劇場合唱団
ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調 op125 「合唱つき」
2015年12月22日 サントリーホール