アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

失われる身近な原風景~三鷹人道橋

2023-09-28 08:00:00 | 国鉄時代(カラー)
もうどのくらい経ったのか判らないが、三鷹電車区(現在は車両センター)を跨ぐ人道橋がいよいよ取り壊しになるという記事をどこかで読んだ。
 アントンKにとって、当時は国鉄電車との接点だった当地。模型が好きで鉄道趣味の世界に没頭し、模型屋さん巡りに明け暮れていた頃、自宅から自転車で通うことができた三鷹の「トリオ商会」には入り浸った。店の目の前が中央線の線路で電車区前。何という立地だろう。101系電車の通過音を聞きながら店の扉を開けたものだ。一通り展示品に目を通すと、再び店外へ出て列車の通過を待った。そんな時、この人道橋に上がると、赤い電車を横目に多くの中央線のスターたちが見渡せたのだった。憧れの181系あずさに始まり、115系、165系や70系、地下鉄線用301系も休んでいて時間を経つことも忘れ佇んでいた。豊田に103系増備車が配置されるのはこの後だったが、当時の当たり前の光景が、今では夢の光景に。この人道橋から見下ろす景色は、アントンKの国鉄電車原風景だ。
 
昨年、数十年ぶりに当地を訪れている。多々お世話になった模型屋さんは無く、中央線は、西に向かって高架線へとスロープが出来ていた。もちろん見渡せる電車群も様変わりしていて、どこか別の土地のように感じてしまった。補強が痛々しい人道橋だけが当時を偲ばせてくれていたが、この橋もいよいよ過去帳入りとなるようで、またひとつ思い出の地が消えていく。

10年ひと昔~8094列車

2023-09-18 08:00:00 | 10年前の足あと
朝練が疎かになっている・・・
 始業前の小一時間線路端に立ち、おのずと決めたルーティーンを当たり前のように周り、何事も無かったようにその日一日が動き出す。そんな毎日がほぼ日常だった時代から早10年が過ぎた。そこで出会った鉄仲間はもちろん今も現役で、川崎界隈の線路端に行けば、どこかしらで出会う偶然の快感がいつも溜まらなかった。そして最近、職場の鉄仲間たちからも多くの刺激を貰い、自らの堕落さを猛省している。何気ない日常こそ、将来の宝となることは解っていながら、いつの間にか自分自身が変わってしまっているのだ。
 もちろんアントンKの日常の変化がそうさせるのだが、今ほど原点回帰という理念が頭の中を駆け巡ることはない。年々早く感じる時間経過の中で、いかに自分にとっての充実した時間を見つけることが出来るかが、今後の人生をも決めるというくらいの覚悟で・・・
 掲載は、朝練のメイン列車だった電機重連の石油列車。この列車があったから、多くの鉄仲間と出会い今でも親しくさせてもらっている、アントンKにとっては特別な貨物列車なのだ。ダイヤ改正ごとに、けん引機関車の担当変え、あらゆる組み合わせに一喜一憂した当時がとても懐かしい。夏草に覆われ、線路も見え隠れしていた盛夏の貨物線を往く。更新機が先頭でやってくると、ハズレくじを引いた感覚だったが、今や関東には貨物機ロクヨンの姿は無く、更新機さえ動いていない状況らしい。あっという間の10年。これからの10年はどんな時代になるのだろう。

2013-08-10     8094ㇾ  EF641011+EH200-10        東高島付近
 

在来線特急列車の思い出~583系

2023-09-16 08:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
来年春、金沢まで伸びている北陸新幹線がついに敦賀まで延伸する。これで関東から福井・敦賀方面へ出向く場合、東海道~北陸経由一択だった選択肢が広がりを見せる。費用ベースだったら話は変わるだろうが、旅行する手段が増えることは、単純に良い事として考えられるようになった。
 思えば、在来線の優等列車の変遷は、新幹線の延伸とともに形成されてきた。最近ではアントンKも、新幹線のある日本の風土を美しく感じられる心を持てるようになったが、それによって失われた尊い情景を思い起こすと、いくばくかの切なさを感じてしまうこともよくある話である。
 そう思うと、東北・上越新幹線が誕生する前の華やかな在来線の列車たちがとても懐かしくなってくるのだ。当時よくよく出向いていた大宮駅の日常は、今思えば夢のようだが、引っ切り無しにやってくる特急列車、急行列車に目が回るくらいの感覚だったことを思い出している。沿線に撮影に出てもそうだ。次から次へやってくる列車たち全てにカメラは向けられず、フィルム消費を抑制しながら、撮影計画を立てたものだった。当時は、こうして目の前を通り過ぎる優等列車たちが消滅するという想いは無かったように思う。なかなか乗車さえ許されなかった特急列車への憧れ、カッコよさが見たい撮りたいという原動力だったように感じている。
 思い入れが深い東北特急列車。大好きだった赤べこED75とともに撮影に行った東北線を走る列車群は、アントンKにとっては鉄チャンの過渡期でも重要な時代だったのかも。こうして振り返ると、タイムスリップしたくなってしまうのだ。掲載写真は、貝田の下り坂を飛ばしてきた583系特急「はつかり2号」上野行き。13両編成の重厚な車体が軽々と目の前を駆け抜けていく。いつまでも見ていたい特別なシーンだった。

1982-03-17     22M     はつかり2号   東北本線:貝田-藤田


現存の蒸気機関車を案じる日々

2023-09-08 08:00:00 | 鉄道写真(SL)
この令和時代、全国で未だに活躍を続けている蒸気機関車。最近、あまり耳にしたくない噂が聞こえてきた。コロナ時代を迎えて3年以上が経ち、鉄道各社にもほぼ集客が戻り、さてこれからという時に、今まで全国で運転されていた蒸気機関車たちに暗雲が立ち込めている。
 今年6月、惜しまれつつも運転終了となった釜石線に走っていた「SL銀河」に始まり、東日本のD51 498、C61 20の不調、西日本のC57 1の不具合等、ここにきて我々ファンに逆風が吹き出しているのだ。人の問題、費用対効果の思考以上に、コロナ禍を経験した我々にとってイベント列車としての蒸気機関車そのものの考え方に変化が生じているようだ。鉄道趣味界にとっても大きな転換期を迎えているのかもしれない。どうかこれからも、この鉄道文化を絶やすことなく、さらなる明るい未来を築いて欲しいと願いたい。
 昔から磐越西線には愛着があったから、ここにD51が走ると知った時は衝撃的だった。国鉄がJR化してD51498がデビューしたのが、1988年12月。そして初めて磐西D51運転となったのは、1990年1月だった。それまで専用機ED77の独壇場だった磐西の地に、本物の蒸機が現れた時は身震いして感極まったものだった。現在の「ばんえつ物語」号のように新潟県側の非電化区間ではなく、福島県側は電化区間。いくらED77で土地勘はあっても、蒸機撮影では通用しなかった思い出が蘇る。吹雪で荒れた天候も諸ともせず、延々と続く上り勾配を必死で突き進むD51に何度感動したことか。出来ることなら、こんな想いを孫子の代まで伝えたいものだ。
1990-02-04     9211      D51 498    磐越西線:中山宿