アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

最後まで残った道内客車列車の記憶

2019-03-31 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

昔から北海道に走る車両たちは、お土地柄専用の設備を施した車両たちが使われていたように思う。もちろん例外もいくつもあるが、専用形式や番台など、耐寒耐雪を強化した車両たちが存在した。本州で走る50系客車は、北海道仕様になると51系となり設備が異なる。九州で使われているED76電機も、北海道では、貫通扉のついた500番代を名乗り、むろん耐寒耐雪は強化されている。こういった塩梅だ。

なかなか本州ではお目にかかれない車両たちだから、なおさら北海道の鉄道には憧れたもの。大きな大自然の中をひた走る北海道の鉄道は、ただそれだけで魅力的に映ったのである。しかし寄る年波には勝てず、年々魅力的に思える列車が廃止され、画一化されていく様子には寂しい思いが湧いてくる。本州からの夜行列車廃止にとどめを刺された感が強いのだ。

ここでは、最後まで残っていた普通列車の客ㇾの在りし日の姿を掲載しておく。道内の大部分がDCかされてしまい、ここ函館本線の朝夕数往復に客車列車が残存していたと記憶しているが、掲載写真は、小樽の町をあとに張碓海岸沿いを走る朝の通勤列車。斜面に林立する小樽の町は、まるで長崎のようで好きだったが、写真にすると列車も赤いせいか溶け込んでしまい、当てが外れてしまった。

1992-05-04   923ㇾ  ED76507   JR北海道/函館本線:朝里付近


根府川を行く懐かしの湘南電車

2019-03-30 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

ステンレス車体が台頭している現在のJR各車両たち。ラッピング技術もさることながら、やはりデザインとともに、車両の色彩感は重要だ。国鉄時代に線区によって色分けされていた電車たちは、現在では同色のラインで表している。スマートで都会的に思うが、どこもかしこも、どれに乗ってもみんな同じに見える車両たちには、すでに趣味の領域はないのか。寂しくなったものだ。

そんな昨今を思いながら、昔の東海道線を掲載してみる。懐かしの根府川で撮影した111系か113系のごく一般的な編成。中間のサロでさえ冷房化されておらず、先頭は、言わずと知れたクモユニ74という郵便荷物電車が併結されている。この電車は、旧性能電車、つまり釣りかけ式のモーターで後続の111系や113系と協調運転されていたのだ。乗っても撮っても、個性丸出しで心惹かれるものがこの時代にはあった。あの釣りかけモーター音が鉄橋に響き渡り、それだけで興奮できたアントンKもまだ純情だったのだろう。ブルトレやゴハチの合間にやってきた、当時はごく当たり前の電車たちだが、今こうして改めて見ると、同じ輝きを感じるのはどうしてだろうか。一番見て、乗って触れてきた最も身近な電車たちだからこそ、懐かしさも一入ということだろう。

1975-09-30   329M      クモユニ74003           東海道本線:根府川-真鶴


最後まで常磐線に君臨した「EF80」

2019-03-29 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

JR化を待たずして消えていった電気機関車にEF80がある。この機関車は、常磐線の電化とともに生まれ、そしてあまり活躍地を変えることなく消えていった電機だった。アントンKが常磐線に初めて訪れた時には、すでに後継のEF81も貨物列車で入線していたが、当時の夜行列車である特急「ゆうづる」はまだEF80の独壇場だった。但しその当時は、ヘッドマークが復活しておらず、今にして思えば魅力は半減していたから、あまり大した写真は残せていない。

EF57が現役を引退したのが1977~1978年、いよいよEF58ブームが過熱してくる矢先、アントンKはこのEF80の魅力に新しい発見を見たのだった。決してゴハチのようなスマートな車体とは言えないが、一度見たらそれとわかる個性的なスタイル、交直流機を主張する屋根に広がった機器類、そして何といっても、唯一無二の車体色。現在復活を遂げたEF8197号機のローズピンク色とは異なるイメージがあるのだが、如何なものだろう。当時EF80が大変魅力的に映り、よく撮影に出かけたものだ。まだ長距離の普通列車も残っていた時代だから、まずはそれが一番のターゲットとなったが、お座敷列車の運転を調べては出かけたり、今で言う甲種回送なども狙ったものだ。友人とゴハチの撮影にはよく出かけたが、EF80の撮影にはいつも単独行動だった気がしている。ゴハチと比較してしまうと、ファンには明らかに人気が劣るEF80だったが、85年に催されたつくば万博では、最後の活躍を見せ、撮影にも気合が入ったことが懐かしい。

掲載写真は、最後の活躍を見せる万博時に走ったEF80による「エキスポドリーム」号。万博へ向かうお客様をホテル宿泊代用として使った臨時列車だと記憶している。寄せ集めだが20系客車を使用し、何とEF80のプッシュプル運転だった。

1985-08-24 回9643ㇾ  EF8039 エキスポドリーム号  常磐線:牛久付近

 

同列車  EF8063 後追い  牛久付近


多客臨で活躍したEF65PF

2019-03-28 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

大昔の画像を次々データ化して復刻しているが、もうほとんど記憶にない画像が蘇り、こうしてPC上であるとはいえ復活できることは、何だか嬉しく思っている。長年続けてきたという意識はあまりなく、気が付いたらこんなに長い間同じことをやっていたという方が正しい気持ちだ。今後も同じように撮影は続けていくだろうが、新旧の画像の中で、読者の皆様に懐かしさや癒しを享受できるのなら幸いである。

今回は、夏の東北線の多客臨の画像を掲載。

これはまだ東北線にEF57が最後の活躍をしていた時代のもの。毎年お盆には、帰省列車が今では考えられないくらい走っていたが、その臨時仕業の大部分は、客車列車はEF57やEF58がその任に当たっていた。運用の都合で重連運転も多く、色々目星を付けては線路端に出向いたもの。しかしこの時は、何とやはり宇都宮機関区にいたEF65PFがけん引してきてがっかりさせられた。当然この時も、ゴーナナが来ないかと思いカメラを構えていたのだが、65PFが見えてきて度肝を抜かれたのである。しかし40年以上も時間が経ってしまうと、これはこれで懐かしく貴重に思えるから不思議なもの。雑多な画像だが復刻記念ということで掲載しておく。当時急行臨時列車は、12系客車が基本だったと思うが、画像のような旧型一般形客車の編成も多かった。いかにも余剰の寄せ集め客車の様相であり、65PFともどこかアンマッチに感じる。大昔の夏休みの大宮駅。背後に見える川越線のキハ35がとても懐かしい。

1976-08-06   8403ㇾ  EF651049   急行「まつしま53号」  東北本線:大宮駅


国鉄時代のH型電機「EH10」

2019-03-27 17:00:00 | 国鉄時代(カラー)

JR時代の電気機関車と言えば、アントンKはまずEF210やEF510を思い浮かべるが、H型の電気機関車のEH500やEH200の活躍も以前より増して来ているようだ。いつもそこには、新陳代謝があるわけで、彼らは古くなった機関車の置き換えで生まれてきた電気機関車たちなのである。

金太郎ことEH500は、ED75重連運転の置き換えだった。特急貨物の重連運用から徐々にED75が消えていったことが懐かしく感じる。(九州では、一部ED76の置き換えが進行している模様)EH200も同じようで、中央線(東線)のEF64運用の淘汰目的で増備されてきた。世の中、重連運用が減少しているが、おそらくEH500やEH200の活躍に比例しているのだろう。機関車の管理も、それまでの2つから1つで済むからより合理化が進むし、手がかからないのだろう。この傾向は今後ますます進むと容易に想像がつく。

さて今回は、国鉄時代のH型電機を掲載する。「EH10」という、真っ黒で四角い大きな電機だった。H型だから、今のEH500のように見かけ重連のように車体が2台連結した機関車。角ばった黒い車体から、力強さを感じたが、お顔は随分とあっさりしたシンプルな醤油顔で、その風貌から質実剛健な機関車のイメージがアントンKにはあった。EF58やブルートレインの撮影に東海道線に出向くと、その道中、必ず何本かやってきた印象で、この機関車を目的で撮影に行った覚えは残念ながら無かった。もっとも当時は、機関車の運用もよく解らず、EF60やEF65、EF66に交じってやってきて、偶然の遭遇がほとんどであり、気持ちを入れて撮影したことがないから、あまり大した画像が残されていない。こんな機関車が保存され、どこかで定期的に走っていたら、お若いファンにはどう映るのだろうか。少し興味が沸いてしまう。写真は、ご存知山崎の大カーブをいくEH10のカートレイン。機関車の黒と、ク5000の赤のコントラストが美しいが、このク5000という自動車を運ぶ貨車もいつの間にか消えてしまった印象。好きな車両だっただけに残念だ。

1979-05-05       EH1016     東海道本線:山崎-高槻にて