アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

2016年~エピローグ

2016-12-31 10:00:00 | 日記

あと数時間で激動の2016年が過ぎていく・・・

今年は良いことより嫌なことの方が多い年だったけれど、決して悔いは残らない1年だった。自分の考える出来る限りの事柄は実行してきたと思っているが、中々気力が続かなくなってきたことも認めなければいけなくなった。限られた時間の中で充実した時間を送ることの大切さは、この歳になると痛いほどよくわかる。高望みはしないが、来る年も相変わらずの我流を貫き、さらに一歩でも前に進んで行きたい。

2016-12    夜明け前の新鶴見操車場にて


北海道黄金時代

2016-12-28 10:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

あこがれの地、北海道・・・

都会に生まれ育ったアントンKには、昔から北海道は遠く異国の想いがあった。自分とは別世界のところといった未知の世界の感覚があった。そんな想いから40数年、時代の流れとともに、その距離はどんどん縮まり、今やレールが繋がり、飛行機が分単位で発着している。何という変わりようだろうか。若い頃は、そんな将来のことなど考えが及ばなかったが、いつかゆっくり北海道をカメラハイクしてみたいと思いつつも実現出来ていない。そんな小さな夢を持っての日常がある訳だが、そんなに悠長な足取りでは実現できなくなりそうな雲行きだと想像している。

今月の留萌線の廃線、少し前には江差線の廃線があった。日高線に至っては、土砂崩れで不通になった鵡川以東は、2年以上も手つかずで、とうとう来年廃線との発表があったばかり。どうしたことだろうか?会社そのものの存続が危ういのだろうか。どうもアントンKには、やる気が感じられず心配になる。いつまでも憧れの地として存続し続けて欲しいが、これも時代の予期せぬ流れなのか・・・

歴史を垣間見ても、北海道内鉄道の黄金時代は、SLが残っていた昭和50年以前を差すのは必然だろうが、その時代を知らないアントンKは、道内を縦横無尽に走っていた気動車特急キハ82系に想いが及ぶ。初めて渡道した頃は、非電化区間そのものに縁が無く、撮影しづらかった事を思い出すが、そんな区間をスマートに走り去るキハ80系は、今思い出しても魅力的だった。写真は大沼湖畔を行く「おおぞら」。この一コマを撮影するため、何時間も待ったことが懐かしい。

1978-08-30   4D  おおぞら  キハ8256 ほか12B   函館本線/大沼公園にて


1万人の第9演奏会

2016-12-25 10:00:00 | 音楽/芸術

今年は色々な都合が重なり、第九演奏会には行かなかった。毎年この時期には一度は聴きに行っていた演奏会ではあったが、今年は音楽鑑賞についても、この歳になって新たな発見や想いもあり、初めからチケットは予約せずに来てしまった。今までにも第九演奏会(実演)を聴かずに年越ししたことはあるが、その分自室のCDで楽しむ第九も、まあこれはこれで良いものだ。これまで朝比奈/新日本フィルの第九(FOCD9045/7)を10往復くらいしたか。朝比奈と言えば、当然大阪フィルとなるが、今回の新日本フィル盤もアントンKのお気に入りの一つ。N響盤と並んで、大フィル以外のオケを指揮した時の朝比奈の執念とも採れる音づくりが好きだ。大フィルの時には、自分の身体の一部のようなものだから、言葉にしなくても、意思疎通は限りなく測れるが、在京オケとの演奏は、出来不出来が顕著となり、それはそれでスリリングな体験を伴い気が置けないのだ。そんな中、この新日本フィルを振った第九演奏は、重厚な響きの中、指揮者朝比奈の個性丸出しの内容で、個人的にはポイントは高い。昨年の上岡氏の第九のような演奏が許容される時代で、世の中も様変わりしているが、こういった20世紀を代表するようなベートーヴェンは、これからも絶えることはないだろう。少なくとも、アントンKには、生涯の友と成りうる。

さて、毎年恒例となっている、1万人の第九演奏会。大阪城ホールにて行われている。アントンKは、この手のイベント意識の強い演奏会には極力出向かないが、実体験として一度は聴きたいという気持ちもある。マーラーの8番を「1000人」の交響曲というように、プレーヤーを1万人数えて演奏している訳ではないだろうが、そのくらい大勢で第九を歌おうというものだろう。会場自体、クラシック音楽を鑑賞するという場所ではないだろうし、昔普門館でベルリン・フィルを聴いた時のような、どこか注意散漫な音楽になってはしないかと想像に難しくないが、芸術性を求めず、その大きな音楽の空間に身を置くということで、また別な想いが生まれるのかもしれない。何と言っても、大勢の合唱団の生きた声が、どれだけのエネルギーを教授してくれるのかは理解しているつもりだ。人間の心のこもった歌声は、楽器演奏よりはるかに叙情的と考えられるからだ。しかし一人の指揮者が、これだけのプレーヤーをまとめることは困難極まり、演奏内容云々より、無事演奏を終える事だけに終始しそうな内容だろうか。聴いているさなか、そんな事を考えさせられてしまうかもと思うと中々楽しめないだろう。聴いてもいない段階で想像するのは危険だが、指揮者の佐渡裕氏とは今まで縁のないアントンKだから仕方がないことだ。


新潟色 復活か!?

2016-12-24 10:00:00 | 国鉄時代(カラー)

現代の電車には、近郊型と呼ばれる形式など無くなってしまった。考えてみると、国鉄時代の電車は、特に新性能電車と言われていたグループには、通勤型、近郊型、急行型、特急型ときっちりと形式が区別されていてわかりやすく、またそこが国鉄の国鉄らしさだったと思う。塗装の塗り分けも、その色も全国統一されたルールがあり、たとえ鉄道に詳しくなくとも実に理解しやすい。

国鉄がJRとなり来年で30年、今でこそ国鉄型を求める鉄道ファンは珍しくなくなったが、いよいよ電車においても、機関車においても代替わりの時期が迫っていると思わざるを得ない。そんな流れを受けて、消えて行く国鉄型車輛を懐かしい昔の塗装に直して走らそうとする傾向が全国各地で見られる。中には国鉄時代の車輛だが、当時にはなかった色分けにしてみたり、JR化後の車輛達に国鉄色とばかり、疑似塗装を施したりして、昨今は何でもアリ状態になってきてはいるが、鉄チャンに限らず、一般の乗客達にとっても、地元のマスコット的な車輛として所有され存在していることは、活性化という点からも良いことかもしれない。

新潟地区でも、昨今その数を減らしてきた115系について、来年に向けて新潟色を復活させようという動きがあるようだ。もとは70系と呼ばれる旧型電車の色分け、雪国でもはっきりと識別できるようにと塗装された、何とも派手な色あいだった。アントンKも初めて見た時は、少なからず度肝を抜かれた想いだったが、当時まだ走っていた修学旅行色よりも渋く、良い意味で田舎くさい地方の電車のイメージに映っていた。さて、現代版新潟色。どんな趣きでの登場となるのか、今から楽しみだ。

掲載写真は、今や有名撮影地となった鯨波界隈を行く70系ローカル。こんな色合いだからこそ、カラーで残すべきだったが、例によってモノクロ写真が多く、カラーでのコマ数は限られてしまう。

1978-05-21    1329M   Tc76087x4B    信越本線/青海川-鯨波

                        Nikon FTN 105mm   ER


特急「あずさ」50周年

2016-12-21 10:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今年で中央線を走る特急「あずさ」が50周年だと言う。一言50年とは言うが、半世紀とは随分長く、そこにはすでに老舗特急と呼べるくらいの風格を感じる事が出来る。先週末は、それを記念して団体列車があったそうだが、アントンKには興味はあったものの、現状の車輛で走る姿からは、往年の思い出残る「あずさ」はほど遠いと思い、あえて撮影には出向かなかった。

そんな想いを抱くのも、アントンKには、全く無意識なのだが、この特急「あずさ」には思い入れがあるのかもしれない。中学生の頃、鉄道模型に目覚め、よく三鷹にある「トリオ商会」という模型屋さんで油を売っていたことは、ここでも以前書いた通り。この模型屋さんの目の前にあるのが、今も存在している三鷹電車区だった。当時は、模型屋の中にいても、絶えず中央線の101系の通過音やその振動が身体に伝わるくらいの距離間だから、優等列車や貨物列車が通過すると、いくらアントンKが駆け出しの鉄チャンでも当然ながらその違いがわかった。その中で一番の憧れの想いで眺めていたのが、特急「あずさ」だった。乗車経験はほとんどなく、もっぱらよく使ったのは格下の急行「アルプス」の方だったから、いつか社会人になったら思う存分乗りたいと思ったものだ。当時は、すでに食堂車(サシ181)は組んではいなかったが、朝方の幕張区の183系の1往復を除き、まだ181系で運転していた時代。アントンKにとって、最も早く身近に国鉄特急電車を意識したのが、今考えればこの「あずさ」の181系だったのだ。

そんな昔の自分の事を思い出しながら、やはりその時代撮影したものを今回は掲載。当時まだポジフィルムは、難しいという先入観から使用することはせず、ネガカラーとモノクロフィルムとで撮影に出た。当時の月刊誌「鉄道ファン」の写真を見ながら、一人駅から線路沿いをテクテク歩いたことを思い出す。この時は、思った以上に寒くそして暗くなって、ついには雨まで降り出してしまった。「あずさ」のみならず、貨物列車をメインに撮影していたことがネガを綴っていくとわかる。夕方まで粘り笹子峠をゆっくり上ってきたのは、帯無しのクハ181を先頭にした「あずさ」だった。

現代だったら、すぐにSNSか何かで帯無しは**Mと**Mでと、把握して撮影にいかせる事だろうが、当時はそんな事ができるはずもなく、ただただひたすら列車を待ったもの。もう待つことが辛くなった頃、撮りたかったスカートが長く帯無しの「あずさ」が見えた時の嬉しい想いは、40年以上経った今でも忘れはしない。

1975-11-23      11M   あずさ11号 Tc181-11x10B    中央東線/初狩-笹子

                     Nikomart FT2   105mm  TX