今年は何かと節目の年にあたり、碓氷峠(横川-軽井沢間)廃止もちょうど20年にあたる。経ってしまえばあっという間に感じるが、実は20年間は相当に長い時間だ。鉄道の変化と同じように、世の中もこの20年には大きく変わっていった。もちろん個人的にもそうである。そしてこの先の20年を思うと、なかなか具体的には思い描けないが、案外また短く感じてしまうのだろうと思っている。そして自分の人生も思いのほか短く感じるものなのかもしれない。そう思うとどこか寂しさやはかなさを感じずにはいられない。
碓氷が廃止になった年、平成9年(1997年)は、長野オリンピック開催の年であり、これに合わせた形で、長野まで新幹線が通った年だった。当時、ここに新幹線はいらないと思っていたアントンKだが、時間が経ってしまえば、そのまま定着して当たり前のような光景が目の前に広がっている。それまで避暑のための軽井沢への旅行客は、今やショッピングモールへの買い物客へと変貌し、この土地には似合わない買い物袋を持った若者たちで溢れている。峠を越えるたびに楽しみにしていた、おぎのやさんの「峠の釜めし」は、ロクサンのブロアを聞きながらほお張ることが正しい食べ方と自負していたが、今や釜めしは、高速のSAで買うものらしい。
こうしたほんの小さな思い出は、やがて自分の中でも忘れていくことなのだろう。しかし世の中圧倒的に便利になったが、人間の五感を刺激するような情緒が希薄になってしまったと思わざるを得ないのだ。
そんな碓氷峠の写真の中から、営業最終日の記録を掲載しておく。
1997年9月30日。この日をもって横川-軽井沢間は廃止され、信越本線も分断されてしまうことになる。平日だったため、休暇こそ取らなかったものの、朝から群馬に来て一仕事終え、そそくさと山へ入った。それなりにファンの姿はあったが、どこか無言の圧力に包まれていたことを思い出す。最終日も相変わらずロクサンのブロア音が山をコダマしているが、明日からこれが聞こえないと考えると寂しさが込み上げてきた。当たり前の光景が、ある日を境に消えてしまうことは、生物の死と直結している。当時はそんなふうに思っていたのだ。
1997-09-30 3010M EF6325+24 あさま 旧熊ノ平信号所付近にて