アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

結局は・・オリジナル!

2023-06-16 21:00:00 | 鉄道写真(EL)
写真の整理を進めていく途中、国鉄電機の更新塗装に目が留まったので、その画像を掲載してみる。
 どこか印象が違うとよくよく見ると、車体上部が明るいブルーを纏った三色更新機だった。そういえば、この機関車更新塗装が始まった当初、この三色塗られて出場されてきたことを思い出した。EF65PFに限らず、0番台車やEF64なども共通にこの塗装だったはずだ。しかしいつの間にか、現在のような簡略形の二色に変わっていた。この辺の経緯は全く分からないが、鼻から更新色は度外視していたアントンKだから、未だに興味が湧かないでいる。機関車は好きだが、なかなか掘り下げて知ろうとはしないのは相変わらずなのだ。
 それよりも、こんな画像を見返して思い出すのは、この時の撮影は、一眼レフのデジカメを初めて導入し、早速張り切って線路端に出たことだ。2004年の夏の話だから、ざっと20年前になってしまった。まだデジタルカメラそのものに不信感があり、それまでのフィルムカメラと併用して動いて時代。カメラは、昔からニコンを使っていて、デジタル技術は当時他社よりも遅れを取っていたことはわかっていたが、カメラシステムを入れ替えるほど余裕も無く、あるものを使おうという気持ちだった。フラッグシップ機のD1は選ばず、まずは中級機だったD100を購入してテストしたことが懐かしい。今までのレンズは共通して使えたためか、案外あっさり手に馴染んだが、現像を伴わない、撮影直後に画像確認が出来るという新鮮さは何とも嬉しかった。もちろんオートフォーカスカメラだが、当時は全く信用ならず手動でピントを追っていたことも今や懐かしくなった。
 朝一番で栃木まで行きブルトレを狙い、帰りがけに栗橋付近で数本の貨物列車を撮影していた。あれから20年、撮影の核としていたブルトレは無くなり、写真のEF65PFも2000番台を名乗っている。カメラも今ではレフ機からミラーレス機が主力となり、性能も格段に良くなった。これからの10年20年、どんな景色が待っているのだろう。何時の時代も趣味を楽しめる心境でありたい。

2004-07-16         EF651060           東北本線:栗橋付近
 
 

紫陽花の咲く沿線より~東急7900系

2023-06-09 13:00:00 | 鉄道写真(EC)
 ようやく関東地方も梅雨に入った。しばらくは鬱陶しい天気が続いてしまうが、合間に一息つける晴れ間を待ちながら日々を送ることも、この季節特有のものと言える。そんな日を待つ心の余裕を持ちたいものだ。
 梅雨=紫陽花 と短絡的な発想のアントンK。
いい歳なんだから、もう少し考えを深めなきゃ・・・

かつて事務所近くの道端に、綺麗に手入れのされた紫陽花が咲き、毎年目を潤してくれていた。何度となく沿線の東急電車と撮影させて頂いたが、この花だけは当時から梅雨空が似合う不思議な花に思えてならなかった。

もうこの時から10年、また同じ季節を迎えられた。ありがとう。

2013-06           東急多摩川線 7900系



蒸機撮影の難しさ~釜石線 D51 498

2023-06-08 12:00:00 | 鉄道写真(SL)
蒸気機関車の撮影をする場合、まず欠かせないのが煙の存在だ。架線の下を走る車両とは違って、被写体の一部として煙もカメラを構える構図に大きく影響する。撮影の基本、何をどう撮るか?から考えても、アントンKの場合、蒸機撮影に煙は必須となる。臨場感や迫力は、その画像から一気に伝わるし、時に心を熱くするほどの力を持つだろう。昔友人が、迫りくる蒸機を撮影しながら、「五感がしびれる~っ!」と叫んだことがあったが、まさに現場はそのような状況に置かれる訳だ。
 撮影ポイントも蒸機が被写体の時には、あらかじめ煙の上がりそうなポイント、発車シーンや上り坂などを下調べしてから現地へ臨むことが多い。このあたりは、国鉄時代の蒸機を知らないアントンKからすると、なかなかハードルの高い撮影に感じてしまうのだ。そして、蒸機撮影を目指すようになってから、まず思い知らされたことは、自分の思うようにはいかない、という当たり前のことだった。予想に反して、思うように煙が出ず何度失敗したことか・・・また晴れや曇り以上に、風が大敵で、風によって煙が流されてしまい、惨敗するケースも今までに多々あった。こんなだから、逆に思い通りにシャッターが切れた時の充実感はとても大きく感じてしまうのだ。
 さて掲載した画像は、釜石線を往くD51 498 銀河号。今月運転を終えることとなったC58 239の前身は、D51が出張して何度となく走っている。20年以上前まで遡るが、当時は御多分に漏れず機関車正面に大きなヘッドマークが装着され、いつもやる気を削がれた記憶が蘇る。がしかし、風光明媚な岩手の山中、とてつもなくスケールのデカい釜石線という路線の魅力は、そんな些細なことを吹き飛ばしたのだった。地図を見れば一目瞭然だが、長大トンネルや連続勾配がひたすら続き、蒸機にとっては過酷な路線だったはず。この当時は、陸中大橋からの連続勾配には、ディーゼル機関車重連(DE10)で補機が付いて登っていた。
1999-09-12       9603    D51 498       釜石線:足ヶ瀬付近

北のゴハチの美しさ~EF58

2023-06-07 10:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
最近では、徐々に数を減らすEF65PFへの注目度がさらに上がっているらしい。それも更新色という今までは相手にされなかった機体に集中しているという。どの時代も希少性やら限定品に人の心はくすぐられるように、今や国鉄色と更新色との比率が逆転すると、希少性のある更新色の機体にファンは群がっているようだ。こんな現象はよく聞く話で、最近では特急「踊り子」から引退した時の185系電車を思い出す。あの時も、いつでも見られた電車が消えてしまうという暗示にかかり、ファンの間ではカウントダウンが始まったのだ。これは、ありとあらゆる情報が先走った結果だろうか。殺気まで感じてしまう現場には白けてしまうし、趣味の世界、もう少し心の余裕をもって行動したいものである。
 国鉄時代に撮影した、東北線を往く荷物列車の画像を掲載しておく。この当時は、まだ東海道スジには現役でEF58が最後の活躍を見せていた時代。東北スジには、ファンの姿もEF57の頃とは違いほとんど見かけなかったことを思い出す。まだ客車急行の設定があり、津軽、八甲田は、宇都宮区のEF58が担当していたが、荷物列車は写真のように高崎第二区のゴハチがやってきていた。とかく原形が注目されがちだったEF58だったが、耐寒構造をまとった北のゴハチもまた別の意味で魅力があった。
1981-12-30    荷44     EF58 132         東北本線:古河-栗橋