新日本フィルのアフタヌーンコンサート・ルビーを聴いてきた。
普段はなかなか出向きづらい平日の午後のコンサート。祭日と運よく重なったので、午後のひと時錦糸町へと出向く。今回は、アントンKがいつも演奏会ではメインとしているドイツ系のプログラムではなく、メインプロはストラヴィンスキーの「火の鳥」だ。この楽曲を生演奏で鑑賞するのは、何年振りだろうか。調べないとわからないくらい時間が経ってしまっているが、朝比奈時代まで遡るかもしれない。朝比奈隆自身、ストラヴィンスキーは振っていないはずだが、その当時の来日オケで、何回か聴いた思い出がある。ショルティや、アバド、マゼールで聴いているが、「火の鳥」といってもどれも、演奏会用に圧縮された1919年版だったはずだ。また私的なことだが、身内でクラシックバレエを趣味としていたため、この手の音楽も昔から身近に感じていたが、若い頃この「火の鳥」もどこかで耳に残っていた記憶があった。また同時に、アントンKがまだクラシック音楽鑑賞駆け出しの中学時代、友人からのストラヴィンスキーを聴くのなら、「火の鳥」→「ペトルーシュカ」→「春の祭典」との意見を素直に聞き、こんな順番で当時から良く聴いていたことも蘇ってきた。時系列で考えれば、アントンKがまだブルックナーに出会ってはいない時代。大昔の出来事となってしまった。
今回の「火の鳥」は、1910年版での原典版で演奏されたが、当然原典版は初めての体験となる。CDでは、過去に色々と聴いてはきたが、やはり生演奏となるとまるで印象が異なっていた。指揮者ロフェの解釈なのだろうが、舞踊音楽としての意識が高く、全体を通して歌があり、喜怒哀楽を感じる音楽の深さがあった。舞台奥のパイプオルガンの両脇に配置された、バンダのワグナーチューバを含む金管楽器群の重厚な響き。各セクションのトップ奏者の気持ちのこもり切った音色の妙。特にアンコールでも演奏された終曲の部分の音楽の大きさは、この楽曲では味わったことがなかった。
おそらく演奏するのにも、かなりの難曲として扱われるストラヴィンスキーだろうが、今回の新日本フィルの演奏は、そのパート各人がまるで役者、演技者のごとく楽曲を楽しんで演奏しているように感じて嬉しく思った。コンマスの崔氏はもちろん、いつものようなパフォーマンスを発揮され、聴覚のみならず視覚的にも大満足だったが、それに加えて、他の弦楽器群や木管楽器群のソロパートの雄弁な響きと遊びは、独自性に富みそれぞれ印象的だったことも記しておきたい。
今回の演奏会、メインの「火の鳥」での感動は、プログラミングにも影響していたと思わされた。バッハから武満までの音楽の幅の中で、色彩感満点のストラヴィンスキーはさらに印象的に響いたと思わざるを得ないのだ。普段、ブルックナーの演奏会ばかりメインで出かけ、メインの前の前菜はいらないと思っていたアントンKだが、今回のような音楽の幅や大きさを身をもって体験すると、ちょっと心境の変化を感じた次第。やはり音楽は限りなく深いものだ。
新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会ルビー
J.S.バッハ 管弦楽組曲第1番 ハ長調 BWV1066
武満 徹 夢の時
ストラヴィンスキー バレエ音楽「火の鳥」 1910年原典版
指揮 パスカル・ロフェ
コンマス 崔 文洙
21018年11月23日 すみだトリフォニーホール