古いフィルムを見返していると、全く忘れてしまっている画像も多々目の前に現れる。撮影データこそあれど、記憶から抜け落ちているなんて、やはり記録的価値も自分中では下がるのではないか。長年続けていることで、こういった画像も多くなるが、記憶を掘り起こす機会に、拙ブログを活用してみたいのだ。
この日は、中央東線の鳥沢付近から、この富士急行線へと撮影地を変えている。おそらく国鉄線から乗り入れていた急行「かわぐち」をメインに富士急線へと巡ったはずだ。165系電車が3両で入線しており、多々写っている画像を発見したが、車体に春闘のストライキ後の落書きがひどく、ここでは掲載を控えたい。代わりに当時富士急電車のメインと思われる7000形電車を載せておく。ご覧のように国鉄払下げの17m電車であり、元戦前型のモハ32系あたりかと思われる。これに乗車して撮影地まで行ったはずだが、細かく覚えていないのが情けないところだ。時期が5月の連休の時期なので、普段より増結しているように見えるが、果たしてどうなのか。富士急行は、自社の電車が少なく、大概払下げの電車を入線させていたのは、現在でも変わらないスタンスのようである。付近の集落も、何処となく昭和の薫りで、今では想像もつかない光景となった。
1975-05-03 富士急行7000形 田野倉付近にて