アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

荷物列車への「望郷の念」~EF58

2021-04-30 16:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今のアントンKにとって、EF58という電気機関車を懐かしく思い出すシーンは、御召列車でも寝台列車でもなく、ごく当たり前に荷物列車を牽いている日常の光景だ。両数が圧倒的に多く、全国で活躍していたから、それこそ印象的な場面は数多く存在しているが、数十年と時間が経ってしまうと、不思議なことに当時は目の色を変えて挑んでいた夜行列車や臨時列車の撮影シーンより、毎日いつも出会え、時には次いでの撮影としてシャッターを切っていた荷物列車の方が、どうも当時を偲べる気がしてならない。あの時代は、単純に好きな車輛を好きなように撮影し、プリントして楽しんでいた。鉄道趣味の原点を見ているようでとても懐かしく思えるのである。

当時は、何も感じなかった部類のゴハチの荷物列車を掲載しておく。早朝ブルートレインとともに上京してくる荷物34列車。浜松機関区のEF58運用。この浜松区のEF58は、配置両数が多く、当時の荷物列車の大半を担っており、どれも似たような形態のゴハチがタムロしていたため、当時機番など意識していないアントンKには、みんな同じに見えていたはず。まさかこれを撮影した数年後、EF58自体が引退していくなんて誰が考えただろうか?

今や40年以上の歳月が経ってしまうと、大森付近をゴハチが荷物列車を牽いて毎日走っていた事実に驚嘆してしまうことが多いのだ。

1978-08-02 荷34ㇾ  EF58163         東海道本線:大森付近


東海道では感じない、新たな魅力~EF58

2021-04-29 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

関東から上越周りで、海沿いの信越線で撮影しようと鯨波までやってきた。有名撮影地である青梅川-鯨波は、この季節での訪問は初めてて、この時冬の厳しい気象を思い知らされ、撮影すら出来ず、この写真を見ると、やむなく計画を変更した苦い思い出が蘇ってくる。

おそらく冬型の気圧配置が強まり、日本海側は荒れ模様、強い風が吹き荒れ、雪が舞ってきたと思うと、一気に吹雪いて視界が利かなくなってしまう。とても撮影は無理と諦め、乗車する客車列車をホームで待った。今回は、その時の恨めしい写真を掲載してしまう。寒さでホームに立っていることも、ままならない時、灰色の世界から煌々と姿を現わした北のゴハチの頼もしさは格別だった。厳しい気象をも跳ね返すくらいのたくましさを感じたもので、温暖な東海道のゴハチとは全く別物の、新たな魅力を再発見できたことが懐かしい。ホームに止まった客車にそそくさと乗り込み、デッキから車内に入った時の、言葉には出来ない温もりは今や宝物になった。

1979-02-15   1322ㇾ  EF58 72                信越本線:鯨波


高崎線に残った普通列車~EF58

2021-04-28 13:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

撮影の中心だったEF58が活躍していた時代、一番狙いやすかったのは、もちろん毎日走っていた定期列車だったのだが、機番を意識しだすとなかなか出会えない機番にヤキモキしてくる。誰にでも相性のよい機番があるようで、絶えず現れる機番があると思えば、全く姿を見せない自分にとっての幻の機番が出来上がってきてしまうのだ。アントンKにとっては、当時の広島区のゴハチがそれに当たり、全ての機番の走行写真は未撮影のまま時間が流れてしまった。自己満足の極みとしてこの上ないことだが、何も情報がない時代に仲間同士で右往左往したあの頃が、今はとても懐かしく思うのである。

さて、当時はあまり人気がなかった北側のEF58の画像を掲載しておく。長岡区、高崎第二区のゴハチがそれにあたり、一見どれも同じような形態を持っていて個性には確かに欠けるかも。しかし、北のゴハチとして括れば、なかなか精悍で東海道のカマには無い魅力を感じたもの。ここでは、次々上ってくる夜行列車の合間に下る高崎線の普通列車の写真。光が悪く撮りづらかった列車だった。

1979-04-05        2321ㇾ  EF58 90     東北本線:赤羽-浦和


毎日ゴハチ!EF58三昧の日々

2021-04-27 15:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

同じような写真が続く・・・

この時代は、撮影仲間の多大なる影響を受け、ほぼ毎日EF58の撮影に明け暮れている。つまり機番を意識し始めたのもこの頃で、機関区配置表をノートに書きとり、アントンKの中で番号チェックが始まったのだった。当時は、今とは違い来てみないと何号機か判らないことが多く、しっかり番号が読めるような写真ばかりが増産されていった。おのずと撮影場所も限られてしまい、今となっては懐かしいが面白みには欠けていると感じる。

当時からよく出掛けた大井町。どうしても撮影回数を稼ぎたい思いから遠征が出来ず、そんな時間も費用もないことから、首都圏近郊での撮影が多くなっている。品川・大井町・蒲田・新子安などでEF58の撮影。毎日見られる機関車だから、これが日常の光景。今となっては夢物語となってしまった。

掲載写真は、昼休みに東海道を下る宗教臨の12系6両編成。やってきたゴハチは下関区の37号機だから、ハズレの日だった。どうして?と思われるかもしれない。下関区のEF58が関東までやってくること自体、比較的珍しかったが、当時29・30・31・37号機の配置の中で、唯一Hゴム改造車であり、嫌っていた仲間内の影響か撮影出来ても心冴えずだったことを思い出している。

1978-11-24    回8111ㇾ  EF58 37    12系         東海道本線:大井町


山貨を走るEF58の懐かしさ・・・

2021-04-26 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

1970年代に入ってから、東京外環いわゆる武蔵野線が部分開業し、それまでの首都圏経由の貨物列車が、武蔵野線を通るように変わっていった。当然の事ながら、今まで煩雑に見られた都心での貨物列車は徐々に見られなくなっていく。当時103系の山手線に乗車すれば、おおよそ貨物列車と並走や交換は日常だった。貨物取扱駅もあちこちにあって、貨車の入れ替えや凸型機が煙を上げて入替している姿はよく見られたもの。今では嘘のように見る影すら無くなってしまった。まあこれも時代の流れ、同じ線路を今や新しい最新鋭の電車がひっきりなしに往来しているのだから・・・

今回は、そんな昔に撮影した山貨を走る団体列車を掲載する。はて?今では「山貨」と言って通用するのか少々不安だが、現在の埼京線や湘南新宿ラインの走る線路は、かつて山手貨物線と呼ばれたのである。もちろん今でも貨物列車の設定は残されていて、その存在感は消えることは無いが、昔を思えば別路線と言われても仕方がないほどなのだ。貨物列車に混じって、この手の団体列車も多く見られ、当時の定番はやはりEF58だった。当時はゴハチの12系客車など、何とも感じなかったはずだが、今こうして眺めてみると、とても懐かしく感じるのはどうしてだろうか。在り来たりの光景こそ懐かしさが募るのかもしれない。

1978-11-19  9101ㇾ  EF58109     12系  山手貨物線:目黒-恵比寿