この拙いブログも気が付けば細々と12年も続いていた。今さらながら驚嘆しているところだが、もともとは自分自身の趣味の記録、整理、履歴のつもりで始め、それと同時に写真に関してはフィルムのデータ化の推進を目的としていた。あくまでも自分のためであり、忘れ去られた画像をデータ化することで蘇り息を吹き返すことが楽しくなったのだった。
きっかけは、あの震災だったのだが、同時にSNSの発達で、見知らぬ人、憧れの人との繋がりも思った以上に増えて、非日常が現実に変わるような衝撃も多々経験できた。もちろん、こうやって毎日拙ブログを覗いて下さる方々の存在があればこそであり、いつも心から感謝している。
さて、アントンKの鉄道写真は、今年で半世紀、クラシック音楽鑑賞に至ってもほぼ同時期の49年を経過してしまった。今改めて思うのは、その間に撮り溜めた写真、記録、そして巨匠たちの数々鑑賞できた演奏会での体験よりも、その時代をともに過ごしてくれた趣味の仲間の存在が今となっては大切に思えるということだ。自分のために始めたことで、一番大切に感じる仲間たちに気づかされた訳で、これだけでも、このブログの意味があったのかな、と一人納得しているのである。
デジタルカメラで車両を写し始めたのが、2005年頃からと以前書いたが、もとを正せば親父に誕生日プレゼントされた二眼レフのコニカC35で撮影まで遡れる。もちろんフィルムカメラで、バカチョンと呼ばれた類のカメラ。当時はコダックは高くて使えず、コニカカラーのカラーネガを使っていた。東京や上野でホームを右往左往していた時代から、小遣いを溜めて買ったニコマートFTNになると、いわゆる走行写真に目覚め、また一眼レフという「沼」にハマっていくのだ。フィルムは相変わらずネガカラーを装填していたはずだが、当時の友人の影響でモノクロフィルムにも手を出した。この頃から親父のカメラを拝借する機会が増えていき、カラーネガと白黒と二台体制で撮影していたことも懐かしい。
1970年代当時、どうしたら月刊誌「鉄道ファン」のような写真が撮影出来るのかと、いつも疑問に思ってきたことの答えをご教示頂いた78年、無理を押してブローニーフィルム版のPENTAX67を導入し、益々鉄のアリ地獄へと陥ってしまうのだった。それからは、バケペン/モノクロを基本として、撮影を重ねていったが、それも約20年間で全面35mm版へと回帰してしまうのだった。理由は色々あったが、一言でいうのなら、画角選択の幅とカメラの進歩、そして富士フィルム「ベルヴィア」の誕生か。
当時最も身近に居た先輩から、”将来写真を趣味として楽しむのなら、モノクロで撮っておいた方がベター”というアドバイスを素直に受けついてきたが、現在のようなデジタル時代が到来するなんて夢にも思えず、これは当時考えられる自己ベストを積み重ねた結果であり、むろん悔いは無い。
ここでは、ペンタ67/モノクロ時代の晩年、年々撮影コマ数が減少して、カラーリバーサルフィルムに逆転され始めた1993年の画像から掲載しておく。ナナゴ狙いで、再三訪れた白坂界隈。特に北側は上り列車に好都合でよく通ったポイントだった。
1993-02-03 6列車 EF81 89 北斗星6号 東北本線:白坂付近