アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

「第9」~2015年

2015-12-23 23:00:00 | 音楽/芸術

世の中「第9」の季節に移り、残すところ今年もわずかとなった。

「第9」とは、まさにベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」のこと。なぜ暮れに「第九」なのかということは、ここでは置いておくが、クラシック、とりわけオーケストラ音楽を日ごろから親しむ方々には、外せないコンサートとなるのではないか。全国で、何十ものオケがこぞってこの第九を各地で演奏するのだから、クラシックファンにとっては、年末最後の一大イベントとなるわけだ。

アントンKも御多分に漏れず、この時期の第九には足を運んできた。朝比奈隆健在のころには、当然のように大阪まで行って第九を聴いた。ある年には、音楽好きな友人も巻き込んで大阪を目指した思い出も蘇る。また学生時代から、毎年4~5種類ずつこの第九のレコードを購入して聴き比べを楽しんだことも懐かしい。フルトヴェングラーに始まり、カラヤン、ベーム、ショルティ、ヴァント、バーンスタイン、ヨッフム、ラトル、バレンボイム、ハイティンク、ワルター、小澤、etc.・・・・結構所持していたものの、引っ越しの機会に大半は整理してしまった。思い入れのあるものだけ手元に置いてあるが、近年は、演奏会の方に重きを置いて楽しみたいと考えているから、懐具合と相談しながら所有しているのが現状である。

アントンKも年齢を重ねるとともに、「音楽は保存できないもの」という概念が強くなり、実演ありきで音楽に接したいという気持ちが今は大きい。どんなに聴きこんだ楽曲でも、実演に触れることで、新たな発見があることが非常に楽しいのだ。好き嫌いは別として、今まで聴いたこともないハーモニー、ニュアンス、息遣い、そしてそれを伴った会場の雰囲気は、ライブ録音には入らない。その差がわかればわかるほど、空間芸術としての音楽を意識してしまい、実演主義に傾いていく。と、こんなことを書いているが、実際は我慢できなくて、家でも車の中でも心置きなく聴いているのが現状ではあるのだが・・・

さて毎年聴いている、年末の「第9」。今年は嬉しいことがあった・・

学生時代からの鉄友(鉄道趣味の友人)として、長年お付き合いしている友人と今回「第9」の演奏会に行き、その彼が実演に触れて感動のあまり音楽の虜と化してしまったことだ。

たまたま今年は彼と撮影の合間に雑談をする機会が多々あり、その中で音楽の話ができたことは少し驚きであった。長年の付き合いの中で彼のことをわかっていたつもりが、鉄道を離れるとそうでもなかったことを知り、このときから、今年は彼を何が何でも演奏会に連れて行こうという目標が自分の中で生まれたのだった。普段は、CDで音楽を楽しんでいる彼に生演奏を体験して頂き、感動を共有したいというアントンKのわがままに付き合わせるということだ。

「有言実行」。趣味や遊びの世界だけこれでは困ったものだが、とにかく暮れの忙しい日程の中、予定を入れて頂き、先日赤坂まで行き、二人で第9の演奏会に出向いてきた。数々の第九演奏会から選んだコンサートは、小林研一郎指揮するもの。「炎のコバケン!」と形容されるように、その熱い情熱的な演奏が、どう映るのかも興味があった。

アントンK自身も、コバケンの演奏は2年振りとなるが、コバケンご本人曰く、「変わっている演奏」は、相変わらずであり、そのパッションほとばしる演奏解釈は、まんまと隣に座る友人を飲みこんでいく。特に第4楽章からの、合唱が加わってからの衝撃は痛烈だったろう。熱く煮えたぎったコバケンの血が、我々聴衆に襲いかからんばかりのエネルギーをもって押し寄せてきたのだ。どう変わっていたかは、ここでは触れないで別稿としたいが、終演後の友人の放心状態は自分にも理解できた。衝撃的な演奏の後は、誰でも自分が抜け殻状態に陥るものだから。

同時にアントンKは、それまでよく彼が語っていたクラシック音楽は敷居が高いとか、あるいは、自分は音符が読めないとか、楽器の名前を知らないとか、そんな小さなことは、どうでもよい事であることが証明されたように思い、またその純粋無垢な心に突然飛び込んできた音楽というものに、素直に感動した彼の姿に自分も熱くなってしまった。大切なのは、曲名や作曲者名などではなく、今奏でられている音楽が美しいと思える心があるかということ。美しい、きれい、厳しい、大きい、荘厳・・etc.人間のあらゆる感情が感じ取れるかということだろう。そしてその楽曲から、自分の中に生まれてくるありとあらゆる事が想像力をもって描けるかということだろう。

今回ご一緒した友人にも、きっと新たな発見がたくさん生まれたはず。大げさに言えば人生感だって変わってしまうくらいの第九ではなかったか?アントンKがそうであるように、おそらく彼にも新たな希望や歓びが生まれたに違いない。鉄道趣味で長年切磋琢磨した畏友と、今度は音楽を舞台にして語り合えるなんて、こんな嬉しいことはない。今年は別の意味で、心に残る第九演奏会になった。