2012年3月1日公開 アメリカ 126分
1930年代のフランス・パリ。父(ジュード・ロウ)を火事で失ったヒューゴ(エイサ・バターフィールド)は、クロードおじさん(レイ・ウィンストン)に連れられ駅の時計台に隠れ住んでおじさんの手伝いをして駅の時計のネジを巻いて暮らしていたが、そのおじさんも姿を消してしまう。独りぼっちになった彼の唯一の友だちは、父が遺した壊れたままの“機械人形”だった。ある日、人形の修理をするため、駅構内でオモチャ屋を営むジョルジュ(ベン・キングズレー)から部品を盗もうとして捕まったヒューゴは、大切な父のノートを取り上げられてしまう。取り返そうとジョルジュの後をつけたヒューゴは、彼の家でイザベル(クロエ・グレース・モレッツ)と出会う。イザベルはヒューゴを本屋のラビス(クリストファー・リー)に紹介し、ヒューゴは映画を観ることを禁じられているイザベルをこっそり映画館に連れていくなど、二人は次第に仲良くなっていく。やがて、修理が完了し、イザベルが持っていた“ハート型の鍵”がヒューゴの機械人形の鍵だと判明し、鍵を差し込むと、機械人形は動き出し、「ジョルジュ・メリエス」という署名の入った月の絵を描く。それはイザベルの養父であるジョルジュの名前だった。人形とジョルジュの関係を探るうち、彼の過去が、映画界から忽然と姿を消した世界初の職業映画監督だと知ったヒューゴは・・・。
単純な冒険ファンタジーだと思っていたら違ってました。映画賛歌ですね
2005年の『オリバー・ツイスト』と社会環境が似ているな~と思ったら同じ1930年代でした。イギリスとフランス、国は違えど孤児になった子供には辛い時代です。博物館の火事で父を亡くしたヒューゴを引き取ったのはおじさんですが、飲んだくれの彼はヒューゴを学校にも行かせず仕事の手伝いをさせます。そんな「保護者」でもいるだけましなのです。やがておじさんが消えてしまうと、鉄道公安官(サシャ・バロン・コーエン)に捕まらないよう注意を払いながら、生きるために駅構内で食糧をくすね、おじさんの不在を知られないよう時計のねじを巻くことが日課になります。父親と暮らしていた時はこざっぱりした服装で髪も奇麗に整えられていたヒューゴですが、時計台暮らしでは浮浪児さながらの様子で哀れを誘います。
この公安官は、いつも独りで構内をうろつくヒューゴに目をつけて追いかけまわします。仕事熱心ですが、戦争で障害を負い義足なことと、要領も悪いので周囲を巻き込んでの大騒ぎを演じてしまうの。相棒の犬とともに「敵役」ではありますが、どこか憎めない人物です。
実は彼も子供の頃孤児となり、孤児院に入っていたことが後にわかります。映画では、彼と花屋のリゼット(エミリー・モーティマー)とのロマンスも語られます。あともう一組のカップルも出てきますが、小道具として使われる犬たちが愛らしいです。
亡き父との思い出の中に映画を一緒に観たことが登場し、最初に観た作品『月世界旅行』がメリエスの作品なの。他にもリュミエール兄弟の『ラ・ジオタ駅への列車到着』など、初期の映画作品が登場し、スコセッシ監督の映画創世記監督たちへのリスペクトに溢れています。
ヒューゴとイザベルの子供らしい好奇心溢れる冒険が、殻に閉じこもったジョルジュ老人の頑なな心を溶かし、忘れていた映画への夢を蘇らせるという筋書きは、人形が未知の冒険の案内役になるのかと期待した気持ちを萎ませてしまったのですが、根っからの映画好きにはそれこそわくわくするストーリーなのでしょう。
ヒューゴが住む時計台の内部描写が秀逸です。歯車やぜんまいやねじといった機械に囲まれた空間が冒険の舞台にマッチして、公安官から逃げるシーンではハラハラドキドキさせてくれます。
また、ヒューゴがイザベルに時計台の上から街を見下ろしながら語る「ここから見た街はまるで機械のよう。機械は不用な部品なんて一つもない。だから街に住む人間だって誰一人必要じゃない者なんていないんだ。」というセリフが胸に響きました。そう!みんな一人ひとり、誰かに必要とされているんだよ
機械人形はジョルジュが作ったものでした。夢破れた彼が唯一残した作品でもありました。ヒューゴが蘇らせたことで、彼の心に再び映画への情熱が蘇るのです。ヒューゴにも新しい「家族」と「家」が出来ました。めでたしめでたし
エンドロールでプロデュース:ジョニー・デップの文字が
出演はしていないようですが・・・
1930年代のフランス・パリ。父(ジュード・ロウ)を火事で失ったヒューゴ(エイサ・バターフィールド)は、クロードおじさん(レイ・ウィンストン)に連れられ駅の時計台に隠れ住んでおじさんの手伝いをして駅の時計のネジを巻いて暮らしていたが、そのおじさんも姿を消してしまう。独りぼっちになった彼の唯一の友だちは、父が遺した壊れたままの“機械人形”だった。ある日、人形の修理をするため、駅構内でオモチャ屋を営むジョルジュ(ベン・キングズレー)から部品を盗もうとして捕まったヒューゴは、大切な父のノートを取り上げられてしまう。取り返そうとジョルジュの後をつけたヒューゴは、彼の家でイザベル(クロエ・グレース・モレッツ)と出会う。イザベルはヒューゴを本屋のラビス(クリストファー・リー)に紹介し、ヒューゴは映画を観ることを禁じられているイザベルをこっそり映画館に連れていくなど、二人は次第に仲良くなっていく。やがて、修理が完了し、イザベルが持っていた“ハート型の鍵”がヒューゴの機械人形の鍵だと判明し、鍵を差し込むと、機械人形は動き出し、「ジョルジュ・メリエス」という署名の入った月の絵を描く。それはイザベルの養父であるジョルジュの名前だった。人形とジョルジュの関係を探るうち、彼の過去が、映画界から忽然と姿を消した世界初の職業映画監督だと知ったヒューゴは・・・。
単純な冒険ファンタジーだと思っていたら違ってました。映画賛歌ですね

2005年の『オリバー・ツイスト』と社会環境が似ているな~と思ったら同じ1930年代でした。イギリスとフランス、国は違えど孤児になった子供には辛い時代です。博物館の火事で父を亡くしたヒューゴを引き取ったのはおじさんですが、飲んだくれの彼はヒューゴを学校にも行かせず仕事の手伝いをさせます。そんな「保護者」でもいるだけましなのです。やがておじさんが消えてしまうと、鉄道公安官(サシャ・バロン・コーエン)に捕まらないよう注意を払いながら、生きるために駅構内で食糧をくすね、おじさんの不在を知られないよう時計のねじを巻くことが日課になります。父親と暮らしていた時はこざっぱりした服装で髪も奇麗に整えられていたヒューゴですが、時計台暮らしでは浮浪児さながらの様子で哀れを誘います。
この公安官は、いつも独りで構内をうろつくヒューゴに目をつけて追いかけまわします。仕事熱心ですが、戦争で障害を負い義足なことと、要領も悪いので周囲を巻き込んでの大騒ぎを演じてしまうの。相棒の犬とともに「敵役」ではありますが、どこか憎めない人物です。
実は彼も子供の頃孤児となり、孤児院に入っていたことが後にわかります。映画では、彼と花屋のリゼット(エミリー・モーティマー)とのロマンスも語られます。あともう一組のカップルも出てきますが、小道具として使われる犬たちが愛らしいです。

亡き父との思い出の中に映画を一緒に観たことが登場し、最初に観た作品『月世界旅行』がメリエスの作品なの。他にもリュミエール兄弟の『ラ・ジオタ駅への列車到着』など、初期の映画作品が登場し、スコセッシ監督の映画創世記監督たちへのリスペクトに溢れています。
ヒューゴとイザベルの子供らしい好奇心溢れる冒険が、殻に閉じこもったジョルジュ老人の頑なな心を溶かし、忘れていた映画への夢を蘇らせるという筋書きは、人形が未知の冒険の案内役になるのかと期待した気持ちを萎ませてしまったのですが、根っからの映画好きにはそれこそわくわくするストーリーなのでしょう。
ヒューゴが住む時計台の内部描写が秀逸です。歯車やぜんまいやねじといった機械に囲まれた空間が冒険の舞台にマッチして、公安官から逃げるシーンではハラハラドキドキさせてくれます。
また、ヒューゴがイザベルに時計台の上から街を見下ろしながら語る「ここから見た街はまるで機械のよう。機械は不用な部品なんて一つもない。だから街に住む人間だって誰一人必要じゃない者なんていないんだ。」というセリフが胸に響きました。そう!みんな一人ひとり、誰かに必要とされているんだよ

機械人形はジョルジュが作ったものでした。夢破れた彼が唯一残した作品でもありました。ヒューゴが蘇らせたことで、彼の心に再び映画への情熱が蘇るのです。ヒューゴにも新しい「家族」と「家」が出来ました。めでたしめでたし

エンドロールでプロデュース:ジョニー・デップの文字が

出演はしていないようですが・・・