杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

マレフィセント

2014年07月07日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2014年7月5日公開 アメリカ 97分

ある王国で、念願のロイヤル・ベビー、オーロラ姫の誕生を祝うパーティーが開かれ、招待客たちが見守る中、3人の妖精たちが次々に幸運の魔法をオーロラ姫にかけていく。「美しさを贈ります」「いつも幸せに包まれますように」…だが、3人目の妖精の番になった時、“招かれざる客”である邪悪な妖精マレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)が突如現れ、オーロラ姫に恐ろしい呪いをかけてしまう──「16歳の誕生日の日没までに、姫は永遠の眠りにつくだろう。そして、真実の愛のキスだけが姫の眠りを覚ます」と。
幸運の魔法の通り、オーロラ姫(エル・ファニング)は幸せに包まれ、美しい娘に成長していく。その姿をいつも影から見守るのは、あのマレフィセントだった。その視線が時に温かな感情に満ちていることを、必死に隠しながら。そして、オーロラ姫が16歳になる瞬間を、密かに恐れながら…。
なぜ彼女はオーロラ姫に呪いをかけねばならなかったのか?──その謎を解く鍵は、人間界と妖精界とのあまりに悲しい戦いの歴史と、マレフィセント自身の封印された過去にあった。マレフィセントの呪いは成就してしまうのか?そして、呪いがマレフィセントとオーロラ姫にもたらす驚くべき運命とは? (公式HPより)


最近のディズニーは王子様の活躍が全くといってよいほど見られない。
半世紀前にはお姫様はただ王子様の登場を待ち、彼と出会うこと=幸せであったけれど、現代のプリンセスは王子なんていなくても自分の力で未来を切り開くパワーを持っている。それは女性の願望が変化したことと無関係ではないだろう。最早男なんて要らないのである。そう思うとなんだかおとぎ話も味気ない気がするのは古い人間だからかしらん

さて、今回、ついに主役はプリンセスから魔女に移ったしかも愛した男に裏切られ棄てられた復讐から、男の娘を奪うのである。何だか「8日目の蝉」を思わせる内容だ男の愛する者を傷つけ、彼の苦しむ姿を見て溜飲を下げようするのだけれど、赤ん坊はあまりに無垢で愛らしかった元々優しい性質のマレフィセントには赤ん坊を憎み切ることは出来ず、いつしか彼女・オーロラ姫に対して母親以上の愛情を持ってしまうのだ。

人を呪わば穴二つとはよくいったもの。自らのかけた呪いは彼女自身にも解けない強力なもので、愛する者の非情な運命はマレフィセント自身を苦しめることになる。

対して、私利私欲のためにマレフィセントを裏切ったステファン(シャールト・コプリー)は、愛娘を襲った過酷な運命を呪い、マレフィセントを呪い、次第に心を病んでいく。映画ではオーロラの母である王妃の心情には一切触れていないが、彼女こそが一番の被害者じゃないだろうか?愛する娘と引き裂かれ、死の床にあっても夫は顔を見せることもなかったのだから・・・。

真実の愛を持つもののキスで呪いは解けるのだが、一昔前なら当然王子の出番だ。しかし今作では、一目惚れしたフィリップ王子のキスでオーロラが目覚めることはない。
絶望したマレフィセントの母性のキスが彼女を目覚めさせることになるのだ。

ところで、ステファンとマレフィセントは互いに「真実の愛など存在しない」と思っているのだが、それは二人の過去が裏切りと不実にまみれたものだからというのが哀しい。
マレフィセントを討つことに妄執するステファンに対し、彼女は許しを与えようとする。人と妖精の違いがここにあるような気がした。人の醜さが際立つステファンの最期だった。

確かに映像はファンタスティックで、姫を育てる役を命じられた参院の妖精ノットグラス(イメルダ・スタウントン)/フリットル(レスリー・マンヴィル)/シスルウィット(ジュノー・テンプル)の家事のできないドタバタぶりも笑えるし、最後はハッピーエンドといえるのだが、どうにも後味の悪さが残るのはステファン王があまりに身勝手だったからかも。

マレフィセントに命を救われたカラスのディアヴァル(サム・ライリー)が恩返しに彼女に仕えるのだが、二人の関係がなかなかよろしい彼女がステファンのように憎悪に取り込まれずに済んだのは、彼がいたからだろう。

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