杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

免許がない

2020年10月04日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

1994年2月11日公開 102分

映画界の大スター・南条弘(舘ひろし)には運転免許がないという唯一のコンプレックスがあった。それを共演女優の夕顔ルリ子(五十嵐淳子)に知られてしまい、彼は遂に映画の撮影をほったらかしにして「免許を取りにいく」と宣言。マネージャーやスタッフ達はあわてふためくが、南条の固い決意は揺るがず、撮影は中断する羽目に。単身南条は自動車学校の合宿生活に入るが、そこは40歳を過ぎた中年の悲しみ、少しも思うようにいかず、おまけにセクシーな教官・宇貝京子(墨田ユキ)やキョクタンな教官・暴田(片岡鶴太郎)、カタブツな教官・照屋(西岡徳馬)らひとくせもふたくせもある難敵が勢揃いしていた。だが何とか南条に免許を取らせて撮影を再開させようとするスタッフ達の涙ぐましい努力もあり、遂に南条は免許を取得。撮影も無事進められるのだった。(映画.comより)

 

地上波放送を録画していたのを見返してみました。多分数回は観てる筈だけど感想UPしてなかったようで

バブルが弾けた後の公開とはいえ、ボディコンギャルも登場し、当時の華やかな賑わいの尻尾がまだ残っていて、懐かしさのある作品です。

映画スターの免許取得にスタッフ総出で協力するあたりは、「蒲田行進曲」のような昭和の匂いも色濃く出ているような気がします。制作は平成ですけどね

我儘で世間知らずだけど根は正直で優しい南条(舘さん、はまり役です)の人柄だからこそ、スタッフ皆に愛されているのだということが、徐々に観ている側にも伝わってきました。40過ぎての免許取得に四苦八苦する様を、ダンディな舘さんがコミカルに演じています。

教官たちがまた一癖も二癖もある個性派揃いなのもコメディとして楽しめます。お色気担当もいるけれど、やはり堅物の照屋教官の姿勢に好感が持てました。特別扱いされるのも教習所や撮影所の中だけのことであり、実際に路上に出てしまえばスターであることは運転に全く無関係なのですからね。

教習所所長(秋野太作)、映画会社社長(中条静夫)、マネージャー大政(江守徹)、銀行貸付担当(春風亭昇太)等、共演陣も豪華な顔ぶれでした。


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レナードの朝

2020年10月04日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

1991年4月5日公開 アメリカ 121分

1969年。ニューヨーク、ブロンクスにある慢性神経病患者専門の病院に赴任したセイヤー医師(ロビン・ウィリアムズ)は、話すことも動くこともできない患者たちに反射神経が残っていることに気づき、訓練によって彼らの生気を取り戻すことに成功する。ある日彼は、30年前にこの病院に入院して以来ずっと眠り続けている嗜眠性脳炎の患者レナード(ロバート・デ・ニーロ)に、まだ認可されていないパーキンソン病の新薬を投与する。そしてある朝、レナードはついに目を覚ます。(映画.comより)

 

神経科医オリバー・サックスが実体験をつづった著作をもとに、30年にわたる昏睡から目覚めた患者と彼を救おうとする医師の交流を描いたヒューマンドラマです。名作という評価は確かに当たっていると思える良質の作品です。今まで鑑賞しなかったのが不思議なくらい

個人的には病院側の登場人物の中に薬学士(ぴーたー・ストーメア)が出てくるのもツボです。当時は天秤使って秤量してたのね~~

セイヤー医師は人付き合いが極端に苦手。研究が専門の彼にとって臨床経験の全くない患者専門の病院への赴任は気が重いことです。患者との接し方にも苦労する彼でしたが、誠実な人柄が次第に周りに受け入れられていきます。ある日、患者たちに反射神経が残っていることに気付いた彼は、ボールや音楽を使って患者たちの生気を取り戻すことに成功します。臨床が専門ではなかった彼だからこその発見なんですね。

更なる回復のため、パーキンソン病の新薬L-ドパを使うことを思いついたセイヤ―ですが、まだ公式に認められていない薬のため、認められません。セイヤ―は諦めず、上司のカウフマン医師に掛け合い、まずは重症患者のレナードに使用する許可を得ます。冒頭で少年が徐々に病に侵されていく様子が映し出されますが、ここであの少年こそがレナードだったのだと気付かされます。 レナードは子供の頃に患った脳炎からパーキンソン病を発症したと考えられます。パーキンソン病の特徴である安静時振戦、歩行障害、無動の状態が少年レナードのパートで描かれていました。

徐々に服用量を増やしていったある夜、奇跡が起こります。レナードが自力でベッドから起き上がり、セイヤーと言葉を交わしたのです。

レナードの回復は目覚ましく、30年ぶりの外の世界は全てが新鮮で、セイヤ―との間にも患者と医師を超えた友情が芽生えていきます。

この成功に、病院スタッフの協力の下、他の患者たちにも薬の投与が始まり、ほぼ全ての患者が機能を回復し生きる喜びを噛み締めるのです。

ここでめでたし!となれば良かったのですが・・・レナードは、父親の見舞いにやって来たポーラに恋をして、一人で外出したいと願い出ますが、まだ早いと反対されたことで怒って暴れ出します。この件がきっかけとなり病状が悪化し狂暴になっていくレナードに、彼の母親はショックを受けます。だってレナードは子供の頃から大人しい性格だったのですから当然ですね。

薬の増量も効果が出ず、病状が悪化の一途をたどるなか、レナードは自らの状態を記録して後に役立てるようセイヤーに頼むのです。自分の無力を感じながらセイヤ―は記録を続けますが、レナードも同じ薬を使った他の患者たちも全て元の状態に戻ってしまいます。これは薬に対する耐性によるものですね 

セイヤ―は自分のしたことは患者たちを余計に苦しめたのではないかと自責の念を感じますが、エレノアはそんな彼を優しく慰めます。患者たちとの交流が、セイヤー自身の考え方にも影響を与えていきます。生きていることの素晴らしさや家族の大切さに気付いた彼は、エレノアに対しても気持ちの距離を縮めていったのでした。

その後も治療を続けるセイヤ―たちでしたが、この夏に起きたような目覚ましい回復が見られることはなかったとのこと。

患者たちは一度は希望の溢れた未来を目の前に提示されながら、また元の絶望の中に堕とされたと感じたのでしょうか?否!彼らは今まで諦めていた「普通の日常」を束の間とはいえ味わうことができたそのことに感謝していたと思いました。

今日、パーキンソン病の治療薬も多種あり、早期に発見・治療が可能となっていますから、レナードのような状態にまで進行してしまう心配はまずないそうです。それでも半世紀前にはこのような患者が多数存在していたという事実に少し驚いてしまいました。


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