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子供の頃の思い出(その2)「ねこさい(定置網)」

2011年05月29日 | 子供の頃の思い出

子供の頃の思い出(その2)「ねこさい(定置網)」

子供の頃の思い出(その1)「サイの神と大漁祈願」の続きです。

 小学生(6年)までの男の子達は、「サイの神(道祖神)」(石像物)の頭を、「青竹」で叩きながら、「ねこさい(定置網)に、寒ブリが大漁にとれるように祈る」話をしました

 伊豆半島でも、昭和20年代後半から30年代中頃までは、天然の寒ブリが「ねこさい」に大漁にとれました。

漁師(若い衆)達は、大きな寒ブリ(10Kg前後)の尾びれを片手でつかみ、木船の中に投げ込む姿は、頼もしかったですネェ

そのときの様子をイラストに描いて見ました

  若い漁師達の寒ブリのツカミとり絵

                                                                 また、発動機(赤玉ポンポン)船には、大きなタモ(網)で一度に多くの寒ブリを積み込みました。

大漁の時には、次から次に寒ブリが「ねこさいに」に入り、朝から深夜までとることもありました(数千尾)

(1万尾近くの時もあった記憶があります

最近昔の写真を整理していたら

昭和30年代後半、地元の「ねこさい(定置網)」に大漁に「寒ブリ」がとれた時、漁船に乗船させてもらい撮影した「モノクロ・ベタ焼き」が出てきました。(はじめて写真機を買った嬉しさで、記念にしようと撮りに行った記憶がよみがえりました)(トッシー撮影

 昭和30年代後半の地元定置網・寒ブリ

  懐かしい漁師サン達です

以上。

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子供の頃の思い出(その1)サイの神と大漁祈願

2011年05月29日 | 子供の頃の思い出

子供の頃の思い出(その1)サイの神と大漁祈願

昨日、居酒屋にて「ブリの刺身」をつまみに日本酒を飲んだ。脂がのっていて本当に美味かった。

ふと、昭和30年代(前半)の子供の頃(東伊豆海岸の小さな漁村)を想いだした。

大人は、ねこさい定置網で生計をたてていた。当然「ねこさい」が大漁になることを祈るのは自然のことである。

村の中心にある神社の下にある畑に行く為の小さな道脇に、「サイの神(道祖神)」(石像物)が祀ってあました。

寒ブリ漁獲のシーズン(11月~1月頃になると、小学6年生までの男の子のみは、この「サイの神」の頭を青竹で力強く叩いたものでした強く叩くほど大漁になるという

その様子を思い出しながらイラストに描いてみました

  ←石像「サイの神」(道祖神)に大漁を祈る

子供達は叩きながら、「ねこさいに寒ブリが大漁に獲れるように・・・」と大きな声をハリアゲて祈リました

翌日、「ねこさい」に寒ブリが大漁に入ると、村中はお祭り騒ぎになったものでした

漁船に「大漁旗」が掲げられると、陸で見ている村人は、何本掲げられるかドキドキしました

大漁旗1本は、寒ブリが1,000尾(本)入ったの目印でした

当然、子供達には「寒ブリ」をもらう権利があり、それを市場で売ってもらう。その金額を積み立て、春先には観光バスを貸切り、村中「子供会」で日帰りの遠足に行くのが恒例の行事でした

 最近時々、居酒屋等の席で、昭和30年代前・太平洋沿岸(半房総半島、相模湾、伊豆半島(東海岸)や、紀州)でも、10kg前後の「寒ブリ」が定置網に大漁にとれたことを話しても、あまり信じてもらえません

 確かになんとなく、天然物は富山県(日本海)方面の寒ブリを想像するようですね・・・・。

子供の頃の思い出(その2)では、テーマ「ねこさい(定置網)」を描いてみましょう(お楽しみに)

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