伝馬船(櫂)、和船(つなぎ櫓)、焼玉ポンポン船が懐かしい
生まれ育った田舎(昭和30年代前半)子供の頃の”和船”の思い出
昨日(2020.06.04)のブログタイトル
”細川たかし芸道45周年記念歌謡ステージが楽しみ”を掲載しながら、子供の頃に乗った”伝馬船・和船”を「つなぎ櫓」や「櫂」で漕いだことを思いだしました
定置網写真に追加ありのため更新しました
私(トッシー)が生まれ育った田舎は、伊豆東海岸(相模湾)にあります。
むかし昔のお話
<当時・子供の頃を想い出しながら和船を下手なイラストに描いてみました>
昭和30年代前半は、定置網漁(相模湾は日本3大・寒ブリ漁場の一つ)でした。
沖合約1kmに張られた「定置網」(田舎ではネコサイともいってました)。
当時の作業船は”和船”によるもので、動力は”手漕ぎ”でした。
小回り作業に便利な「伝馬船」は”櫂”を横方向”数字8の字”を左右にコネコネすると前進します・・・
定置網の網を引き揚げる作業の和船の「つなぎ櫓」は、立ったまま”櫓腕(ろうで)”を前後にかくと、海中にある”櫓脚(ろあし)”が左右に動き前進します・・・
小さな漁港につながれた”網を引き揚げる作業の和船”は
沖合約1kmの定置網まで”焼玉エンジン・ポンポン船(発動機船)”に引かれていきます(時間短縮です)
定置網漁に出発する早朝4時頃、特に冬場
焼玉エンジンを駆動するのに船長さんは苦労していましたね・・・
スカンスカン~ポンポンポン・・・と響く音・エンジンがまわると、
煙突から芸術的な丸い輪っかの”黒煙”が闇の早朝冬空へ舞っていく・・・
<ひとコト>
①昨日(2020.06.04)ブログに載せた”細川たかし芸道45周年記念歌謡ステージが楽しみ”の「矢切の渡し」乗船の思い出(イメージイラスト)
②以前このブログ(子供の頃の思い出)で掲載済の昭和30年代定置網(地元では・ネネコサイといっています)に関する写真を追加し再掲しました(ブリだ!)
(私・トッシーが昔、写真に撮ってありました。本当に懐かしいですネェ)
a.さあ出港だ!
「ポンポン船発動機(焼玉エンジン)の母船に引かれて約1Km沖の定置網へ」
b.定置網(ネコサイ)に到着(その1) 所定位置につけてOK
c.定置網(ネコサイ)に到着(その2) 所定位置につけてOK
d.定置網(ネコサイ)に到着(その3) サア!網の網引揚げ・準備完了
e.オッ!ブリが大漁だ
f.だんだん狭まってきた!終盤だ
.
g.「このブリは10kg・・・あるかな?」
(ポンポン船焼玉・母船に引き上げられる)
<ひとコト>
本当に昭和30年代前半までは、相模湾の定置網には「寒ブリ」が大漁でした。
現在友人等に約10g前後の「寒ブリが大漁だった」お話しても、あまり信じてもらいません。
太平洋沿岸での「寒ブリ」漁は幻の漁場になってしまいました。
以上。