今から15年ほど前のこと。
大阪市内のビジネス街にある某カフェで働いていた。
業界では老舗で有名なチェーン店だ。
当時の僕は自劇団の運営と他劇団への客演をしながら、
バイトを3つほど掛け持ちする日々を過ごし、
エキストラで撮影の現場にも出入りしていた。
バイト後は稽古場へ直行、家に帰ってからは台本を書いたり、
自分の台詞を覚えたり、その他の雑務をこなしたり。
眠るのはいつも真夜中。そして早朝からバイトに出掛ける。
苦労話をしているんじゃない。こんなの苦労でもなんでもない。
ましてや自慢話でもない。
小劇場の役者にとっての普通の日々。
ただただそんな日々が何年も続いていたということ。
やりたいことをやっているけれど、
やろうとしていることは出来ていないし、
やらねばならないことには手が回らない。
焦り、苛立ち、苦悩、減らない負債、そして極度の疲労。
丁度そのカフェで働いていた頃、
肉体的にも精神的にも何度目かのピークを迎えていた。
勤務し出して数ヶ月経つのにメニューが覚えられない。
10代の頃から飲食店での仕事を多くこなして来たのに、
こんなことは初めてだった。
ランチセットの種類は幾つあったか?
カフェオレは?ココアは?サンデーは?
値段も頭に入らない。
何度も繰り返し覚えては、何度も繰り返し忘れてしまう。
日々寝不足で辛いんだけど、
毎朝出勤時間より1時間ほど早く出掛けては、
店の近くの川ベリでメニューのコピーを見つめていた。
「今日こそ覚えよう、今日こそ覚えよう」と思いながら。
あと50分、あと40分、あと30分、あと20分、15分、10分…
何も出来ないまま時間ばかりが過ぎてゆく。
流れる川面は龍の背中のようだった。
出勤時間が近づくにつれ全身が強張る。
歩けば眩暈、立ち止まれば吐き気。
体調を崩しているんじゃないってことは分かっていた。
脳と心が壊れていた。
店があるビルに入る。
まずトイレに行く。
手洗い場で何気なく鏡に目をやった時だった。
「これは誰だ?」
鏡に映る自分の顔を見てゾッとした。
悪魔か、死神か、貧乏神か…冥界から誰かがこちらを覗き込んでいる。
心の悲鳴、悲壮感が鏡から跳ね返って自分の中に入って来る。
最悪のフィードバックだ。
だけど、
こんな感覚はその時が初めてじゃなかった。
ずっと前から知っていた。
僕はあまり鏡を見ない。
見ないのではなく、見ることが出来ない。
本当は写真や映像で自分の姿を見るのも辛い。
自分の顔が嫌いだから?
そんな感覚も多少はあるけど、
それ以上に嫌なのが心の悲鳴のフィードバックだ。
こればかりは嘘をつけない。
俺が俺に助けを求めてくる。
だけどどうすることも出来ない。
救ってやれない…そんな感覚だ。

だけど自分に対して思う。
「鏡を見るのは大切だよ」って。
役者なんだし、
ステージに立って歌うんだし。
つい目をそらしてしまうけど、
少しぐらいは自分の顔をちゃんと真正面から見るべきなんだ。
ベイビー 田中悟
大阪市内のビジネス街にある某カフェで働いていた。
業界では老舗で有名なチェーン店だ。
当時の僕は自劇団の運営と他劇団への客演をしながら、
バイトを3つほど掛け持ちする日々を過ごし、
エキストラで撮影の現場にも出入りしていた。
バイト後は稽古場へ直行、家に帰ってからは台本を書いたり、
自分の台詞を覚えたり、その他の雑務をこなしたり。
眠るのはいつも真夜中。そして早朝からバイトに出掛ける。
苦労話をしているんじゃない。こんなの苦労でもなんでもない。
ましてや自慢話でもない。
小劇場の役者にとっての普通の日々。
ただただそんな日々が何年も続いていたということ。
やりたいことをやっているけれど、
やろうとしていることは出来ていないし、
やらねばならないことには手が回らない。
焦り、苛立ち、苦悩、減らない負債、そして極度の疲労。
丁度そのカフェで働いていた頃、
肉体的にも精神的にも何度目かのピークを迎えていた。
勤務し出して数ヶ月経つのにメニューが覚えられない。
10代の頃から飲食店での仕事を多くこなして来たのに、
こんなことは初めてだった。
ランチセットの種類は幾つあったか?
カフェオレは?ココアは?サンデーは?
値段も頭に入らない。
何度も繰り返し覚えては、何度も繰り返し忘れてしまう。
日々寝不足で辛いんだけど、
毎朝出勤時間より1時間ほど早く出掛けては、
店の近くの川ベリでメニューのコピーを見つめていた。
「今日こそ覚えよう、今日こそ覚えよう」と思いながら。
あと50分、あと40分、あと30分、あと20分、15分、10分…
何も出来ないまま時間ばかりが過ぎてゆく。
流れる川面は龍の背中のようだった。
出勤時間が近づくにつれ全身が強張る。
歩けば眩暈、立ち止まれば吐き気。
体調を崩しているんじゃないってことは分かっていた。
脳と心が壊れていた。
店があるビルに入る。
まずトイレに行く。
手洗い場で何気なく鏡に目をやった時だった。
「これは誰だ?」
鏡に映る自分の顔を見てゾッとした。
悪魔か、死神か、貧乏神か…冥界から誰かがこちらを覗き込んでいる。
心の悲鳴、悲壮感が鏡から跳ね返って自分の中に入って来る。
最悪のフィードバックだ。
だけど、
こんな感覚はその時が初めてじゃなかった。
ずっと前から知っていた。
僕はあまり鏡を見ない。
見ないのではなく、見ることが出来ない。
本当は写真や映像で自分の姿を見るのも辛い。
自分の顔が嫌いだから?
そんな感覚も多少はあるけど、
それ以上に嫌なのが心の悲鳴のフィードバックだ。
こればかりは嘘をつけない。
俺が俺に助けを求めてくる。
だけどどうすることも出来ない。
救ってやれない…そんな感覚だ。

だけど自分に対して思う。
「鏡を見るのは大切だよ」って。
役者なんだし、
ステージに立って歌うんだし。
つい目をそらしてしまうけど、
少しぐらいは自分の顔をちゃんと真正面から見るべきなんだ。
ベイビー 田中悟