2025年になりました。
いつも有難うございます。今年最初のブログとなります。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
という訳で新しい年となりましたがいきなり去年の出来事を振り返る文章となります。
知ってる街
日にちまでは覚えていないが12月の半ばを少し過ぎた頃だったと思う。その日はとある事情があり午後から街中で4時間ほど時間を潰さなければならなくなった。特に行くあてはなかったが行くあてがない時にふらりと訪れるならまずここに行くという場所がある。それは天満橋。
京阪電車に乗って天満橋駅で降りる。昔からこの場所が好きだった。幼い頃の記憶、恐らく4歳頃の記憶にまで遡る。今は京阪シティモールと名づけられた商業施設がこの場所にあるが昔は松坂屋というデパートだった。最上階に食堂があってたまに連れて来られた。母親が店頭で食券を買っているうちに「席取っといでぇ」(席を取りに行って)と言われ空いているテーブルを探してそこに陣取る。決まって窓際のテーブルだった。その窓から大川が流れる景色を見下ろすのが楽しみだった。記憶とともにクリームソーダの色と味が蘇る。
時は流れ昭和から平成になり松阪屋から京阪シティモールへと変わった。
外装や内装は多少変わったが恐らく大掛かりな改修工事はされておらず旧松坂屋のビルをほとんどそのまま使用していると思われる。京阪天満橋駅の改札を出て地下一階の入り口から入るとフロアの天井が低く感じられてエスカレーターも短い印象がある。このあたりに当時の名残を感じてほっとする。
京阪シティモールとして開業してからも随分と年月が流れた。
20代から30代の頃はジュンク堂書店によく行ったものだ。この日も久しぶりにジュンク堂で時間を潰そうと思ったが読んでみたい本も購入しようと思う本もとくになかった。ジュンク堂と言えば店内に椅子やテーブルが設置されていて「どうぞゆっくり読んで本をお選びください」というスタイルだったと思うが椅子やテーブルは全て撤去されている。これも時代の流れだろうか。今はもう令和である。
結局わずか数分で書店を出てそのまま最上階へ上がった。
最上階のフロアには飲食店が並んでいる。どの店も自分には高級に思えて大人になってからはここで食事をすることはない。幼い頃の思い出が詰まった食堂があった場所は今では展望スペースになっている。
暫くそこから大川を眺めていた。左を覗くと中之島を挟んで北側の堂島川と南側の土佐堀川に別れる。自分が立っている場所の向かいのビルの屋上には風車のようなものが設置されていて微妙な速度で動いている。「あれは風で動いているのだろうか?それとも電気で稼動しているのだろうか?」しばらく観察していたがどうでもいいことだ。暇つぶしというのは難しい。忙しい時は何もせずにぼうっとしていたいと思うが、何もすることがなく数時間過ごさねばならなくなると途端に時間の速度が遅く感じられる。
退屈を持て余し展望スペースからも数分で離れそのまま屋上に出た。
天候が良くて風も吹いておらず開放的な気分になれたがベンチが見当たらない。施設側としてはあまり長時間滞在して欲しくないのだろうな思った。文句を言うつもりは毛頭ないが何となくどこにも居場所のなさを感じてシティモールを後にした。
大川沿いに出てみる。北側の川沿いの公園は昔からあったが南側の遊歩道はもともとはなかった。旧松坂屋から京阪シテイモールへと変わった頃に広くて綺麗な遊歩道が出来て今では船着場から水上バスに乗ることも出来る。
大阪と言えば「水の都」「八百八箸」(はっぴゃくやばし)という言葉がある。確かに川も橋も多い。しかし大阪の人間は大抵そんなことを意識していないと思う。日常の中の見慣れた風景がただそこにあるだけだ。
川沿いを少しだけ西に移動すると腰掛けるベンチを兼ねた多きな階段(そう解釈して多分間違いでないと思う)がある。漸く落ち着けそうな場所を見つけた。腰を降ろそうとして脚を曲げると膝や腰が悲鳴をあげて「あ痛ててて」と声にしてしまう。ほんと年を取ったものだ。少し離れた場所に若いママさんと2才ぐらいの女の子がいた。幼い頃の自分がそうであったようにこうして天満橋で束の間の時を過ごす親子がいるのだ。階段の中央部分が人工芝になっていて二人で遊んでいる。とても可愛いくて見ているとほっこりとした気分になり癒される。しかしほっこり出来るのはこちら側だけであって、あまりジロジロ見ていると警戒させてしまいかねない。居心地の良い場所ではあったがやはり移動することにした。立ち上がろうとしてまた「あ痛ててて」と声が出る。その声が耳に入ったのか川沿いで語り合っていた20代前半頃の男女のグループがこっちを見たような気がしたがそれは自意識過剰というやつだろう。彼ら彼女らから見てこのおっさんは惑うことなきモブキャラだ。どうあれまだまだまだ時間は余っている。
その後は土佐堀通を歩いて北浜へ移動。交差点に五代様の銅像が立っているがディーンではない。
北浜も天満橋と同じく好きな街だ。しかし商社の大きなビルが建ち並ぶこの界隈に何かしらの目的を持って訪れることは皆無と言っていい。大阪市内の南側あるいは西側で仕事や用事があった時に長距離を徒歩で帰宅する習慣がありその際に通過する街だ。なぜだかこの界隈を歩いていると心が落ち着く。実はいつかは北浜辺りで暮らしたいという密かな夢がある。高級思考なのではない。何となく心が落ち着くのだ。そんな街並みをこの日は珍しく北から南に向かってぶらついた。
本町通に出れば確か本屋さんがあったはずと思っていたら今度は紀伊国屋書店だった。書店に入ると「アート」みたいなコーナーがあり絵本に少し興味を惹かれたが土地柄もあってかビジネス本の類が多い気がした。ビジネス本というかその多くは自己啓発本に近い印象だ。「○○するな、××をしろ!」的な高圧的なタイトルやキャッチコーピーが目に付く。世間一般ではこれぐらいで高圧的だとは思われないのかも知れないけれど。とにかく右も左もコマーシャリズムで溢れている。書籍はキャッチコピーに始まりボディコピーで終る。何なら本文さえもが長いコーピーかも知れない。なんてこと言うと皮肉になるだろうか。皮肉だとしても下手すぎるけど。
同じフロアに100均があったので来年の手帳を買うことにした。しかし店に入って文具コーナーに行っても手帳がない。この時期に手帳が売ってないなんておかしすぎないかと思いつつ店員さんに聞いてみたら丁寧に売り場まで連れて行ってくれた。手帳やカレンダーは店の入り口付近に置かれていた。そこはまさにさっき自分が入って来た場所だった。手帳を隠すなら100均の中。これは盲点だった。いやどんくさいだけだ。棚の商品はもうほとんど売れていて残り少ない手帳はピンクや可愛い絵柄の物ばかりだったがその中から何とか白い表紙の手帳を見つけ出した。レジに行くと同じ店員さんが対応してくれたので「さっきは有難う」と言いたかったが照れくさくて言葉に出来なかった。店員さんも気付いていたかも知れない。いや忙しいだろうからそこまで覚えていないかも知れないし話しかけても何のことだか分らないかも知れない。しかし仮にそうだったとしてもきっとこの店員さんは「いえ」とか言いながら優しい笑顔で受け流してくれるような気がする。なんてことをレジの前で僅かな時間に考えていた。
店を出て「さてこれからどうしようか」と考えてみたが体の疲れが限界に近づいてきたので時間潰しを切り上げて本来の目的地に向うことにした。
何の目的も計画もなく街の中で時間を潰して彷徨う。するといつもの街並みがまるで違った街並みに見えてくる。いや街の風景は同じだ。自分がいつもと違う自分になってしまうのかも知れない。そしてそれが本当の自分なのかも知れない。
※お詫び
昨日書きかけのこのブログを保存したつもりで間違って公開してしまっておりました。
書きかけの文章を公開してしまう恥かしさもありましたが、それよりも読みに来て頂いた皆様に大変失礼なことをしてしまいました。すみません。
下手な長文駄文ですが今年も何卒よろしくお願い致します。
いつも有難うございます。今年最初のブログとなります。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
という訳で新しい年となりましたがいきなり去年の出来事を振り返る文章となります。
知ってる街
日にちまでは覚えていないが12月の半ばを少し過ぎた頃だったと思う。その日はとある事情があり午後から街中で4時間ほど時間を潰さなければならなくなった。特に行くあてはなかったが行くあてがない時にふらりと訪れるならまずここに行くという場所がある。それは天満橋。
京阪電車に乗って天満橋駅で降りる。昔からこの場所が好きだった。幼い頃の記憶、恐らく4歳頃の記憶にまで遡る。今は京阪シティモールと名づけられた商業施設がこの場所にあるが昔は松坂屋というデパートだった。最上階に食堂があってたまに連れて来られた。母親が店頭で食券を買っているうちに「席取っといでぇ」(席を取りに行って)と言われ空いているテーブルを探してそこに陣取る。決まって窓際のテーブルだった。その窓から大川が流れる景色を見下ろすのが楽しみだった。記憶とともにクリームソーダの色と味が蘇る。
時は流れ昭和から平成になり松阪屋から京阪シティモールへと変わった。
外装や内装は多少変わったが恐らく大掛かりな改修工事はされておらず旧松坂屋のビルをほとんどそのまま使用していると思われる。京阪天満橋駅の改札を出て地下一階の入り口から入るとフロアの天井が低く感じられてエスカレーターも短い印象がある。このあたりに当時の名残を感じてほっとする。
京阪シティモールとして開業してからも随分と年月が流れた。
20代から30代の頃はジュンク堂書店によく行ったものだ。この日も久しぶりにジュンク堂で時間を潰そうと思ったが読んでみたい本も購入しようと思う本もとくになかった。ジュンク堂と言えば店内に椅子やテーブルが設置されていて「どうぞゆっくり読んで本をお選びください」というスタイルだったと思うが椅子やテーブルは全て撤去されている。これも時代の流れだろうか。今はもう令和である。
結局わずか数分で書店を出てそのまま最上階へ上がった。
最上階のフロアには飲食店が並んでいる。どの店も自分には高級に思えて大人になってからはここで食事をすることはない。幼い頃の思い出が詰まった食堂があった場所は今では展望スペースになっている。
暫くそこから大川を眺めていた。左を覗くと中之島を挟んで北側の堂島川と南側の土佐堀川に別れる。自分が立っている場所の向かいのビルの屋上には風車のようなものが設置されていて微妙な速度で動いている。「あれは風で動いているのだろうか?それとも電気で稼動しているのだろうか?」しばらく観察していたがどうでもいいことだ。暇つぶしというのは難しい。忙しい時は何もせずにぼうっとしていたいと思うが、何もすることがなく数時間過ごさねばならなくなると途端に時間の速度が遅く感じられる。
退屈を持て余し展望スペースからも数分で離れそのまま屋上に出た。
天候が良くて風も吹いておらず開放的な気分になれたがベンチが見当たらない。施設側としてはあまり長時間滞在して欲しくないのだろうな思った。文句を言うつもりは毛頭ないが何となくどこにも居場所のなさを感じてシティモールを後にした。
大川沿いに出てみる。北側の川沿いの公園は昔からあったが南側の遊歩道はもともとはなかった。旧松坂屋から京阪シテイモールへと変わった頃に広くて綺麗な遊歩道が出来て今では船着場から水上バスに乗ることも出来る。
大阪と言えば「水の都」「八百八箸」(はっぴゃくやばし)という言葉がある。確かに川も橋も多い。しかし大阪の人間は大抵そんなことを意識していないと思う。日常の中の見慣れた風景がただそこにあるだけだ。
川沿いを少しだけ西に移動すると腰掛けるベンチを兼ねた多きな階段(そう解釈して多分間違いでないと思う)がある。漸く落ち着けそうな場所を見つけた。腰を降ろそうとして脚を曲げると膝や腰が悲鳴をあげて「あ痛ててて」と声にしてしまう。ほんと年を取ったものだ。少し離れた場所に若いママさんと2才ぐらいの女の子がいた。幼い頃の自分がそうであったようにこうして天満橋で束の間の時を過ごす親子がいるのだ。階段の中央部分が人工芝になっていて二人で遊んでいる。とても可愛いくて見ているとほっこりとした気分になり癒される。しかしほっこり出来るのはこちら側だけであって、あまりジロジロ見ていると警戒させてしまいかねない。居心地の良い場所ではあったがやはり移動することにした。立ち上がろうとしてまた「あ痛ててて」と声が出る。その声が耳に入ったのか川沿いで語り合っていた20代前半頃の男女のグループがこっちを見たような気がしたがそれは自意識過剰というやつだろう。彼ら彼女らから見てこのおっさんは惑うことなきモブキャラだ。どうあれまだまだまだ時間は余っている。
その後は土佐堀通を歩いて北浜へ移動。交差点に五代様の銅像が立っているがディーンではない。
北浜も天満橋と同じく好きな街だ。しかし商社の大きなビルが建ち並ぶこの界隈に何かしらの目的を持って訪れることは皆無と言っていい。大阪市内の南側あるいは西側で仕事や用事があった時に長距離を徒歩で帰宅する習慣がありその際に通過する街だ。なぜだかこの界隈を歩いていると心が落ち着く。実はいつかは北浜辺りで暮らしたいという密かな夢がある。高級思考なのではない。何となく心が落ち着くのだ。そんな街並みをこの日は珍しく北から南に向かってぶらついた。
本町通に出れば確か本屋さんがあったはずと思っていたら今度は紀伊国屋書店だった。書店に入ると「アート」みたいなコーナーがあり絵本に少し興味を惹かれたが土地柄もあってかビジネス本の類が多い気がした。ビジネス本というかその多くは自己啓発本に近い印象だ。「○○するな、××をしろ!」的な高圧的なタイトルやキャッチコーピーが目に付く。世間一般ではこれぐらいで高圧的だとは思われないのかも知れないけれど。とにかく右も左もコマーシャリズムで溢れている。書籍はキャッチコピーに始まりボディコピーで終る。何なら本文さえもが長いコーピーかも知れない。なんてこと言うと皮肉になるだろうか。皮肉だとしても下手すぎるけど。
同じフロアに100均があったので来年の手帳を買うことにした。しかし店に入って文具コーナーに行っても手帳がない。この時期に手帳が売ってないなんておかしすぎないかと思いつつ店員さんに聞いてみたら丁寧に売り場まで連れて行ってくれた。手帳やカレンダーは店の入り口付近に置かれていた。そこはまさにさっき自分が入って来た場所だった。手帳を隠すなら100均の中。これは盲点だった。いやどんくさいだけだ。棚の商品はもうほとんど売れていて残り少ない手帳はピンクや可愛い絵柄の物ばかりだったがその中から何とか白い表紙の手帳を見つけ出した。レジに行くと同じ店員さんが対応してくれたので「さっきは有難う」と言いたかったが照れくさくて言葉に出来なかった。店員さんも気付いていたかも知れない。いや忙しいだろうからそこまで覚えていないかも知れないし話しかけても何のことだか分らないかも知れない。しかし仮にそうだったとしてもきっとこの店員さんは「いえ」とか言いながら優しい笑顔で受け流してくれるような気がする。なんてことをレジの前で僅かな時間に考えていた。
店を出て「さてこれからどうしようか」と考えてみたが体の疲れが限界に近づいてきたので時間潰しを切り上げて本来の目的地に向うことにした。
何の目的も計画もなく街の中で時間を潰して彷徨う。するといつもの街並みがまるで違った街並みに見えてくる。いや街の風景は同じだ。自分がいつもと違う自分になってしまうのかも知れない。そしてそれが本当の自分なのかも知れない。
※お詫び
昨日書きかけのこのブログを保存したつもりで間違って公開してしまっておりました。
書きかけの文章を公開してしまう恥かしさもありましたが、それよりも読みに来て頂いた皆様に大変失礼なことをしてしまいました。すみません。
下手な長文駄文ですが今年も何卒よろしくお願い致します。